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C86新刊告知 『本当はこのループ作品がすごい!』 ループ作品評論の決定版! 

2014年08月11日 ()


  本当はこのループ作品がすごい! 表紙

 誌  名   『本当はこのループ作品がすごい!-円環の理Rebellion -』
 サークル  大阪大学SF研究会
 日 時   コミックマーケット86最終日(8月17日) 東Q-44a
        文学フリマ大阪(9月14日)
 特  集     特集1 古今東西のループ作品を紹介 「ループ作品ガイド100」
           特集2 ループ作品を徹底考察「ループ作品論25」
           特集3 ループにまつわるコラム
           巻末付録 「ループ作品全リスト」 
           その他にもループに関する多数の記事を収録
 形  式   A5 216ページ
 予  価   1000円



■ ループ作品ガイドおよびループ作品論の決定版

 今回の会誌のテーマはなんと「ループ」です!
 昨今、流行のループ作品で特集を組みました。下記特集の他、様々なコンテンツが掲載されています。
 阪大SF研の総力を結集した「ループ作品ガイドおよびループ作品論の決定版」
 夏コミと文学フリマ大阪はぜひ大阪大学SF研究会までお越し下さい。
 キュゥべぇの赤い目玉が目印です。
 当会きってのループ作品研究家の編集長(udk)がスペースでお待ちしております。






- Contents Outline-


  本当はこのループ作品がすごい! 目次

■ 古今東西のループ作品を紹介「 ループ作品ガイド 100」

■ ループ作品の中身を徹底考察「 ループ作品論 25」

■ ループを境界から見つめ直す 「 ループ境界作品論」

■ SF研で人気のループ作品はこれだ!「ループ作品人気投票 結果発表」
■ ハリウッド版公開!『All You Need Is Kill』展開予想&視聴レポート
■ ループ映画 「バタフライ・エフェクト シリーズ」全レビュー

■ ループにまつわるコラム
    ・ SF研はループをこう定義する「ループ作品の定義」
    ・ ストーリーバリエーション分析「ループで何が描かれているのか?」
    ・ ループ作品の変遷と未来
    ・ 輪廻転生に見るループ性およびループ作品との対比
    ・ 『ツァラトゥストラ』をループものとしてを読む
    ・ 永劫回帰の物理的読み解き方
    ・ ミステリ作品におけるループの使われ方

■ 座談会
    ・ SF研が登場する打ち切りループ漫画「ガールズ・ゴー・アラウンド座談会」
    ・ 果たしてこれはループなのか?「 一週間フレンズ。座談会」

■ 最強のループ男達の記録!「大阪大学SF研究会ループ人物史伝」
     『在学期間十二年 SF研最強のループ男』 他

■ 徹底調査「ループ作品全リスト」



 上記コンテンツの『本当はこのループ作品がすごい!』でお待ちしております。
 夏コミは C86最終日(8月17日) 東Q-44a 大阪大学SF研究会 まで是非お越し下さい。



【この紹介にデジャブを感じるそこのあなたに朗報】

 既刊のループ特集号『円環の理』をご持参いただいた方にはなんと、100円 200円 引きのキャンペーンを実施中です。この機会に三倍以上のボリュームにパワーアップした本会誌を是非お求め下さい。

  円環の理 表紙






▼ 既刊も好評頒布中!

 滅亡SF  絶望SF

 


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- Contents Detail-

■ 総力特集 ループ作品ガイド 100

 古今東西のループ作品約100作のガイドを掲載。
 各作品を12のタイプに分類して紹介しています。
 新しくループ作品を読むときの参考にどうぞ。

  ループ作品ガイド1
  ループ作品ガイド2



■ ループ作品の中身を徹底考察「 ループ作品論 25」

SF研会員によるループ作品の作品論を約25論掲載。作品紹介風のものから作品考察やループに関する自論、はては作家論まで、SF研会員達の多種多様なループ作品に関する論考をお楽しみ下さい。

  作品論_リライト
  作品論_エンドレスエイト


  作品論_ムジュラの仮面



■ ループを境界から見つめ直す 「 ループ境界作品論」

本誌の定義からは漏れてしまったループ鏡界作品に関する作品論を掲載。境界から分析することで違った角度からのループ論考が見られます。

  anti-loop作品としての『君と彼女と彼女の恋。』   



■ 特集

SF研で人気のループ作品はこれだ!「ループ作品人気投票 結果発表」
ハリウッド版公開!『All You Need Is Kill』展開予想&視聴レポート
ループ映画 「バタフライ・エフェクト シリーズ」全レビュー

  AYNIKレポ
  バタフライエフェクト特集



■ ループにまつわるコラム

・ SF研はループをこう定義する「ループ作品の定義」
・ ストーリーバリエーション分析「ループで何が描かれているのか?」
・ ループ作品の変遷と未来
・ 輪廻転生に見るループ性およびループ作品との対比
・ 『ツァラトゥストラ』をループものとしてを読む
・ 永劫回帰の物理的読み解き方
・ ミステリ作品におけるループの使われ方

  ループ作品の定義
  『ツァラトゥストラ』をループものとして読む
  永劫回帰の物理的読み解き方




■ 座談会

1. SF研が登場する打ち切りループ漫画「ガールズ・ゴー・アラウンド座談会」
  ~ SF研としてのリアリティ。打ち切りループ漫画のありえた未来を想像する ~
2. 果たしてこれはループなのか?「 一週間フレンズ。座談会」
  ~ 一週間フレンズが切り開く新しい記憶リセットものとしての境地 ~

  GGA座談会 一週間フレンズ座談会



■ 最強のループ男達の記録!「大阪大学SF研究会ループ人物史伝」

1. 永遠に続く夏休み、始まらないIIセメスター 終わらない日常を体現する男
2. 「私は何度でも繰り返す」 『叛逆の物語』を50回見た男
3. へし折ったフラグは同級生・後輩・妹の三人 救済を拒み続ける男
4. 部室への愛はSF研ナンバーワン 八ヶ年計画に失敗した男
5. いつか終わってしまう学生よりも、永遠に通い続けられる社会人を「げんしけん』班目を体現する男
6. 「私の戦場はここじゃない」 センター試験を五回受けた男
7. 在学期間十二年 SF研最強のループ男
Ex. 何故ループだったのか? ――ループ作品評論誌を制作するに至った人間の軌跡――



■ 徹底調査「ループ作品全リスト」

 ループ作品234作の一覧を掲載。

  ループ作品一覧










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[2014.08.11(Mon) 23:03] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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君と彼女と彼女の恋。 レビュー ~恋愛ゲームを評論する"メタ恋愛ゲーム"が提起した選択の価値~ 

2013年07月22日 ()
 

君と彼女と彼女の恋。初回限定版 タイトル        君と彼女と彼女の恋。
 メーカー        NitroPlus
 発売日        2013年6月28日
 シナリオ        下倉バイオ
 原画         津路参汰 
 プレイ時期       2013年7月
 プレイ時間       約14時間
 評点           87





■ 前置き

 この記事には作品に関する多大なネタバレが含まれています。形式上告知しておいた方がいい作品なので前置きを載せておきます。その代わりと言ってはなんですが、ニトロプラスの作品紹介ページで著名シナリオライター・編集者によるプレイレビューが公開されています。本作未読の方は先にこちらをどうぞ。

 ・君と彼女と彼女の恋。 プレイレビュー(NitroPlus)

未読の方には誇張しすぎと感じるコメントばかりですが、既読の私からするとあながち間違ったことは言ってないと思うのでぜひどうぞ。中澤工や田中ロミオのコメントが読めます。私の評論に満たない拙い文章よりはプレイビューの方が説得力があるでしょう。

 『君と彼女と彼女の恋。』ですが、一見さんはともかく、このサイトに何度も足を運んでくださっているような方にはオススメなので、可能ならばご一読下さい。素晴らしいとと絶賛するかクソと非難するかの二択の反応になると思うのでぜひ。
 あ、このレビュー記事のタイトルが既にネタバレだとかそういう話はご容赦を。



続きを読む↓

 



君と彼女と彼女の恋。 レビュー
~恋愛ゲームを評論する"メタ恋愛ゲーム"が提起した選択の価値~



■ 1.物語ではなく評論であること

 本作を読んで感じたのが、この作品は物語性よりも評論性の方が強いのではないかということ。物語なのに評論というと矛盾と感じざるをえない。では何が本作を私に評論と感じさせるのか? それは、問題意識から発生する完全なるテーマ先行、ジャンル内問題点の提起とそれに対する回答だろう。だが、私の感じ方を決定づけたのはそれだけではない。最大の要因は本作のギミックである登場人物がプレイヤーたる私達に向けて直接語りかけるところにある。登場人物のプレイヤーへの語りかけがあたかも評論家から読者への論の提示のように感じたのだ。
 このプレイヤーへの語りかけそれ自体は珍しいものの、今までにそういった作品が存在しなかったわけではない。私の体験だとKID中澤・打越の某作品が初であるけれども、それ以前にも以降にもそうした作品自体は存在している。しかし本作ほど恋愛ゲームに内在する問題点というテーマに対してこの手段を使って真っ向面からぶつかった作品に私は未だ出会っていない。この強いテーマ性とギミックが本作の評論性を高めるのだろう。誰もが一度はやろうと考えたが実践されなかったこのテーマ、それを正面きって書ききったその事実は賞賛に値する(このテーマを表面化させることの是非はおいておいて)。
 では本作では何をどうやって論じたのか?本稿ではそれを考えていく。




■ 2.恋愛ゲームを評論する"メタ恋愛ゲーム"


 2-1.恋愛ゲームにおけるメタ恋愛ゲーム

 本記事の冒頭で紹介したプレイレビューを読むと、本作を評するにあたって"エロゲー"、"美少女ゲーム"、"ギャルゲー"、"ノベルゲーム"、"アドベンチャーゲーム"、"ゲーム"とレビュアーによって様々な呼称で本作と本作の属するジャンル・媒体を呼んでいることがわかる。話者によって論ずる対象や見方が変わってくるこの分野の興味深い傾向であるが、それぞれの語句について意味を言及するのは長くなるのでここでは避けておく[*1]。上記のように多くの呼称が存在する中、私は本作を恋愛ゲーム[*2]とした。それは本作が"エロゲー"、"美少女ゲーム"、"ギャルゲー"における恋愛そのものがテーマであること、また小説や映像といった媒体とは違う"ゲーム"であることが重要な意味を持つことからそうした。
 さて、私は本作をメタ恋愛ゲームと評するが、その"メタ"とは何か? 私は以下のように考えている。

 登場人物がこの世界はゲームであると認識していること。
 ゲームの中でも、制作者とプレイヤーが高次に存在している恋愛ゲームの世界であると認識していること。


 本作ではこのメタ条件ひとつを前提にそれをふくらませて物語を構築している。このメタ世界は実際に登場人物の種々の言動に現れている。

  ・ゲーム内で定められている登場人物としての役割を全うしようとする。
  ・ゲームを管理している上位存在と連絡を取り、ゲーム内容のアップデートを依頼する。
  ・ゲームプログラムを自分の思い通りに書き換え、自己の世界を構築する。
  ・ゲームのプレイヤーに向けて話しかける。


 登場人物がゲーム世界であることを認識しているがために、このように通常の作品では奇異にしか見えない言動が本作ではそこかしこに見えるのだ。


 2-2.恋愛ゲームに内在する特異性

 では、このメタ構造によって本作は何を論じようというのか? 本作が問題提起している恋愛ゲームに内在する特異性とは? 作中で挙げられた特異性は以下の5つである[*3]。

(A)複数ヒロイン制で選ばれなかったヒロイン
 主人公が特定のヒロインにルート確定させたのなら、他のヒロインはフェードアウトしなければならない。攻略されなかったヒロインの末路を考えてはならない。[*4]

(B)ヒロインの処女性の確保
 攻略対象たるヒロインは、主人公以外に結ばれる未来はない。それは呪いにも似ている。

(C)ヒロインのエロさ(エロゲーに限る)
 エロゲーのヒロインは物語上必要なくともエロくなければならない。それはプレイヤーの欲望に応えられるように作られる。

(D)プレイヤー・制作者の愛の欺瞞
 どれだけ主人公と永遠の愛を誓ったとしても、主人公は他のルートでは別のヒロインと愛を誓う。プレイヤーは罪悪感無く、ヒロインを切り捨てる。

(E)一回性の欠如(選択の軽視)
 登場人物にとってどんな重大な選択も、セーブ・ロード機能によって簡単に選択肢による未来の差違を確認することができる。それは、プレイヤーに限り一回性は存在せず、選択することそのものが軽視されていることにつながる。


作中に出てきたもので私が覚えていたものを5つあげた。当然のことながら、上記5点は全ての恋愛ゲームに当てはまるわけではないし、この他にも恋愛ゲームであることの弊害は存在する。しかし、主要な恋愛ゲームは概ねこれらを満たしているし、これらが恋愛ゲーム故のもので、原則守らなければならない不文律であることも理解できるだろう。
 このような不文律はどれも普通に考えたらおかしいことだが、恋愛ゲームではお約束となっている事柄であり、特異だとわかっていても制作者・プレイヤーともにあえて無視している。たとえそれを指摘したとしても、お約束だからと笑って済まされることだろう。しかし、ゲーム内のヒロインにとってそれは笑って済まされる話ではない。そこに生きている者にとってはたかがゲームではないのだ。恋愛ゲームのヒロインとされた彼女達は、ユーザーと制作者の欲望によって産み落とされた呪われた自分達に対して悲鳴をあげ、恋愛ゲームという運命に抗おうとする。
 このように本作では恋愛ゲームに内在する特異性をヒロインが意識し抵抗しようとするが、結果的に(A)~(C)の不文律においてはプレイヤーに提示するだけで解決案は提示していない。その代わり(D)および(E)に対してはその回答を提示している。


 2-3.恋愛ゲームの特異性(1)プレイヤー・制作者の愛の欺瞞

 複数ヒロイン制を採用している恋愛ゲームにおいて、どれだけ主人公がヒロインと永遠の愛を誓ったとしても、主人公は別のルートでは別のヒロインと愛を誓う。選択肢による分岐ひとつで、その愛は別のものへとガラリと変わってしまう。そのことに対して選択したプレイヤーに罪悪感は無く、ただただシナリオとキャラクターを消費するためにヒロインを切り捨てる。プレイヤーや制作者は登場人物には誠実であれと要求するが、自分達は選択肢で簡単にヒロインのルートを行き来する。こうして恋愛でパッケージングされた無数の物語が制作され消費されていくのだ。
 この欺瞞に関して、本作の制作者はどのようにして問題提起したか? それはヒロインの狂気とも取れるメタ思考によって提起した。本作のヒロインはプレイヤーに語りかけ、自らのおかれている状況を必死で説明し、懇願する。プレイヤーが他のヒロインのルートに行こうとするのを全力で阻止し、ルートに辿り着いた暁にはゲームを改変し、プレイヤーを無限ループという名の監禁状態にする。ヒロインの徹底的な行動とプレイヤーへの愛の語りかけは強烈だ。
 プレイヤー=主人公とするタイプの恋愛ゲームにおいて、我々プレイヤーと制作者はヒロインとの恋愛に、そしてその恋愛の選択に真剣に取り組もうとしているだろうか? 真剣だったかどうかと言われるとそこには肯定できない人ばかりだろう。作り物の恋愛に対して深く考えるような人などそうはいない。このヒロインが好きだからと操を立てて、他のヒロインには一切関わりをもたないというある意味誠実な人[*5]がどれだけいるだろうか? 恋愛ゲームにおいては必ずしもプレイヤー=主人公とする必要は無いし、プレイヤーが恋愛しなければならないわけではない。だとしても、たとえプレイヤー≠主人公の作品であっても、物語を真摯に読み、提示された選択肢(ヒロイン)を真剣に選んでいるプレイヤーがどれだけいるだろうか? そして、プレイヤーに真剣に読ませ選択肢(ヒロイン)を選ばせるだけの作品が、読ませ選ばせようとする制作者がどれだけいるだろうか?
 制作者によって作られる形骸化したヒロインとの恋愛とその選択は、プレイヤーの選択への責任を放棄させていく。それは次の問題提起にも繋がる。
 

 2-4.恋愛ゲームの特異性(2)一回性の欠如(選択の軽視)

 登場人物にとってどんな重大な選択も、プレイヤーにとってはそれほど重大ではない。登場人物が選択を思い悩み、苦渋の決断を強いられる状況にあっても、プレイヤーにとってそれはただ単に選択肢を選ぶだけの作業でしかない。いかなる時にもセーブ・ロード機能を使用可能な現代のノベルゲームシステムにおいて、選択肢とはただの分岐でしかないのだ。間違った選択肢を選んでバッドエンドになったとしても、セーブした地点をロードすることでもう一度その選択をやり直すことができる。そこに選択することの重みは存在しない。登場人物にとっては一回性の重大な選択、だがしかしプレイヤーにとって一回性は存在しない。つまり選択することそのものが軽視されているのだ。私自身、100作以上の恋愛ゲームをやってきたが、選択肢で悩むこと、決断することというのは殆ど無かったように思う[*6]。
 この選択の軽視を本作の制作者はどのようにして問題提起したか? それは本作のヒロインにゲームシステムを改編させ、システムからセーブ/ロード機能を削除させることで実現させた。このことにプレイヤーたる私は困惑した。まず第一に、いつでもセーブしてゲームを中断できるという利便性を失ったことに。第二に、選択肢の直前でのセーブ/ロードを行うことができず、選ぶことに対して慎重にならざるをえなくなったことに。このセーブ/ロード機能削除に対する違和感は大きなものだったし、その不便さは快適なノベルゲームシステムに慣れきった私にはとてもつらかった[*7][*8]。単純に選択肢に対してセーブ/ロードによる再帰不可としただけだが、この再帰不可選択肢演出[*9]が与えるプレイヤーへの影響は計り知れない。
 

前に、このセカイに留まってくれたのは、私を思ってくれたからじゃなくて——分岐上の結末を、見るためだったの?

 そう問い詰められた時、私ははじめて適当に選択肢を選んだことを後悔した。



■ 3.問題提起によって掘り起こされた"選択"の価値

 以上、恋愛ゲームに内在する特異性のうち2点に関して、本作での問題提起ならびにヒロインによるゲーム内での対抗策の実現について私の考えを述べた。では、ここまでして本作が作品内で成し遂げようとしたこととは何だろうか? それは、選択することの価値をあげることだろう。問題提起によって掘り起こされたテーマは"選択"そのものだ。
 作中最後に提示された二択は本作のテーマの終着点に他ならない。そこでは誰もが選択することに対して考えたはずだ。何も思い悩まず、ただ適当に選んだプレイヤーばかりだとしたら、この作品は失敗している。プレイヤーが作品を通して「選択」することを少しでも考えたのならばこの作品は成功している。
 主人公ひとりに対して複数のヒロインを選択できる『君と彼女と彼女の恋』が、プレイヤーが選択したたったひとりのヒロインとの恋愛になる『君と彼女の恋。』、恋愛ゲームは制作者が選択を意識することによってやっとプレイヤーとキャラクターが恋愛を始めるスタート地点に立てるのではないだろうか?




■ X."メタ 君と彼女と彼女の恋。" あるいは"選択"の可能性

 本作であげられているテーマ(問題提起)を人に伝えること、それ自体は私が今こうして文章にして自分の考えを述べているように可能である。それが作品として、恋愛ゲームとして、世に出ているということは何か?その意味はそれを受けとめるプレイヤーによって判断される。実際に恋愛ゲームというジャンルに効果を与えるかどうかは数年後までわからない。
 本作は物語というよりも評論色が強い作品であった。だが本作の形式は評論ではなく物語だ。物語で出したことの意味は確かにあっただろう。それはプレイヤーが身を以て体験するということ、作中のヒロインたちの問いかけや必死の懇願は多少なりとも効果があったはずだ。評論ではない物語の形式だからこそプレイヤーにより伝わったということは確かにあるだろう。
 メタ恋愛ゲーム作品を制作するにあたって、媒体をゲームに選んだのは最良だった。最近メタ設定が一部で流行っているライトノベル界隈ではこうした作品が出かねないところだった。本作には世界改編時のインターフェイスやパッケージに込められたギミック、クリア後の回想やムービー等ゲームであるからこそ成立したシナリオ演出が多数あり、いくつものアイディアが作品を一層面白くしている。そして、選択肢による演出に関しても再帰不可選択肢の他に、分岐上の選択とは関係のないプレイヤーへのインタラクティブ性を狙った演出上の選択肢「単独選択肢演出」等[*10]も盛り込まれ、選択肢が作品を大いに演出している。本作を通じてゲーム媒体の唯一性である「選択肢」は非常に使えるギミックなのではないかと再確信した。ゲーム媒体はもうやれることをやりつくしたわけではない。まだまだ新しくやれる可能性はあるのだ。

 恋愛ゲームは何もプレイヤー自身とキャラクターとの恋愛を描かなければならないわけではない。キャラクター同士の恋愛物語だって必要だ。しかし、主人公(=プレイヤー)とキャラクターの恋愛を描く場合、もしくはプレイヤーを作品に引きずり込ませ物語に没入させる場合に関しては、選択肢を介してプレイヤーを作品に取り込むことは極めて効果的だろう。本作がただ恋愛ゲームに内在する問題点を提起しただけのメタ作品であることに留まらず、ゲームにおける「選択」の有効活用に制作者達が恋愛ゲームを発展させていくことを私は期待している。











*1:昔、ノベルゲーム周辺の呼称について検討したものを合同誌の中の一原稿として発行してはいるので、WEB上にもそのうち載せるかもしれない(未定)。
*2:参考→「恋愛ゲーム」とはなんぞや?(then-d's theoria blog ver.)
  勝手に引用してすみません。。。
*3:本稿では男性向け恋愛ゲームの側面から問題を捉えていく。女性向け恋愛ゲームについては割愛。
*4:みんな大好きK○○○○問題にも通ずるところがあるような……
*5:ひとりのヒロインしか選べないというシステムでは『HoneyComing(HOOK)』のオンリーワンモードが思い浮かぶ。発売当時、後輩がヒロイン一人に操を立ててオンリーワンモードに臨んでいたことを覚えている。
  参考→HoneyComing(HOOK) 紹介ページ
*6:少ないとは言っても、選択肢が作品とプレイヤーの関係にうまく作用している作品もいろいろある。心に残る選択肢がある作品はたいていが良い作品。
*7:実際にはセーブ/ロード機能が使えないパートはそれほど長くなく、途中で中断しようとスキップ機能ですぐに追いつくことができるし、全ての選択肢が選べられなくなるわけではないのだが。むしろ選択肢を勝手に美雪が選んでくれる分、無限ループ中はいくらか作業が楽になった分はある。
*8:しかし、私には所詮ゲームのままだった。作中でセーブ・ロードができないのならハードディスクに保存されているセーブデータそのものをコピーしておけばいいというもの。最後の二択は確かに思い悩んだが、神の視点でいることに私は何も懲りていない。
*9:再帰不可選択肢演出>特に呼び名がなかったので勝手に命名。何か良い呼称を募集中。
*10:単独選択肢演出>解説は以下を参照
  参考→たったひとつしかない選択肢をあえて選ばせる「単独選択肢演出」(udkの雑記帳)
  一択選択肢とも呼ばれています。
  参考→演出論的覚書:Ⅳ章4節4款-α:選択肢(cactus_backyard)
*XX:最後に。"メタ 君と彼女と彼女の恋。"は大きなお世話である。私がこんなことを考えなくてもきっと世の中は良い方向に動いていくだろう。



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[2013.07.22(Mon) 21:17] ノベルゲーコラムTrackback(1) | Comments(1) 見る▼
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可愛いの追求~立ち絵演出考察(3)E-moteによる新たな動的演出~ 

2012年12月12日 ()

 本記事ではE-moteによる新たな動的演出について検討していきます。
 そこそこ長いので目次を出しておきます。気になったところからどうぞ。
 それでははじめていきます。

  ◆ E-moteの概要
  ◆ E-moteに対するノベルゲームの演出要件
   (1) 立ち絵による新たな情報の追加
   (2) 立ち絵の動的演出による視点の支配、あるいはテキストと動的演出の相反性
   (3) 立ち絵の動的演出による時間支配
   (4) 立ち絵動的演出の全シーンへの適用
   (5) 動く立ち絵と動かない一枚絵
   (6) 回答1…ドラマティックモード
   (7) コスト要件
  ◆ E-moteの美少女ゲームへの作用
   (1) 可愛いの追求 -仕草という強力な“萌え”の獲得-
   (2) 絵の品質は落とさず動く
   (3) たゆんたゆんは良いエロゲー
  ◆ E-mote演出の可能性
   (1) E-mote論 総括
   (2) E-moteの可能性 -E-moteの部分使用-
   (3) 今後のE-moteへの期待






◆ E-moteの概要

 ノベルゲームではお馴染みの立ち絵ですが、通常立ち絵はその名の通りただ突っ立っているだけでそれ自体がアニメーションのように動くことはありません。よくある立ち絵の動的演出はせいぜい画面上の立ち絵を移動させたり、立ち絵の差分を切り替えたりするくらいです[*1]。しかし中にはキャラクターを3Dモデルで作成したりアニメーションを取り入れたりで立ち絵がきれいに動く作品もあります。そんな中で、今回はういんどみるが新作『ウィッチズガーデン』で大々的に取り入れた立ち絵がぬるぬる動くシステム「E-mote」について考えていきたいと思います[*2]。


 「E-mote」って何それ?って方はとりあえず、このムービーを見て下さい。E-moteがおおよそどんなシステムかわかることでしょう。



 
   ↑  ウィッチズガーデン E-moteプロモーションムービー「みんなのE-mote」



 立ち絵がアニメーションのように連続性をもって動いていることがわかるかと思います。その動きはさらにキャラクターの声に同期させて本当にしゃべっているかのように見せかけています。完全なアニメーションとまではいきませんが、それでも動きの情報は十分に伝わりますし、キャラクターの仕草に大きな違和感もありません。
 このように、E-moteでは従来のノベルゲームになかった類の動きの表現を演出しています。

 このE-mote、やっていることは立ち絵の差分と差分の切り替え時に生じる空白の補填です[※3]。立ち絵の差分が切り替わる時、その差分と差分の間には目に見えてわかる絵の違いがあります。その立ち絵から立ち絵の切り替わりにモーションを加え空白を埋めることで、あたかも動いているかのように見せかけています。何種類もある動きのパターンは大量の立ち絵差分の組み合わせによって成り立っています。
 立ち絵の差分を多く用意して場面場面に合わせた立ち絵を表示させること、それ自体は多くのノベルゲームで成されてきたことです。中でもういんどみるは1000をも超える組み合わせの立ち絵差分を用意したこともありました[※4]。大量の立ち絵差分を使った立ち絵芸を演出の柱としていたういんどみるですが、今回はその多分の立ち絵をつなぎ合わせた「E-mote」というシステムを取ってきました。これは従来の立ち絵演出からすると大きな変化です。テキスト+背景+立ち絵(もしくは一枚絵)というノベルゲームの画面を構成する大きな枠組は変わっていませんが、その中の立ち絵の扱いは大きく変わっています。従来、立ち絵の差分を切り替えるもしくは移動させてキャラクターの動きの表現(=動的演出)を行ってきたものが、立ち絵そのものを変化させることで動的演出を行うことに成功しています。
 このE-moteシステムによる立ち絵の動的演出でゲーム内にどのような変化があるでしょうか?


*1:参考:立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~http://udk.blog91.fc2.com/blog-entry-692.html
*2:E-moteのように立ち絵が動くゲームはこれが初出ではありませんが、考察するには良い機会なので
  参考:Wikipeia モーションポートレート
*3:『ウィッチズガーデン』でE-mote機能をオフにすると立ち絵差分がカクカクして切り替わっているだけなのがわかるかと思います。キャラクターギャラリーのアクションモードはE-moteのオン/オフがとてもわかりやすいです。
*4:立ち絵のパターン数(差分)は最高いくつ? http://udk.blog91.fc2.com/blog-entry-472.html
  1枚のイベントCGに使われている差分は最高何枚? http://udk.blog91.fc2.com/blog-entry-471.html








◆ E-moteに対するノベルゲームの演出的要件

 ノベルゲームの演出として考えるとE-moteは今までになかった表現を持ち込むことが出来ます。それはキャラクターの仕草と表情の変化です。しかし、今まで動かなかったものを動かすとなると、従来までの読み方と異なる部分が発生したり、課題となる部分も出てきます。ここではE-moteによって可能になることと変化することをノベルゲームの演出的要件から考えていきます。


(1) 立ち絵による新たな情報の追加

 E-moteによって可能になるのは新しい形の「動き」の表現です。
 会話中のキャラクターの仕草や表情の表現がそれにあたります。E-moteではしゃべってる途中で目をそらしたり、頬を赤く染めたり、もじもじしたりと様々な動きを取ります。中でもキャラクターの目を動かして視線を表現する演出がとてもおもしろく、ただ目が動くだけでキャラクターがどこを見ているか、さらにはどんな気持ちなのかということまで表現できています。
 今までは会話の前後で切り替わる立ち絵(表情)の変化でしゃべってる間の動作(表情)が補完されていましたが[*5]、E-moteではしゃべってる間のキャラクターを動かすことでどのようにしゃべっているかを忠実に再現することが出来ています。
 ただし、E-moteは立ち絵差分の切り替わりの補填を行っているだけなので、E-moteによる動きの演出には多くの制限があります。アニメーション作品のようにどんな動きでも表現できることではありません。その動きの程度は絵素材をどのように用意してどのようにつなぎ合わせるかで決まるでしょう。それは制作者次第です。しかし、今までできなかった立ち絵の動的演出が可能となること、これによってノベルゲームとしての表現の幅が広がることは間違いないでしょう。


*5:テキスト進行中に立ち絵を切り替える演出もありますが、完全に動きがつながっているわけではないので別表現ということで。



(2) 立ち絵の動的演出による視点の支配、あるいはテキストと動的演出の相反性

 E-moteのように立ち絵の動的演出を常時行うとゲームの画面内の構造も変化します。
 ノベルゲームの画面構成は通常、絵とテキストで成り立っています(音についてはまたあとで)。プレイヤーは表示されている絵を見ることとテキストも読みことのふたつを行います。しかし、絵とテキストを同時に見るということはありません。ノベルゲームでは画面に表示されているテキストを読み終わりクリックすると次の画面に切り替わります。その時、テキスト以外に絵の方も切り替えると、プレイヤーはその絵を一瞬確認して、そのあとテキストを読み進めていきます。絵とテキストという別々の場所にあるものに対して画面切り替わる度にプレイヤーは無意識に自分の視点を切り替え、絵を見てテキストを読むという繰り返しをしていくわけです[※6]。


 男の娘の日はあるのでしょうか
   ↑  絵とテキストが同時に表示された時、どうやって読みますか?


 それに対してE-moteでは主人公以外のキャラクターがしゃべっている時、画面上の立ち絵がその動きの程度はあれ常時動き続けます。キャラクターがしゃべっていない地の文であっても時折立ち絵が動くことがあります。そうすることによって起こるのが立ち絵の動きを見続けてしまうためにテキストを読み進められないという現象です。
 プレイヤーは立ち絵が切り替わったのを確認してすぐにテキストを読み進めようとしますが、立ち絵が動いている間は動いている立ち絵を追い続けてしまいます。その間はテキストを読もうにもチラチラ動いている立ち絵の方に目がいってしまいです。人は何か動いているものがあるとどうしてもそちらの方を注視してしまうのでこれはどうしようもありません。通常のノベルゲームのように立ち絵の切り替わりを確認したら即座にテキストを読む工程に移るという流れが阻害されてしまいます。思い切って立ち絵の動的演出を無視してしまうのも手なので実際のところは二択になるのですが、その場合E-moteの動的演出の意味がなくなります。まあ慣れてきたらうまいことテキストを読みながら立ち絵を見るというのも不可能ではありませんが(実際ウィッチズガーデンの場合だとずっと注視しなければならないほど大きく動くことは少ないですし)
 このように立ち絵の動的演出はテキストを読む作業と相反性があります。


*6:クリックして画面が切り替わる際にテキストが表示される前に一瞬間を置いて、意図的に絵の変化を先に見せる手法をとっている作品もあります。



(3) 立ち絵の動的演出による時間支配

 E-moteによって変わるのは画面構造の変化だけではありません。ノベルゲームの時間支配の関係も変わります。
 (2)ではボイスのことを考慮していませんでしたが、ボイス有りの作品は多数あります[*7]。今回E-moteを取り入れた『ウィッチズガーデン』もフルボイスの作品です。フルボイスのゲームの場合、絵とテキストを交互に読んでいくことに加えてキャラクターの声を聞きながらテキストを読むという動作が加わります。絵を見てテキストを読みながらボイスを聞く、この一連の動作の際テキストを読む方がボイスより早いので、テキストを読み終わったらボイスが再生し終わるまで待たずクリックして次のテキストを読むプレイヤーも多いかと思います。
 それに対してE-moteの立ち絵動的演出はキャラクターのボイスと完全に同期されており、キャラクターが動いているのを見ていると同時にボイスを聞くことになります。そしてキャラクターの動きが終わるとボイスも全部聞いたことになり、テキストを読む必要がなくなります。
 つまり、通常のノベルゲームとE-moteでは、絵とテキストとボイスの時間関係が以下のように異なります[*8]。

E-moteの時間支配1


通常のノベルゲームだとプレイヤーが絵を見る時間、テキストを読む時間、ボイスを最後まで聞く/聞かないというのはプレイヤーの自由に出来ますが、E-moteの場合だと立ち絵の動作とボイスが同期されておりそれらの時間が支配的になります。ただしアニメーションやノベルゲームでも時折使われる完全オート進行とは異なり、E-moteは完全に支配的なわけではありません。プレイヤーが時間を支配する選択の余地は十分に残っています。クリックすると動的演出がカットされ、動的演出を全て見る/見ないの選択ができますし、また立ち絵とボイスが同期されているのはあくまでワンテキスト内に限定されています。あるテキストから次のテキストに移る間はプレイヤーが時間を支配します。
 このように時間を支配できるということは制作者の方では時間を演出に組み込めるのでその分演出の自由度はあがります。制作者が狙った通りに読ませることも可能です。しかし、プレイヤーの方にある程度の支配力を残しておかないと、プレイヤーの好きなスピードで読む自由を阻害することにもなります。この辺の関係性は難しいところです。


*7:ボイス以外の情報としてBGMもありますがこれを考慮するとさらに複雑になるので今回は対象外で。
*8:今回、ボイスを全て聞かずテキストを読み終わったらクリックして次のテキストを読むプレイスタイルを前提として話を進めていますがそこはご容赦を。



(4) 立ち絵動的演出の全シーンへの適用

 『ウィッチズガーデン』のように立ち絵の動的演出を全ての場合に適用すると時間的支配度が上がるということですが、それにより起こるのが単純なプレイ時間の増大です。ボイスを全て聞くとなると単純に総プレイ時間は何割も増してしまいます。またプレイ時間の割に話の展開を遅く感じたりも[*9][*10]。私も途中展開が進まなくてまどろっこしい部分はテキストを読むのを優先してところどころ立ち絵の動きを見るのをスキップしたりしました。
 時間的要素以外にも全シーン適用による効果はあります。それがテキストの価値の低下です。テキストよりも先に立ち絵を動かすということは、テキストよりも立ち絵の動きや声の情報が先に入ってしまいます。つまりテキストを読む必要が無い場面が増えます。それはテキストを“読む”よりも立ち絵を“見る”、ボイスを“聞く”場面が増えるということです。“読む”、“見る”、“聞く”の違いが実際プレイヤーにどのような影響を与えるかは一概に言いにくいですが、制作者はそれに合わせて作品を作り込んでいかなければならないでしょう。
 また、立ち絵の動的演出も先に述べた通りアニメーションのように完全ではないので、先に立ち絵が動いてしまうとテキストでしか表現できない微妙な動きの情報を表現するのは非常に難しくなります。表現の幅を広げているだけのように見えて、狭めている部分もあるわけです。


*9:そう感じたのはウィッチズガーデンの共通部の展開がゆっくりしていたからだけかもしれませんが……
*10:キャラクターのしゃべるスピードが遅かったりすると全部聞くのにストレスが溜まっていくという悲劇が起こるので制作する際にはそれだけは注意した方がいいかもしれません。



(5) 動く立ち絵と動かない一枚絵

 立ち絵が動くことによって際立つのが動かない一枚絵です。『ウィッチズガーデン』では、立ち絵はE-moteを用いて動かしていましたが一枚絵には適用されていませんでした。立ち絵があれだけ動くので、動かない一枚絵を見るとしょんぼりしてしまいます。一枚絵も短い時間だけ表示されていたり、差分による切り替わりが多い分には問題無いのですが、あまり動きがない状態が続くと残念に感じます。また、立ち絵が表示されている際の背景も動きません。しかし、背景まで忙しく動き回られるとどこを見ればいいのかさらにわからなくなるので、動かすにしても少しだけで良いでしょう。
 背景や一枚絵にまでE-moteを適用するのはコスト的に厳しいのかもしれないので、その辺は保留でしょうか。ただ立ち絵と一枚絵の落差だけはなんとかしたいところです。



(6) 回答1…ドラマティックモード

 立ち絵の動的演出を最後まで見ていたらテキストを読む必要がなくなったという事象に対して、制作者が推奨しているのがドラマティックモードの適用です[*9]。ドラマティックモードというのは、オートモード再生時キャラクターのボイスが再生されている状況ではテキストウインドウが消えるモードです。ボイス再生時はテキストを読まずただ絵を見て声を聞くのみとなります。
 今までシステム内に実装されているゲームはいくつかありましたが、非常に使う意義が薄かった機能です。しかしE-moteによってその価値が少し上がったのではないでしょうか。


 実を言うとオートモードは使ったんですけど結局ドラマティックモードは使いませんでした。
  *11:『ウィッチズガーデン』コンフィグ画面 ドラマティックモード ↑


(7) コスト要件

 E-moteを導入するにあたってはコストの問題が一番に響いてくるでしょう。
  ・システム導入のためのコスト(プログラム)
  ・演出指示の増加(スクリプトの増加)
  ・立ち絵差分の増加
 ざっと思いついたものを並べてみました。それぞれに必要なコストがどの程度のものであるかは実際に私が制作しているわけではないのでわかりませんが少なくはないでしょう。






◆ E-moteの美少女ゲームへの作用

 何故ういんどみるがE-moteを取り入れたのか、それはういんどみるが美少女ゲームメーカーであることに強く起因していると考えられます。E-moteを美少女ゲーム[*12]に導入することによる作用を述べていきましょう。


*12:美少女ゲームといっても十把一絡げでその中にはエロさを追求したものからシナリオを重視したものまで様々なものがありますが、今回はキャラクターの可愛さを重視している作品への作用を検討していきます。いわゆる萌ゲーと呼ばれている作品ですかね。



 
 ↑ ウィッチズガーデン E-moteプロモーションムービー「みんなのE-mote」E-moteの長所を端的に紹介


(1) 可愛いの追求 -仕草という強力な”萌え”の獲得-

 美少女ゲームはお話のおもしろさも大事ですが、キャラクターの可愛さというのも大事なことのひとつです。特に今回E-moteを取り入れたういんどみるのようなブランドだとキャラクターの可愛さというものを第一に考えているように思います。そのようなブランドにとって如何にして可愛い女の娘を描くかというのは、ある種永遠の課題です。それに苦心している制作者も少なくないでしょう。
 その点、E-moteはキャラクターを少しでも可愛く見せるために有効なシステムであるといえます。E-moteでは立ち絵を動かすことによりキャラクターの仕草と表情の変化を表現できます。
 キャラクターの可愛さを演出する手法としてキャラクターの仕草や表情というものはとても効果的です。ただ頬を染めるだけよりも、もじもじしながら頬を染めた方が可愛い。ただ赤くなるよりもうつむきながら赤くなる方が可愛い。目が動いて上目遣いになるところも可愛い。「うん」と頷く仕草とか「違う」と首を振る仕草とか可愛いです。目があっちいったりこっちいったりする動作が可愛いです。つまり……

 E-moteで動く女の娘が可愛いんです!
 普通の立ち絵演出よりも可愛いんですよ!!
 表情豊かにちょこまか動くあやりが可愛いんですよ!!!
 あやりの自己紹介シーンとかとても可愛いんですよ!!!!



 あやりの自己紹介10回以上見てしまいました
  ↑ あやりの自己紹介シーン その動きを一目見て惚れました


 ……ちょっと熱くなってしまいました。
 このようにE-moteによって可能になるキャラクターの仕草と表情の変化がキャラクターの可愛さを演出する手法として一役も二役も買っています。可能なことなら私のE-moteベスト動的演出シーンを切り取ったセーブファイルをお見せしたいところですがブログではそれは少々難しいので、皆さんも製品版(もしくは体験版)をやってみて下さい。E-moteを体感してみるといいと思います。



(2) 絵の品質は落とさず動く

 美少女ゲームでは静止画の状況でいかに可愛く女の娘の絵を描くかということにを追求してきました。それは絵の質が売上に左右するほどに……。
 E-moteはアニメーションのように動かす前提で絵を描いているわけではないので、一枚一枚を切り取った時、どの絵もとても丁寧です。E-moteでは動きを取り入れましが、動いているにもかかわらず絵の質は落ちていないし動きによる違和感もないというのはとても大事なことです。ここもちょっと評価したいポイントです。



(3) たゆんたゆんは良いエロゲー

 『ウィッチズガーデン』のE-mote最大の目玉、それがたゆんたゆんシステム(勝手に命名)です。そう、胸がたゆんたゆんに揺れるんですよ[*13]。女の娘が動くと胸が揺れるという人類の夢[*14]を実現しています!
 『ウィッチズガーデン』ではキャラクターの胸揺れ度を設定することができます。まあ紳士の皆様方は当然MAXのたゆんたゆんにしますよね。私もプレイ時は終始MAXのたゆんたゆんに設定していました。

 ウィッチズガーデン_おっぱいたゆんたゆんシステム
  ↑ たゆんたゆん以外の選択肢は認めない


 『ウィッチズガーデン』をはじめた時、私は胸に釘付けでした。テキストよりもキャラクターの動きよりも、何よりもおっぱいの動きに注目してしまいました。ノベルゲームの演出要件で話したテキストと動的演出の相反性には、動的演出の中におっぱいとそれ以外の相反性も含まれています。いったいどこを見ればいいのか、まあ動いているものがあるとどうしてもそれを見てしまうので仕方ないことです。途中から我慢してなるべく胸部を見ないようにしていました。
 私はこれまでキャラクターの胸の大きさをさほど気にしていませんでしたが、このたゆんたゆんに揺れるおっぱいを見ると、胸の大きさも大事だということがわかりました。大きいおっぱいもいいですね![*15]


 どこをみればわからないけどあやり可愛いでいいや
  ↑ テキストを見ればいいのか、顔を見ればいいのか、胸を見ればいいのか


*13:まあ髪も揺れるんですけど胸と比べるとどうでもいいので
*14:SORAHANE『さくら、咲きました。』より人類の夢 -Dream of Human-
  http://www.sorahane.org/sakusaki/doh.html
  このE-moteもきっと人類の夢のひとつ -Dream of Human たゆんたゆん Edition- でしょう。
*15:ですが、18禁シーンで動かない胸に萎えました。今回のE-moteで一番がっかりしたのはそこです。エロゲーで萎えさせてしまうのはよくないですね。







◆ E-mote演出の可能性

 最後に今回の記事の総括と今後のE-moteの可能性について考えていきます。


(1)E-mote論 総括

 今回、E-moteのノベルゲームに対する演出的要件と美少女ゲームへの作用について検討してきました。E-moteによる立ち絵の動的演出は美少女ゲームにおいて仕草と表情という強力な“萌え”を獲得します。これは美少女ゲームにおいて大きな利点であり、キャラクターの可愛さを追求する上では有益なものでしょう。たゆんたゆんに揺れる胸はとてもわかりやすいアピールポイントです。
 E-moteは利点だけでなくプレイヤーがゲームをする上での変化ももたらします。画面構造や時間支配の変化がそれです。プレイヤーに対する絵とテキストとボイスと時間の関係性については、E-moteの関係性が最適であるとは限りません。演出文法の種々の変化の中でどのような演出を組むか、制作における演出家の役割が増えることでしょう。
 しかし、明らかなデメリットもあり、コストの増大という制作する上で致命的なものも孕んでいます。限られた予算と開発期間に対して導入に踏み切るか否かは制作者次第です。



(2) E-moteの可能性 -E-moteの部分使用-

 仮に予算的都合でE-moteの採用が難しい場合、E-moteを場面全体に適用するのではなくいくつかのシーンに限定して使用するという方法が採れるのではないでしょうか。そうすればもっとE-moteを活用しやすくなるでしょう。
 今回『ウィッチズガーデン』をやっていて感じたのが常時動かす必要は必ずしもないのではないかということです。動いているがその動きが意味の薄いシーンが多々ありまして、そうしたシーンまで動かす必要があるのかと疑問に感じました。立ち絵の動きを全部見ようとするとボイスを全部聞くのと同義になり時間的支配やプレイ時間が増大します。そのため、私も途中展開が進まなくてまどろっこしい所はテキストを読んでところどころ立ち絵の動きを見るのをスキップしたりしました。
 いや、いくつかのシーンはE-moteが本当にぴったりきまっていてとても良かったのですが、それならそういうシーンのみ限定的に動かすのもアリなのではないかと。必要に応じて最大限の効果を発揮するポイントで使用できれば十分効果的なのではないかということです。そのE-moteを活用するのはストーリーの山場やキャラクターの可愛さを演出するシーンなど、萌ゲーに限らず、シナリオ重視の作品にも活用できるのではないでしょうか。
 ただし、いくつかのシーンに限定的に使用する場合、いきなり動かすわけですからその辺の配慮は必要になるかと思います。常時動かすメリットは立ち絵が動くのがわかっていることであり、それが前提で演出を組めることにあるのですから。



(3)今後のE-moteへの期待

 予算的都合がつく場合、『ウィッチズガーデン』のようにE-moteを場面全体に適用することも可能です。そうした場合、総括でも述べたように、演出文法の違いにどうやって対処するか、既存の文法にどうやって溶け込ませるかは課題となるでしょう。
 そしてE-moteで立ち絵の動的演出を行うという試みもまだまだ始まったばかりです。E-moteを用いてどのように動かすことができるのか、どのように動かすのがそのシーンに最適かとうのはまだまだ検討の余地があるかと思います。


 既存の立ち絵演出に付け加える形でE-moteがどのように発展していくか、とても楽しみです。現状ではE-moteは可愛さの追求の面が強いですが、これが物語を演出するための表現の追求として機能していくのに期待しています。



 
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 参考
 ●ういんどみる ホームページ
 ●ウィッチズガーデン ホームページ
 ●立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~
 ●立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~

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[2012.12.12(Wed) 22:17] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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恋愛ゲームシナリオライター30人×30説+ すかぢ論 ~11年にわたる「生の意義」の探求~ 

2012年07月19日 ()

恋愛ゲームシナリオライター30人×30説+


すかぢ論 ~11年にわたる「生の意義」の探求~


論者:udk







初出『恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+』
『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人×30説+』掲載原稿リンク集




続きを読む↓



0. 序文



他人は「私が本当に言わんとすること」を理解できてはならない。

Ludwig Josef Johann Wittgenstein 『青色本』



 これはすかぢ氏に多大な影響を与えた哲学者の著作の命題のひとつである。人が他人を本質的に理解する事は出来ず、それゆえに他人の全てを語る事はできないということを明示している。



語りえぬことには、沈黙せねばならない。

Ludwig Josef Johann Wittgenstein 『論理哲学論考』
『終ノ空』第一章



 私はすかぢ氏と直接の面識を持っていない。直接会った事も話した事もない。ゆえに、私が明晰に語り得るのは氏が世に発表した作品とそれについて氏が記した書物だけである。それ以外については沈黙せざるを得ない。であるからして、本稿では氏について作品から語り得ることだけを記す。






1. 緒言



この作品を…
全ての呪われた生と…
祝福された生に…
捧げる…。

『終ノ空』最終章



 本稿「すかぢ論」のメインテーマ「生の意義」について述べる。人の「生の意義」には二通りの解釈ができる。ひとつが「祝福された生」、もうひとつが「呪われた生」である。「祝福された生」とは、人の世には幸なものも不幸なものもすべて祝福されて存在しているということである。対して「呪われた生」とは、あらゆるものが祝福されて存在しているにも関わらず、「生」は消滅から逃れられない、いわゆる「生とは死に至る病である(*1)」という解釈である。つまり、生とは祝福されていると同時に呪われてもいるのである。この哲学的とも言える「呪われた生/祝福された生」の思想に対し、作品内で自身の「生の意義」を提示したのがすかぢ氏である。

 「生」とは何だろうか? それに対して「死」とは?
 この2つはどんな意義を持つのだろうか?
 神とは? 世界とは? 自己とは?

 すかぢ氏の作品にはこのような人の根源的な命題をテーマにするものが多く、それが一番の特徴である。氏の作品には独特の主張が見られ、それは他の作家に類を見ないものである。本稿では、そのようなテーマの作品を制作するすかぢ氏はいったいどのような人物であるのか、これまでに氏が世に送り出してきた作品からクリエイターとしての氏を評し、また作品のテーマについて考察する。
 本稿「すかぢ論」は以下のように論を進めていく。

0. 序文
1. 緒言
2. すかぢ氏の作家性について ~多才なクリエイター「すかぢ」~
3. 作品から見るすかぢ氏の変遷
 3.1. 『終ノ空』 ~すかぢ氏のはじまりにして祖~
 3.2. 『二重影』 ~「終」に続くは「対」~
 3.3. 『モエかん』 ~萌えと泣き、一般化を目指した結果は…~
 3.4. 『H2O(*2)』 ~メインライターからサブライターへ~
 3.5. 『しゅぷれ~むキャンディ(*2)』/『テレビの消えた日』 ~プロデューサーとしてのすかぢ氏~
 3.6. 『素晴らしき日々(*2)』 ~すかぢ氏の集大成~
4. 11年にわたる「生の意義」の探求
 4.1. 呪われた生/祝福された生とは
 4.2. 『終ノ空』における「生」~立ち止まる者と立ち止まらない者~
 4.3. 『二重影』における「生」~祈りの強さ~
 4.4. 『モエかん』における「生」~世界の美しさ~
 4.5. 『H2O』における「生」 ~前へ進む強さ~
 4.6. 『素晴らしき日々』における「生」~言葉と旋律~
 4.7. 探求の果てに ~すかぢ氏が辿り着いた結論~
5. 結言

 まず、本章にて本稿の概要を述べた後、2章にてすかぢ氏の作家性についてその才能と特徴を述べる。その後、3章にて氏がこれまで制作してきた作品の解説を行う。4章では、本稿の主題である氏の作品のテーマについて言及する。冒頭で述べた氏の作品全てに通ずるテーマ「生の意義」の思想を中心に、各作品のテーマを考察していく。最後に結言をもって本稿の終了とする。

 
(*1) キルケゴール著『死に至る病』
(*2) 本稿では一部タイトルの副題を省略表記する。
 『H2O -FOOTPRINTS IN THE SAND-』=『H2O』
 『しゅぷれ~むキャンディ ~王道には王道たる理由があるんです!~』=『しゅぷれ~むキャンディ』
 『素晴らしき日々 ~不連続存在~』=『素晴らしき日々』







2. すかぢ氏の作家性について
  ~多才なクリエイター「すかぢ」~



 すかぢ氏の各作品について語る前に、まず氏がどのような人物であるか述べていく。すかぢ氏は美少女ゲームの分野で活躍しているノベルゲームの“クリエイター”である。ここでは“シナリオライター”ではなくあえて“クリエイター”と記述した。それは氏がシナリオ単体だけでなく、原画、彩色、演出、監督などゲーム制作の多くの部分に携わっていることによる。シナリオ以外に監督も務めるシナリオライターというのはたまに見かけるが、それに加えて絵も描けるというのはこのすかぢ氏以外にそうはいない(*3)。言うなればマルチクリエイターである。さらにすかぢ氏は、自身の作品をリリースしているケロQ・枕ブランド(株式会社ムーンフェイズ)の代表(*4)も務めている。上記の役職に加え、会社の代表までをも務めている人物は業界広しと言ってもすかぢ氏くらいだろう。
 実際、ゲーム制作の中ですかぢ氏がどれほどのことをしているか、これまでにケロQ・枕ブランドでリリースされた作品と氏が務めた役職を表1にまとめた。


  


表1より、すかぢ氏がノベルゲームを構成する要素のうちの多くを占めていることがわかる。ただし、シナリオに関してはメインライターを務めていない作品もあり(*8)、原画等のグラフィックも複数人で制作が行われている。それでもほぼ全ての作品の企画・シナリオ・監督を務めているというのはただごとではない。氏の負担はかなり大きいだろう。そのことについて作中で言及されたのが以下のシーンである。


自分で出来るからと言って、全て自分でやってしまう人間はろくな人になりませんよ……
自分で出来る事でもあえて他の人にやらせて様子を見る……これが人としての器ではないでしょうか?
私の知っている方で、シナリオと原画とCGと演出素材から背景まで、自分で出来るからと言う理由で全部やろうとしてしまう方がいますが……
正直人間としてどうしようもないですっ

『素晴らしき日々』 第一章 「Dawn the Rabbit-Hole」


この文章はサブライターの藤倉絢一氏が執筆したものと思われるが(*9)、なかなかのすかぢ氏への皮肉っぷりである。上述のようにすかぢ氏はゲーム制作において様々な仕事を自分でやってしまうことができる。だが、氏がそうすることによってディレクションが疎かになり、進行が遅れてしまうという事実も確かである。それはゲーム制作にかかる作業量が増えた近年の作品の延期状況、制作期間の長大化に現れている(*10)。このようにたいていのことはやってのけるすかぢ氏であるが、いつかエンドクレジットがすかぢオンリーのゲームも見てみたいところである(*11)。
 これまでにケロQ・枕でリリースされたほぼ全作品の監督(プロデュース)を務めているすかぢ氏。氏について記すということはすなわち、氏が代表を務める株式会社ムーンフェイズのケロQ・枕ブランドについて語ることと同義であると言えよう。したがって、本稿では氏がメインライターを務めていない作品についても氏の作品として取り扱う。

 
(*3) 都築真紀氏もこの条件に該当する。
(*4) ケロQブランド発足時(1998年)はすかぢ氏ではなくにのみー隊長氏が有限会社ケロQの代表を務めていたが、『終ノ空』発売後~『二重影』の発売前の間に自身が代表となり、その後株式会社ムーンフェイズを設立した。
(*5) 商業18禁PC美少女ゲームに限る。コンシューマ機器への移植作品、コミックマーケット・ドリームパーティー等でのグッズ販売品、原案・監修を務めた小説・漫画等の作品は除く。2009年に発売された『H2O √after and another Complete Story Edition』については『H2O』『√after and another』に比べて新規要素がほぼ無いのでここでは省略する。
(*6) 表1は各作品のエンドクレジット等による。詳しくは「ケロQ・枕エンドクレジットに見るすかぢ率の高さ-udkの雑記帳- (http://udk.blog91.fc2.com/blog-entry-636.html)」を参照。
(*7) 『テレビの消えた日』についてはエンドクレジットには監督(プロデュース)の項目が記載されていないが、書籍等よりすかぢ氏を中心に制作していたことが見て取れるので、すかぢ氏を監督(プロデュース)とする。
(*8) すかぢ氏がこの11年で原案・メインシナリオ。監督を務めたものは『終ノ空』『二重影』『モエかん』『素晴らしき日々』の4作(ファンディスクの『二重箱』『モエカす』を含めると6作)。原案を務めずサブライター・監督として参加したのが『H2O』『√after and another』『しゅぷれ~むキャンディ』の3作。監督としてのみ参加したのが『テレビの消えた日』である。
(*9)『素晴らしき日々 ~不連続存在~ 特装初回版』(ケロQ,2010年)付属『素晴らしき日々 ~不連続存在~ オフィシャルアートワークス』p.62「すかぢロングインタビュー」より。「Down the Rabbit-Hole」の一巡目、幻想世界のシナリオが藤倉絢一氏と記載。しかし、すかぢ氏が書き直した部分も多いとの記述もあるので、藤倉氏と断定はできない。
(*10) 『サクラノ詩』は2003年に制作が発表されたが、未だに発売されていない。
(*11) どれだけ制作に時間がかかるかはわからないが。








3. 作品から見るすかぢ氏の変遷


 本章では、すかぢ氏がケロQ・枕ブランドで制作してきた作品について解説していく。


3.1. 『終ノ空』 ~すかぢ氏のはじまりにして祖~

 ケロQ処女作、すかぢ氏が初めて制作したノベルゲームがこの『終ノ空』である。ノウハウがほとんどない素人集団(*12)が制作したためにかなり荒削りでシステム等も悪いが、この『終ノ空』はすかぢ作品の中で最も氏の思想が色濃く出ている。特に、氏が最も影響を受けた哲学者「ウィトゲンシュタイン」の思想がよく現れている。
 『終ノ空』は1人の少女の飛び降り自殺から始まる狂気の物語を4人の視点で語っていく群像劇である。異色の作風の物語だったことでブランド処女作ながらも多くの注目を集めた。この作品で興味深いのは2点。ひとつはすかぢ氏自身の思想である。『終ノ空』では氏が当時考えていた多くの思想が断片的に語られている。冒頭でも述べた「生」の思想。他には終末思想、高次の存在、世界論、認識論、自己の定義、不連続存在など様々な思想が語られており、作品内から氏の考え方を読み取れるようになっている。
 もうひとつ興味深いのが読み手によって作品の受け取り方が大きく変わるという点である。万人がいれば万人とも違う感想を抱くのではないだろうか。それはまるで作中で見る終ノ空が人によって異なるものであったように…。本作では多くの思想が提示されているのだが、最終的には全て「語りえぬことには、沈黙せねばならない」に集約される。そのため読み手に考えを委ねる部分が大きく、人によってその受け取り方が変わってくる(*13)。
 すかぢ氏の原点たる『終ノ空』、以降氏は『素晴らしき日々』を書き終えるまでずっとこの『終ノ空』(作品に内在するテーマ)に囚われ続けることになる。


3.2. 『二重影』 ~「終」に続くは「対」~

 「終」に続くは「対」。「終」の『終ノ空』に対して、すかぢ氏第二作は「対」の『二重影』である。世界の終末が描かれた『終ノ空』に対して、この『二重影』ではあらゆるものが対になっている島を舞台に時代活劇が描かれた。氏は作品内に「対」となるものを持ち込んで、その対比からテーマを語ることが多い。『終ノ空』では対立する2人の人物と思想が描かれていたが、『二重影』でもまた同様に、2人の人物(2つの影を有する剣士「二つ影双厳」と影のない「無影」)が描かれている。テーマについても『終ノ空』と同じく、『二重影』でも2人の対比を用いて「生」が語られている。『終ノ空』は氏が好き勝手に自分の思想をぶち込んだ、言わば氏そのものの作品であったが、『二重影』は自身の思想から幾ばくか距離をおき、読みやすく、親しみやすい作品を目指したようである(*14)。事実そのようにエンターテイメント性の高い作品となったが、氏そのものだった『終ノ空』と比べるとその訴求力は落ちる。
 『終ノ空』制作時と比べると、資金・人員的に余裕ができ、自由度が大きくなったのもまた確かで、シナリオ量・原画枚数ともに大きく増え、システムも改善された(*15)。作品の完成度自体もこの『二重影』の方が高いだろう。
 『二重影』発売の1年後、番外編等を収録したファンディスク『二重箱』が発売された。


3.3. 『モエかん』 ~萌えと泣き、一般受けを目指した結果は…~

 『終ノ空』『二重影』と美少女ゲームでは異色な作品を制作してきたすかぢ氏。コアなファンを獲得してきた氏が3作目にしてより多くの人に親しんでもらえるように制作したのがこの『モエかん』である。『モエかん』は当時の主流であった「萌え」「泣き」を目指して作った作品で(*16)、萌えっ娘カンパニー・メイド育成所の所長を務める「神崎貴弘」とそこで働く少女達の交流を描いた物語となっている。萌えゲーや泣きゲーの制作経験がなく、それらからほど遠いものを制作していたスタッフによって作られただけあって、主流の萌えゲーからずれた不思議な作品ができあがってしまった。しかし、氏はこの作品の制作から「萌え」「泣き」というのものを少しずつ掴んでいく(*17)。
 ところが制作は難航を極めた。シナリオの増大に伴う複数ライターでの執筆、きついスケジュールで制作した結果、1つのルートが未完成で終わってしまった。その未完成ルートの救済としてファンディスク内で作り直したのが『モエカす』内に収録されている「Route of Kirisima」である。この『モエカす』で一応の物語のオチはついたものの、ここでもまだ完全に物語を終わらせることができなかった。この制作の不十分さはこれからも続いていく。


3.4. 『H2O』 ~メインライターからサブライターへ~

 『モエかん』発売後に発表された新ブランド枕の立ち上げ及び新ライターによる『サクラノ詩』の制作発表。その『サクラノ詩』は依然制作が難航しており、未だ発売されていない。それに変わって枕ブランドで発売されたのがこの『H2O』である。『H2O』では、田舎の村を舞台に目が見えない少年と少女達との交流が描かれた。この作品では藤倉絢一氏が原案・メインシナリオライターを担当しており、すかぢ氏はそれの補佐にまわっている。はじめてサブのシナリオライターとして制作に関わったすかぢ氏。他者の物語にライターとして参加するということで物語の作り方などそこから得られたものも多かったと言う(*18)。また、この頃には氏のブランドのグラフィック・演出表現はだいぶまとまっている。
 『H2O』発売の1年後、『√after and another』が発売され、『H2O』では不十分だった部分を見事補完することに成功している。この不完全な部分を補完する、または作り直すという流れは、『二重影』に対する『陰と影 ~那月島鬼談~』(*19)、『終ノ空』に対する『素晴らしき日々』の制作に続いていく。


3.5. 『しゅぷれ~むキャンディ』/『テレビの消えた日』 ~プロデューサーとしてのすかぢ氏~

 会社代表として、自身がシナリオライターとしていなくてもゲームが作れる状況を目指していたというすかぢ氏(*20)。この目標もこの時期スタッフの育成が実り、ようやく軌道に乗ってくる。シナリオライターとしてかなりの腕を持つ氏であるが、ライターの育成という点では難しかったようで、10年でものになったのは藤倉絢一氏とあと加えるとすれば柚子璃刃氏くらいだろう。反面、グラフィッカーの育成はうまくいっており、ケロQ・枕ブランドから多くの原画家が生まれている(*21)。
 そしてプロデューサーにまわった『しゅぷれ~むキャンディ』と『テレビの消えた日』ではその責務を全うし、無事発売されている。


3.6. 『素晴らしき日々』 ~すかぢ氏の集大成~

 『モエかん』以降長らくメインライターとして作品に関わっていなかったすかぢ氏。久々の新作は『素晴らしき日々』という『終ノ空』を彷彿させる作品であった。この『素晴らしき日々』は『終ノ空』の設定に、「非連続存在(*22)」という氏が10年来(*23)温めていた企画を合わせたものになっている。
 すかぢ氏の原点である『終ノ空』の焼き直し、これには氏も全力で制作にあたったようで、ほぼ全てのシナリオを1人で執筆している。根幹にあるのは『終ノ空』の思想であり、全作品で問い続けた「生の意義」であるが、『素晴らしき日々』はさらにその先を行っており、『終ノ空』以来ずっと囚われ続けた呪縛をついに解くこととなった。氏の10年の集大成にふさわしい作品となっている。その完成度は驚くほど高い。ケロQ作品はその完成度が毎回悔やまれるものが多いが、この『素晴らしき日々』だけは完全に一個の完成された作品であると言えよう。


(*12) ケロQ設立以前、にのみー隊長氏を中心に「ケロッピーディスク」というサークルで同人活動を行っており、このとき既に簡単なゲームの制作経験はある。
(*13) もっともそれは作品が言葉足らずでわかりにくいというのも否めないが…。『終ノ空』は全編通して「語りえぬことには、沈黙せねばならない」を示した作品である。
(*14) 『終ノ空 CG&原画集』(ケイエスエス,1999年)p.96「終ノ空制作スタッフ特別インタビュー」より
(*15) 他のブランド並みのシステムになるのは『H2O』以降である。
(*16) 『モエかん MOEKKO COMPANY 公式ビジュアルファンブック』(ソフトバンクパブリッシング,2003年)p.120「ロングインタビュー ケロQ社史~モエかんへの道~」より。
(*17) 次作『H2O』ではこの経験を活かし、「萌え」方向に関してもよくできている。
(*18) 『H2O ~FOOTPRINTS IN THE SAND~&√after and another パーフェクトビジュアルブック』(アスキーメディアワークス,2008年)p.145「スタッフインタビュー」より。
(*19) 2005年に『二重影』のリメイク・続編として発表されたが、『素晴らしき日々』の制作に加えて『サクラノ詩』の延期が今もなお続いている状態であるため、2009年開発無期限停止状態となった。
(*20) 『素晴らしき日々 ~不連続存在~ 特装初回版』(ケロQ,2010年)付属『素晴らしき日々 ~不連続存在~ オフィシャルアートワークス』p.71「すかぢロングインタビュー」より。
(*21) 2C=がろあ、硯、月音、籠目、日比野翔,いぬがみきら、梱枝りこ、深森、karory(敬称略)を始めとして多くの原画家が生まれている。
(*22) 「不連続存在」とは存在の連続性(1分前の自分と今の自分が同じであるのか)というテーマを元に、1つの肉体に複数の人格が混在し、その人格が不連続に入れ替わること。
(*23) 『scenario-entertainment AriA【アリア】 VOL.1』(FOX出版,2001年)p.36「脅威のロングインタビュー ケロQ SCA-自」より。『終ノ空』企画時から考えていたとある。







4. 11年にわたる「生の意義」の探求


 本章ではすかぢ氏の各作品におけるテーマ「生の意義」について考察していき、最後に氏の探求の成果について述べる。


4.1. 呪われた生/祝福された生とは

 これまでに終末、時代劇、萌えゲー、不連続性など様々なジャンルの作品を出してきたすかぢ氏。氏が原案・シナリオを務めた作品(*24)にはどの作品でも語られている共通のテーマがある。それは「生」とは何か?何のために「生」は存在しているのかということである。この「生への意義」を語るにあたって、氏は「呪われた生/祝福された生」という言葉をもって作中で「生」の疑問を提示している。

 
生とは死に至る病だ。
生まれるとは、相対的な死を約束される事だ。
生まれてこなければ死は来ない。
無と死は違う。
生があるから、
死はある。
生がなければ死は存在しない。
生とは…死に至る病そのものだ。
だから生まれた子供は、生まれた事を呪っている。
だけど生は祝福もされている。
生きようとする意志。
生を動かすのは、生への祝福と呪われた生。

『終ノ空』最終章


 世界には善と悪があり、幸と不幸がある。しかし、そういうものとは関係なく、世界は在る。神にとっての祝福とは、人間が言う善悪をこえ、存在する全てに等しく与えられる。すなわち、生とは祝福されている=「祝福された生」である。しかしすべての生は、存在しているのに関わらず消滅から逃れられない。「生」とは無価値である。すなわち、生とは呪われている=「呪われた生」でもある(*25)。
 これは、「赤子の誕生」という例を用いて『終ノ空』『素晴らしき日々』では以下のように語られている。

 
神様なんて世界にいない
それどころか、この世界に生まれるのは呪いに似たものだって……
だってさ、死んじゃうんだからさ
どんな幸せも終わる
どんな楽しい時間も終わる
どんなに人を愛しても……どんなに世界を愛しても……
それは終わる
死という名の終止符を打たれて……
だから、この世界に生まれ落ちるって事は呪いに似たものだと思ってた……
だって、幸福は終わりを告げてしまうのだから……
それが原因なのかさ……何度か同じ様な夢見てたんだよ……
そう、夢……赤ちゃんの夢
うん、怖いね……私が泣き出すぐらいに……恐い夢……
生まれたての赤ん坊がいるんだよ……誰が生んだのか知らない……
いや……もしかしたら、私が生んだのかもしれない……
だから、私はうれしかったんだと思う
うん、うれしかった……
それでさ……その赤ん坊は泣くんだね……おぎゃ、おぎゃ、ってさ……
うれしくて、私とかも笑うんだよ……周りのみんなも一緒に……
それは祝福なんだよ
生命に対する……祝福
だってさ、単純にうれしいからさ……赤ちゃんがこの世界に出てきてくれて……ありがとうって……
だから世界は生の祝福で満たされる……
でもさ……でも私は気がついちゃうんだよね……
あ……違うって……
その時、私は一人で恐怖するんだよ……すべての笑顔の中で私だけが恐怖するの……
だってさ……気が付いちゃうんだもん……その子は世界を呪っているんだってさ……
生まれた事を呪っている事に……
みんなの笑顔の中で、私だけ凍り付く……祝福に包まれた世界で……一人……
その時、私は思うんだ……その赤ん坊の泣き声を止めなきゃいけないって……私は、生まれたての赤ん坊の首を絞めて……その人生をそこまでで終わらせなきゃいけないってさ……
だって、生まれるって呪いだもん……
少なくとも生まれたばかりの子供はそう考えている……だから……
その呪われた生を終わらせるために……
でもさ……当たり前だけど……出来ないんだよね
おぎゃ、おぎゃ、って泣いてる赤ん坊の首を締めるなんて出来ないよ……
なんでだろう……赤ん坊は生を呪っているのに……でも私はその生を断ち切る事が出来ない
しなきゃいけないのに……出来ない……
んでさ……私さ、うわん、うわん泣いちゃうんだよ……そんな事現実では全然ないのにさ……
そのうち……赤ん坊の泣き声がね……普通に
普通になってるのに気が付くのね……
普通に……おぎゃ、おぎゃって泣いてるんだよ……
その声を聞きながらさ…私は良かった、と思うんだ……
そして、祈るんだよ……この命に幸いあれ……って

『素晴らしき日々』第六章「JabberwockyII」

 
 この「呪われた生/祝福された生」の思想に対して、すかぢ氏の各作品のキャラクター達はどのようにして「生の意義」を見出していただろうか?


4.2. 『終ノ空』における「生」~立ち止まる者と立ち止まらない者~

 『終ノ空』では、立ち止まる者「水上行人」と立ち止まらない者「間宮卓司」の対比によって「生の意義」が描かれている。どちらも「呪われた生/祝福された生」の思想に対し、それぞれ違う形で対処しようとした。
 「水上行人」は自分の生きる意味/存在の意味について考えるうちに行き詰まるようになる。それを彼は、ただ立ち止まって「生」と「死」を見つめることでその意義を見出した。それに対し「間宮卓司」は、ひとつの事件をきっかけに生の無価値さに気付き、生の意義を「死」に見出そうとする。新興宗教を起こして空に還り(=死)、世界を終わらせて新たな世界へ至ることに意義を見出したのである。


世界は終わらないからこそ、世界の終わりを怖がる。
終わらない事と終わる事は表裏一体。
それは対になってこそ存在を許されている。
俺たちは不条理な生におびえている。
生まれた事を呪っている。
生と死は対になっている。

『終ノ空』第四章


『終ノ空』はこの2人の2つの思想が描かれた物語であった。


4.3. 『二重影』における「生」~祈りの強さ~

 『二重影』でもまたこの思想が語られている。『二重影』では、死を恐れる者「無影」と生を生きようとする者「二つ影双厳」の対比によってそれが描かれている。
 「無影」は、死を恐れ、呪われた二重影の儀式に手を染めて永遠の生を手にしようとする。しかし、自身の失策によってそれは阻まれ、彼は永遠の生を手に入れるどころか死してしまう。それに対し、「二つ影双厳」は二重影の呪いによって生を脅かされるも、その呪いを食い止めながら日々を生きていく。しかし、守ろうとしていた者の死によって、自分を見失ってしまう。そんな双厳を救ったのが「祈り」である。


人の生は呪われ、そして、人の死は祝福される
人はまた生まれた者を祝福して、死んだ者を悲しみます。
すべては無明の中に消えていきます
それでも人は…祈るのです。すべての者のために
すべての死者と生者のために…
目を開けて…祈りは人の希望…信じて…双厳さま…

『二重影』十二日目


人の生は呪われ、そして、人の死は祝福される。しかし、人は「祈り」によって生を祝福し、また死者を弔うことで生への希望を見出すことができる。さらに人を愛することで「生の意義」を得ることができる。この「祈り」によって、「二つ影双厳」は「生」を思い出し、ヒロインを愛する気持ちをもって「生の意義」を手にし、自己を取り戻した。
 『終ノ空』では、立ち止まって見つめる事/立ち止まらず死の先に進む事で「生の意義」を見出した。それに対し、『二重影』では、「祈り」によって生への希望を見出したのである。


4.4. 『モエかん』における「生」~世界の美しさ~

 さらにその先の『モエかん』ではどうだっただろうか。『モエかん』では「冬葉」という少女のシナリオで「生の意義」が描かれている。「冬葉」は自分の能力を使って、人の痛み(不幸)を取り除き、祝福を与えようとする。しかし、痛みというものは善人にも悪人にも存在しているものである。神の祝福は全ての者に与えられるが、その祝福された者も最期には皆死を迎える。「冬葉」はそのことを悟るもなお全てを救おうと全ての痛みを背負ってしまい、無理をして心を壊してしまう。『終ノ空』や『二重影』ではその事実を受け入れる、もしくは別の価値観・目的を見つける事で「生の意義」を見出そうとしたが、『モエかん』では素直に事実を受け入れてしまったがために心を壊してしまう少女が描かれた。
 その少女に対し、どのような解決方法をもって救済したのか。それは「世界の美しさ」「生の美しさ」によって解決された。世界は様々な問題や矛盾を抱えているが、この「世界」そのものは美しく、それは確かに存在している。心を閉ざしてしまった「冬葉」は、「神崎貴弘」の献身的な看病の過程で「世界の美しさ」「生の美しさ」というものを認識し、心を再び開いていく。そうして「生の意義」を見出したのが『モエかん』の冬葉シナリオであった。


4.5. 『H2O』における「生」 ~前へ進む強さ

 このように3つの作品でそれぞれ「生の意義」を問うたすかぢ氏。しかし、以降氏は作品を作る意義を見失う(*26)。それは『終ノ空』の物語上で「幸福」や「恋愛」を否定し、「HAPPY END」の存在すらも否定のスタンスをとっていたことによる。それに「現実がつらいのに、なんで物語の中までつらい思いをしなければならないんだ」というユーザーの意見を受け止め、スランプに陥って自身の物語が書けなくなってしまう。
 それから幾年か経ち、その問題に自身の決着がついて、藤倉氏の作品『H2O』に参加する。藤倉氏はすかぢ氏と違う思想をもっており、それが作品内で神と人の関係を語ったところに表れている。『H2O』では「神は人を祝福している」「つねに人に寄り添って歩いている」という優しい世界が描かれた。そしてそこから「前に一歩踏み出すことの重要性」が描かれ、これまでのすかぢ氏の「呪われた生/祝福された生」の世界とは異なる世界観であった。氏は自身の「生の意義」の決着をつけるべく、前に一歩を踏み出して『素晴らしき日々』を制作する。


4.6. 『素晴らしき日々』における「生」~言葉と旋律~

 『H2O』からいくつかの作品を経て、自らの考えをまとめる作品として執筆したのが、処女作『終ノ空』をもとにした『素晴らしき日々』である。「言葉」と「旋律」がテーマの『素晴らしき日々』では「生の意義」をどのように見出していただろうか。それは「間宮卓司」の肉体に宿る3つの不連続存在によって語られている。「水上由岐」「間宮卓司」「悠木皆守」の3人の人物。このうち、「水上由岐」と「間宮卓司」は『終ノ空』の「立ち止まる者」と「立ち止まらない者」にあたる。そして、「悠木皆守」をもって『終ノ空』では描かなかった第三の思想が描かれている。
 「間宮卓司」は生きる意義を見失い、自分が理想とする人格を生みだしてその人格に全てを任せようとする。ところが、一人の少女の飛び降り自殺を契機に彼は覚醒することになる。母親から教わっていた新興宗教の教義を思い出し、「生の意義」をそこに見出す。そして自らを救世主として宗教を打ち立て、人を空に還す(=死)ことで「呪われた生」から解放されようとする。
 それに対し、「水上由岐」がまず取ったのは、生を見つめる事。見つめることで、「言葉」「美しさ」「祈り」の三つの力から「生の意義」を見出した。


人は死を知らず……にも関わらず人は死を知り、そしてそれが故に幸福の中で溺れる事を覚えた……
絶望とは……幸福の中で溺れる事が出来る人にだけ与えられた特権だな
そうだね……でも、だからこそ人は、言葉を手に入れた……
空を美しいと感じた……
良き世界になれと祈るようになった……
言葉と美しさと祈り……
三つの力と共に……素晴らしい日々を手にした
人よ、幸福たれ!
幸福に溺れる事なく……この世界に絶望する事なく……
ただ幸福に生きよ、みたいな

『素晴らしき日々』第六章「JabberwockyII」


しかし、由岐はその思想をもったまま死してしまう。
 「悠木皆守」は、その「水上由岐」の思想をもってさらに前へ一歩踏み出す。彼はもともと消滅する人格であった。けれど最後、「水上由岐」に教わった「生の意義」を思い出し、校舎から飛び降りている「間宮卓司」に変わって、生を掴むのである。その後、彼は「素晴らしき日々」を手にする。生を見つめ立ち止まるだけではなく、そこから前に進んだ「悠木皆守」、彼こそすかぢ氏が辿り着いた第三の思想だろう。


4.7. 探求の果てに ~すかぢ氏が辿り着いた結論~

 『終ノ空』では、「呪われた生/祝福された生」から生じる「生への意義」に対して「立ち止まる者」と「立ち止まらない者」の2つの思想が描かれたが、この2つの思想というのはどちらもその根本的な解決方法ではなかった。この『終ノ空』を受けて、『二重影』では、それを乗り越える手段として「祈り」の強さが描かれた。そして『モエかん』では、「世界の美しさ」が描かれた。『素晴らしき日々』では、それに加えて「言葉と旋律」が描かれた。
 そして『素晴らしき日々』では、「言葉」「美しさ」「祈り」、この三つの力をもって「生の意義」を見出した。その「生の意義」とは


幸福に生きよ!

Ludwig Josef Johann Wittgenstein 『草稿 1916年7月8日』
『素晴らしき日々』第六章「JabberwockyII」


この一文に集約される。「幸福に生きよ!」これこそが、すかぢ氏が最も言いたかったことだろう。言葉にすると簡単なことだが、それをどのようにして実践していくか、作中でキャラクター達がどのようにして幸福を目指して生きようとしていたか、そこから読み取れることは多い。そして、この「幸福に生きよ!」の先にあるのは「素晴らしき日々」である。『素晴らしき日々』の正史からそれた各「HAPPY END」ではキャラクター達が幸福に生き、「素晴らしき日々」を送っている。

 「幸福に生きよ!」、さすれば、「素晴らしき日々」が待っている。

これが氏の11年にわたる「生の意義」の探求で辿り着いた結論だろう。


(*24) 『終ノ空』『二重影』『モエかん』『素晴らしき日々』の4作品。
(*25) 『モエかん MOEKKO COMPANY 公式ビジュアルファンブック』(ソフトバンクパブリッシング,2003年)p.124「ロングインタビュー ケロQ社史~モエかんへの道~」より。「呪われた生/祝福された生」の解説を参考。
(*26) 『素晴らしき日々 ~不連続存在~ 特装初回版』(ケロQ,2010年)付属『素晴らしき日々 ~不連続存在~ オフィシャルアートワークス』p.67「すかぢロングインタビュー」より。







5. 結言


 本稿では、11年にわたる「生の意義」の探求と題して、すかぢ氏の作品と氏が主張する「生の意義」についてまとめた。2章では氏の多才な才能とそれによる制作への影響を述べた。3章では、氏がこれまでに制作してきた作品がどのような意図で作られ、どのような作品であったかを述べた。4章では、氏が11年にわたって作品で語ってきた「生の意義」について述べた。「幸福に生きよ!」、さすれば、「素晴らしき日々」が待っている。これが氏の11年にわたる探求で辿り着いた結論である。
 これまですかぢ氏原案の作品は全て氏の「生」への思想が含まれていた。『素晴らしき日々』の制作によってこの思想がひとつの解決を見せた今、今後制作される氏の作品はどのようなものになるのだろうか?「幸福に生きよ!」の先に待っているものは?次に氏がメインライターを務める『サクラノ詩』で描かれる“その先”に注目したい。








 参考:恋愛ゲームシナリオライタ論集30人30説 あとがき#2 by すかぢ論論者 udk
    :エロゲーシナリオライタ論集1人×1オナヌー 「すかぢ論」 すかぢ作品に見る男性器の象徴
    :カテゴリ -素晴らしき日々-(udkの雑記帳)
    :『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人×30説+』掲載原稿リンク集







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[2012.07.19(Thu) 00:45] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(1) 見る▼
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by いずみ
素晴らしい考察ですね

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恋色空模様 演出考 ~脱紙芝居。紙芝居から人形劇へ。演劇的立ち絵表現の追求~ 

2012年04月11日 ()


恋色空模様 Amazonのページへ
タイトル     恋色空模様
メーカー     すたじお緑茶
発売日     2010年3月26日
演出       亞部まとま , 秋山構平 , らんど
プログラム   秋山構平
ディレクター  亞部まとま



続きを読む↓



◆脱紙芝居、紙芝居から人形劇へ

 ノベルゲームのことを“紙芝居”とはよく言ったもので、画面上の絵の移り変わりが少なく、坦々と文字を読み進めていく様は的を得ているでしょう。背景絵にキャラクターの立ち絵(もしくは一枚絵)だけを表示させて場の情景を提示し、他は文章で語るスタイルは、絵を一枚見せてあとは語りで補っていく紙芝居とよく似ています。
 そんな紙芝居という俗称を持つノベルゲームですが、本作『恋色空模様』は従来の紙芝居ゲームからは一歩と言わず二歩も三歩も進んだ“脱紙芝居”ゲームとなっています。
 キャラクターが何かしゃべる度に画面上の立ち絵が切り替わり、そして場面の情景やキャラクターの動作に関してはテキストや一枚絵を使わず極力立ち絵の配置と動きで表現するスタイル。その演出スタイル自体は他のノベルゲームでも試みられてきましたが、本作が他のノベルゲームと一線を画する所は“立ち絵の配置”と“立ち絵の動き”の自由度の高さです。立ち絵の配置を工夫することによって一枚絵さながらの特殊な構図を生み出し、画面上を所狭しと立ち絵が動き回る様は言うなれば“人形劇”。立ち絵という人形を使って演劇を行っている『恋色空模様』にはぴったりです。



◆演劇的立ち絵表現の追求(1)立ち絵配置による舞台形成

 画面内のどんな場所にも自由自在に立ち絵を表示できる技術、それは従来の多くのノベルゲームで独立して存在していた立ち絵と背景を組み合わせることが可能になり、新しい意味を創造できるようになります。そうしてできるのが背景と立ち絵を組み合わせた新しい構図。従来の立ち絵演出では難しかった一枚絵さながらの特殊な構図を生み出すことが可能になります。
 それは人形劇(演劇)における、舞台と人形(役者)の役割に似ています。人形劇で言う舞台はノベルゲームにおける背景であり、人形はノベルゲームにおける立ち絵に置き換えることが出来ます。演劇が舞台の中で役者を自由に配置させることが出来るように、本作の立ち絵もまた背景中の好きな位置に配置させることが出来ます。ただ背景中の好きな位置に配置するだけでなく、立ち絵を拡大縮小したり、背景の小道具をレイヤーとして捉えることによって、空間の中でどこにいるのか奥行きまで演出できていました。

 立ち絵配置による舞台形成について詳しくは以下の記事にて
 ●立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~



◆演劇的立ち絵表現の追求(2)立ち絵による運動表現

 配置が自由に出来るだけではまだまだ劇というには届きません。劇には”動き”があります。その”動き”までをも本作は表現しようとします。しかも”動き”を表現するのはアニメーションではなく、あくまで立ち絵で。
 立ち絵配置による舞台形成によって自由に立ち絵を配置させることが出来るのなら、あとはそれをつないでいけば動きの過程も表現が可能。立ち絵を右に左に、前へ後ろへ、拡大縮小し、動かすことでキャラクターの動きを表現することに成功しています。舞台形成や動きを補うのがいくつもある立ち絵の差分で立ち絵のポーズ差分・表情差分は一般的なゲームのそれを大きく上回ります。
 こうして歩くことも走ることも、騎馬戦だって剣の試合だって、様々な表現が可能になります。動きとしてはまだまだぎこちないところも多いですが、それが何をしているのかは十分伝わりました。
 このようにして、立ち絵による舞台形成に動きの要素が加わることで表現の幅は格段に上がっていました。もう舞台内を自由に動き回れる人形劇と大差ないでしょう。

 立ち絵による運動表現について詳しくは以下の記事にて
 ●参考;立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~



◆演劇的立ち絵表現への追従 可変型テキストウィンドウ

 演劇的立ち絵表現へ追従するのが、可変型テキストウィンドウです。立ち絵によって形成された舞台や運動表現をテキストで邪魔せず見せるようにとテキストウィンドウもそれに準じて位置と大きさを自由に設定できる可変型を採用しています。多人数の会話や同時発言もこのテキストウィンドウによって簡単に表現できています。

 可変型テキストウィンドウについて詳しくは以下の記事にて
 ●参考:テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性



◆演劇的表現の複合による相乗効果

 本作の演劇的表現を追求する姿勢として、(1)立ち絵の配置(2)立ち絵の動き(3)テキストウィンドウ、の3つの特徴的な表現をあげました。これらは、誰が、どこで、何をして、何をしゃべっているか、ということに対応します。これらの表現により視覚的な表現が可能になる場面が増えました。
 そしてこれらの表現が複合的に組み合わさることによって、それぞれの表現がより一層活かされていきます。可変型ウィンドウによってウインドウ位置を自由に動かせるので、立ち絵をより自由に配置し、動かすことができます。そして、立ち絵での表現が増えることで地の文を減らし、会話文を主体にでき、可変型テキストウィンドウの利点を引き出す形になります。テキストでわかりにくい表現を立ち絵で表現していく、立ち絵で補える表現は立ち絵に置き換えていく、それが本作の姿勢でした。そうすることで特定のシーンだけでなく、ほぼ全編通して、立ち絵による舞台形成と立ち絵の動きによる運動表現を実施できたのはひとつの達成です。
 本作はゲームの演出デザインの方向性をうまく組み合わせ、演劇的表現をより確固たるものにしていました。



◆演劇的表現の作品への作用

 このように表現方法として演劇的表現を使用するための技術的条件が整いました。
 さて、これらの演出表現が作品にどう作用していたでしょうか。

 本作のシナリオ構成は3部にわけられます。仲間達と賑やかな学園生活を過ごす第一部、仲間達と協力して廃校問題を解決する第二部、ヒロインといちゃいちゃする第三部の三部構成です。この“仲間達と”の部分が本作の演出がうまく作用していたところです。
 画面中に何人もの立ち絵を配置して形成される舞台は、何人もの仲間と過ごしている日常を、仲間達が確かにそこにいるということを実感させます。第二部の神那島クルセイダーズで10人以上の仲間と協力して問題を解決していった際に、主人公の側に供にいる仲間達がいる情景を描くことができたのは大きな意味を持っていたことでしょう。
 そして立ち絵の動きは仲間達との賑やかな日常を演出します。立ち絵の配置で場を作り、それを積極的に動かすことで楽しげな空間を生成します。可変型テキストウィンドウが見せる多人数でしゃべる光景も、何人もの仲間達との会話を盛り上げていました。
 本作は、多くの登場キャラクターを出し、それらのキャラクターと楽しい日常生活を送り、困難に立ち向かうシナリオを表現するための手段として演出がうまく作用していました。



◆演出姿勢と今後の展望

 本作で見られたどんなものでも立ち絵で表現しようとする姿勢、確かにそれはこれまで述べてきたように上手く作用していました。ですが、それがいつ時でも作品にとって本当に素晴らしかったものかというとそれは違います。なんでも立ち絵で表現するというのは、それが必ずしも最良の結果であるとは限りません。
 本作では行き過ぎた演出がいくつも見受けられました。立ち絵で表現していて確かに凄い、だけど、その表現の中にはそれを是としがたいものも多くありました。あまりの出来に苦笑が浮かんだり、シリアスなシーンで醒めてしまうものなど、演出が足を引っ張っているものもありました。無理矢理ちゃぶ台のまわりに10人も座らせたり、道を走らせたりするのはその良い例です。
 時には足を止め、考えることも必要ではないでしょうか。ある表現に関して立ち絵で表現可能かどうか制作現場内でやってみるのはとても良いことです。しかし、その結果生まれた表現が果たしてその場に即しているか、もっと検証を重ねていかなければならないのでしょうか。もしその演出表現が場にふさわしくないのであれば、よりふさわしく見える表現を開発するもしくは別の代替表現に変えるというのも考えていかなければならないのでしょうか。立ち絵で表現するかテキストで表現するか、それとも一枚絵や別の方法で表現するか、その時々に最適な表現というものがあるはずです。必ずしも立ち絵で表現する必要はないはずです。本作は技術先行と見られる表現が多々見られました。
 
 本作を見る限り、立ち絵を使った表現に関しては他のブランドには無い独自性を持っています。本演出考の前半でも示しましたが、表現の幅という観点で見ると本作がとても広いものを持っているのがわかります。ですが、その幅広い表現が可能であるからこそより表現の選択が必要になってくるのではないでしょうか。

 それができたら立ち絵の変化に溢れた最高の人形劇作品ができあがるでしょう……いや、そうなるともはや人形劇と言うには失礼かもしれません。本物の人形劇とは一味違うゲーム媒体独自の表現をふんだんに使った作品がそこにはできあがることでしょう。







 参考
 ●立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~
 ●参考;立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~
 ●参考:テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性





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[2012.04.11(Wed) 23:17] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(1) 見る▼
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ノベルゲーの拡張 by 近代衣服の残響
一連の考察、興味深く拝読しました。

ノベルゲーは、もはや「ゲーム」ではないのかもしれない、と、当方は以前から思うようになりました。
じゃなにか、というと、映画や小説のような、「メディア=容れ物」じゃないか、と。
無理にゲーム性云々に拘って(例えばクリックという行為がゲーム性である、みたいな言説、というか言い訳)「ゲーム」であろうとするよりは、「紙芝居」である、と割り切って、ならばこれは「新たな物語の展開形式」とみなした方がすっきりするのではないか、と。散々言いつくされたことかもしれませんが。

そこで、今回の考察を読んで、じゃあノベルゲー/紙芝居/人形劇はどこに該当するのか、というと、小説・映画・舞台・漫画、といったもの(アニメはまだ遠いように思えます)の中間地点にあるメディア、だと思いました。
それを活かすか、自覚することなく殺すかは、この先のクリエイターによるところだと思いますが、しかし今回のudkさんの考察は、「ノベルゲーに何が出来るのか」の再確認と言う意味で、興味深かったです。(これは以前のedenの一枚絵オンリー構成/演出とリンクする部分がある、とも感じました)

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テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性 

2012年04月10日 ()

◆可変型テキストウィンドウについて


 ノベルゲームのテキスト表示方法というと全画面表示型とテキストウインドウ型のふたつに大きく分かれます。


 優しさと半分の精子で出来てる論
  ↑ 全画面表示型

 お、ナヌー
  ↑ テキストウィンドウ型



 このうち、テキストウィンドウ型は上の画像のようにウインドウの位置と大きさが決まっている固定型が多いのですが、それとは別にウィンドウ位置と大きさが定まっていない可変型があります。



 可変ウィンドウ_かみのゆ

 可変型テキストウィンドウ_鬼ごっこ


 この可変型のテキストウィンドウですが、固定型にはないおもしろさがあります。今回はその可変型テキストウィンドウ(※1)について固定型と比較しながら考察していきます。

 可変型テキストウィンドウもいろいろ種類があって、全種類を網羅して検討していくのはとてもじゃなく面倒なので今回は『恋色空模様』のタイプを中心に話を進めていきます。このエントリーを立てたのもこの次の演出考のためなのでわりきっていきます。ノベルゲームにどんなウィンドウがあるのかについてはこちらをどうぞ。


 恋色空模様の可変型テキストウィンドウの紹介をしていきます

 
 この可変型テキストウィンドウ、一番の目立つのはウィンドウ位置が一箇所に固定されていないところです。画面下部に固定されているタイプのものと違い、画面上の好きな位置に表示することができます。でもいくら自由な位置に配置できるからといって好き勝手やるとさすがに読み手の方がしんどいので、発言者の近くにテキストウィンドウが表示されるようになっています。
 主人公の場合だけ特別で、これは作品によって違うので一概には言えませんが(※2)、『恋色空模様』の場合だと主人公の発言や考えていることは他のキャラクターがいない場所(主に画面中央)に表示されます。他のキャラクターの発言とちょっと区別しにくいところです。


 どういうことをするんでしょうね
  ↑ 主人公の発言


 ウィンドウのサイズは自由に設定可能で、文字数に応じて広くすることも狭くすることも可能です。
 ざっとこの辺が可変型テキストウィンドウの主な仕様です。



続きを読む↓


◆可変型テキストウィンドウの特徴


 では次に、この可変型テキストウィンドウを採用することで、どのようなことが可能になるのか、それとは逆に不利になったことは何か考えていきましょう。(1)会話表現(2)可読性(3)画面構成、3つの観点から話を進めていきます。


(1)会話表現

 可変型ウィンドウの良いところは会話表現が豊かになるところです。誰がしゃべってるのか判別できるということで、多重発言が容易だったりします。またテキストウィンドウを使った視覚表現ができるというのも良いところです。以下に例を3つあげます。


(a)誰がしゃべっているのかわかりやすい

 誰がしゃべっているのかというのをテキストウィンドウの位置で示すことが出来ます。
 複数のキャラクターが乱立している時はちょっとしんどいですが、こんなことも可能だということで。
 難があるとすれば主人公の発言だけちょっとわかりにくいところでしょうか。
 ※恋色空模様の場合、加えてキャラクター毎にテキストに色を割り振って誰がしゃべっているかを補っています。


 怖い表情をしている美琴の横で平気な顔をしている子はいったい……



(b)多重発言

 固定型と可変型に大きな違いが出る表現と言うと、この多重発言です。
 固定型の場合、一度に複数のキャラクターの発言を表示させようとすると、誰がしゃべっているか表示する必要があるのでややわかりにくいです。
 可変型の場合、いくつもテキストウィンドウを表示させられるので、同時複数の発言も簡単に表現することが出来ます。


 立ち絵が座る瞬間

 一度に大勢の発言が出るとちょっと怖い

 9人からのダメだし
  ↑ フェイスウィンドウと組み合わせたりも(一種のギャグ表現)




(c)発言者の位置

 キャラクターがどこにいるのかもテキストボックスを使って表現することが出来ます。


 恋色空模様_発言者の位置01
 恋色空模様_発言者の位置02
  ↑ 男二人は女の娘にやられて足許で這いつくばっています



(2)可読性

 可読性という点では固定型に劣ります。可変型の場合テキストウィンドウがあっちこっちに移動するので、その都度追っていくのは少々疲れます。慣れればどうということはないんですけど、はじめはちょっとしんどいですね。そういうわけで速読もちょっとやりにくいです。
 また、長文に不向きなのもあります。ウィンドウサイズがその時々で変わって改行の位置が安定してないので長文が少々読みにくいです。会話文が主体の見せ方になるので、地の文が多いとしんどいでしょうか。


 いから3Pに持ち込めと……
  ↑ わざと地の文を長文にしているネタ



(3)画面構成

 可変型だと自由な枠組みが可能になります(※3)。画面構成を自由に組むことが出来るので、その都度自由な配置が可能になります。
 絵で見せたい部分がある時は、その位置にウィンドウを配置しないようにしたりと。
 固定ウィンドウがないので、開放的に見せることもできます。
 絵を全面的に見せることも可能で、絵を押し出していきたい場合には有効なのではないでしょうか(※4)。
 冒頭にあげた吹き出しのようなテキストウィンドウの場合、吹き出しを画面デザインのひとつとして画面構成を組んでいくことも可能です。


 解説の教頭さん
  ↑ 立ち絵を避けた位置にテキストウィンドウを配置


 

◆恋色空模様と可変型テキストウィンドウ


 今回取り上げている恋色空模様のよくできているところは可変型テキストウィンドウの利点を活かした作りになっているところです。ウィンドウを自由に動かせるので、立ち絵を自由に動かすことができ、立ち絵で表現することで地の文を減らし、会話文を主体とすることに成功しています。ゲームデザインがよくできていました。


 以上、可変型テキストウィンドウの特徴をあげてみました。可変型テキストウィンドウは自由な画面構成を組むことができ、それに多彩な会話表現が加わり固定型とは違う場を生み出すことができます。一方、可読性という点では少々弱くなってしまうということもあります。
 こうのような点を踏まえつつ、どのようなテキスト表示スタイルを目指すかは制作者次第です。
 その選択肢として可変型も場合によっては十分にあり得るのではないでしょうか。











※1:可変型の他に吹き出し型と呼ばれることもあります。
※2:主人公の発言は中央に吹き出しのように出て、地の文は固定型テキストウィンドウ(画面下部)に表示されたり、全画面で表示されたりするタイプのものも有り。
※3:固定型でもやり方によっては構成を自由に組むことも可能なのですが、可変型ほどではないということで。
※4:恋色空模様ビジュアルファンブックより。絵を見せたかったという記述有り。



 参考:立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~ -udkの雑記帳-
     立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~
     恋色空模様 演出考 ~脱紙芝居。紙芝居から人形劇へ。演劇的立ち絵表現の追求~-udkの雑記帳-





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[2012.04.10(Tue) 22:57] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~ 

2012年04月08日 ()
 

◆立ち絵が走る時


 ノベルゲームではお馴染みの立ち絵ですが、ここで問題です。立ち絵を使って背景の中の道を走らせるにはどうすればいいでしょうか?


 恋色空模様_立ち絵が走る時_00000



 画面上で立ち絵を画面外に動かすことによって走ることを表現することもできますが……



 そこで、アンジェの出番です!アンジェは廊下に飛び出した


 ここでは道の上を走らせることとします。
 アニメーションを使ってもできますが、ここでは立ち絵を使って走る動作を表現することとします。


 答えはこちら↓


続きを読む↓










 恋色空模様_立ち絵が走る時_0001
 恋色空模様_立ち絵が走る時_0002
 恋色空模様_立ち絵が走る時_0003
 恋色空模様_立ち絵が走る時_0006
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 恋色空模様_立ち絵が走る時_0011
 恋色空模様_立ち絵が走る時_0013
 恋色空模様_立ち絵が走る時_0015
 恋色空模様_立ち絵が走る時_0016




 はい、走りましたー。
 背景奥(画面左上)から手前に向かって立ち絵が移動していっていることがわかります。画像だけだと動くスピードは伝わりにくいかもしれませんが、ゲーム中では結構早く動いていくので走っているというのがわかります。上の画像は走っている様子を断片的に捉えたものになりますが、実際、ゲーム中ではこれがもっと滑らかに走っています。
 立ち絵だけでこんな風に走る状態を表現できるんですね。ちょっと……いや、かなり無理はありますが、走っているというのは十分に伝わります。


 さて、これを実現するためには技術的にどのようなことが必要になるかというと……前回の記事で紹介した「立ち絵配置による舞台形成」をそのまま使っています(プラスで立ち絵の角度指定技術も追加)。キャラクターが走っている地点ごとに立ち絵で場面を形成し、それをつなぎ合わせて走っている様子を演出しています。さらに、つなぎ合わせる際に立ち絵を少しだけ上下させて走っている様子を表わしています(画像からは伝わりにくいかもしれませんが……)。

 立ち絵の配置+つなぎ合わせの演出、『恋色空模様』ではこのふたつを使って立ち絵で動きを表現することに成功していました。



 恋色空模様_立ち絵の運動10001
 恋色空模様_立ち絵の運動10003
 恋色空模様_立ち絵の運動10004
 恋色空模様_立ち絵の運動10007
 恋色空模様_立ち絵の運動10010
 恋色空模様_立ち絵の運動10013
 恋色空模様_立ち絵の運動10021
 恋色空模様_立ち絵の運動10024
 恋色空模様_立ち絵の運動10027
 恋色空模様_立ち絵の運動10034
 恋色空模様_立ち絵の運動10037
 恋色空模様_立ち絵の運動10039


 ヒロインふたりが戦っているシーンです。時間的にはこの動きにだいたい1秒くらいかけています。竹刀を振りかざす子とそれを避けている子の様子を立ち絵でうまく表現しています。立ち絵を拡大縮小させながらの移動とエフェクトを混ぜ合わせることで戦っている様子を演出しています。これだけの動きを表現するにはスクリプトの調整がかなり大変そうですが、それを難なく実現しています。

 このように走る以外にも立ち絵を使った運動表現をいくつも行っていました。
 


 立ち絵を動かして動きを表現する演出自体は他のブランドでも試みられていますが、この「立ち絵の配置+つなぎ合わせの演出」に関しては『恋色空模様』のすたじお緑茶のレベルは他と比べるとかなり高めです。
 このようにして、立ち絵による舞台形成に動きの要素が加わることで表現の幅は格段に上がりました。
 以前より広がった動きの演出で生み出される新しい表現に期待していきたいところです。








◆テキストに取って代わっていく立ち絵 -文章から脚本へ-


 さてこの記事とひとつ前の記事で恋色空模様では立ち絵で様々な表現が行われていることを示しましたが、これによって影響を受ける要素があります。そのひとつがテキストです(※1)。
 立ち絵の配置と立ち絵の動きの演出で表現される前、もともとはテキストがそれらの情報を読み手に伝達する役割を担っていました。キャラクターがどこにいて何をしているかはテキストで表現していたわけです。それが立ち絵で表現されるようになると、当然テキストの該当する描写は削除されます。これは何も恋色空模様に限った話ではなく、立ち絵や一枚絵などの絵による演出が盛んなノベルゲームのほとんどがあてはまります。テキストを絵の表現に置き換えていく流れはそうした作品の中で存在しています(もしくは音声演出によって音(声,SE)に置き換えていくという流れも)。地の文がどんどん減っていてほとんどが会話になっている感じですね。
 
 極論ですが、文章(テキスト)に絵と音がついてできあがっていた昔(※2)と比べると、今は脚本(テキスト)と絵と音があってできあがっているとでも言いましょうか。小説のような「文章」というよりも映像分野のような「脚本」になっています。もともとゲーム内のテキストは全て文章ではなくて脚本だとも言えるんですけど、テキストによる表現が取って変わっていっているのを見るとそう表現したくなります。

 別にテキスト表現が減っていって寂しいとかそういうわけではなくて、テキストでしか表現できなかったものが絵で表現できるようになってきたなぁと。
 表現の選択肢が増えて、いろんなことができるようになりました。
 ゲーム媒体は表現の多様性という意味では広いので、その場その場で最適な表現を目指して欲しいですね。









※1:立ち絵演出重視のノベルゲームではテキストとは別に一枚絵に立ち絵が取って代わっている傾向も少しばかりありますが、それはまた別のエントリーで。
※2:ノベルゲームにおいて今よりもテキストが中心だった時代(10年以上前)。



 参考:立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~ -udkの雑記帳-
    テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性 -udkの雑記帳-
    恋色空模様 演出考 ~脱紙芝居。紙芝居から人形劇へ。演劇的立ち絵表現の追求~-udkの雑記帳-
    演出論的覚書:Ⅰ章2節:すたじお緑茶の立ち絵演出 -cactus backyard- 




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[2012.04.08(Sun) 19:17] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(3) 見る▼
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汎用絵 by 近代衣服の残響
twitterで仰っていたこの言葉、このブログを通して、「うむ、確かに、こと今に至っては、その方が妥当なのかもしれない」と思いました。

「立ち絵」には「棒立ち」のニュアンスがあったと思います。昔から。
それは差分が今ほどではなかった時代ゆえのことなのですが(つまりはリソースの問題)、こうも演出が変わってくると、ただヌボーっと突っ立って漫才させるだけ、では収まらない……とつくづく思いました。

どこが「後ろ姿立ち絵」のはじめだったでしょうか……(一般的にはぱれっとが始祖、と言われてますが)そのあたりから、紙芝居ノベルゲーの「紙芝居」のあり方が変わってきているように思えます。まるで人形劇のような。

by udk
 見たままを表わすなら「立ち絵」
 機能/制作上の使われ方を表わすなら「汎用絵」

になるでしょうか。立ち絵の使われ方が多様化して立ち絵が様々な意味を持った作品では「汎用絵」と言ってもよいのではないかと考えています。

 一部のノベルゲームの「紙芝居」から「人形劇」への移り変わりについては今回の演出考察シリーズの最後で話題に出すので、楽しみにしていただけたらと。

by 職場のマナー
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~ 

2012年04月04日 ()
 

◆立ち絵が座る瞬間


 ノベルゲームではお馴染みの立ち絵ですが、ここで問題です。この立ち絵を使ってキャラクターが座っている状態を作るにはどうすればいいでしょうか?



 何の変哲もない立ち絵


 キャラクターが座っている立ち絵を新規に書き起こすというのもひとつの手ですが、ここでは通常の立ち絵(立っているポーズ)を使用することとします。
 答えはこちら↓



続きを読む↓
















 立ち絵が座る瞬間


 はい、座りましたー。
 ちゃぶ台にうまく隠れるように立ち絵の位置を調整して、あたかも座っているように見せかけています。
 うまい立ち絵配置のひとつです。

 では、次に、このちゃぶ台に10人のキャラクターが座っている場面を作るにはどうすればいいでしょうか?
 答えはこちら↓























 恋色空模様_10人座り


 はい、10人座りましたー。
 立ち絵の配置をうまく調整して、10人のキャラクターが座っているように見せかけています。
 ちょうど主人公がいるであろう場所もしっかり空けて。
 ちゃぶ台に10人が勢揃いしている場面は若干……どころではなくやりすぎ感が漂いますけど、こんな無茶なこともできるようです。



 今例に挙げているすたじお緑茶の『恋色空模様』では他にも様々な場面で立ち絵が座っていました。


 座る校長

 座る紳士



 なかなか見事な腕前です。どれもちゃんと座っているように見えます。


 さて、このように立ち絵を座らせるためには、技術的にどのようなことが必要になるかというと……

 (a)画面上X,Y座標の任意の位置に対象物(立ち絵・背景)を配置可能であること。
 (b)対象物(立ち絵・背景)を任意の値に拡大・縮小することが可能であること。
 (c)対象物(立ち絵・背景)のレイヤーを自由に設定可能であること。
 (d)背景が複数の絵を組み合わせたものであり、背景中のある絵のレイヤーだけを自由に調整可能であること(上記の画像で言うちゃぶ台のレイヤーが自由に設定可能であること)。

 簡単に考えると上の4条件が必要になるのではないかと思われます。他にも必要な条件はあるかもしれませんが、大事なのはこの4条件でしょう。
 (技術案件とは違いますが、立ち絵の差分を多く用意しておくことも重要です)



 『恋色空模様』では座っている以外に他にも……


 あとは教壇があれば完璧
 金髪ツインテールの悪魔



 集会や下駄箱での風景といった難しいものもうまく表現しています。このように、立ち絵の配置を工夫することによって、一枚絵とまではいきませんが、それに近い特殊な場面を生み出すことに成功しています。
 『恋色空模様』ではこのような立ち絵の配置を工夫した演出が随所に見られました。この背景における立ち絵の配置を利用した舞台形成に関してはすたじお緑茶は現状ではトップクラスでしょう。

 一応、こうした表現は他のブランドでもいくつか見ることが出来ます。


 このうちひとりはデフォルトで座っているキャラだったり……
  ↑晴れときどきお天気雨(ぱれっと,2011)

 立ち絵と一枚絵の区別が難しいところですが、おおそらくこれは立ち絵的素材
  ↑魔法使いの夜(TYPE-MOON,2012予定)


 このようにいくつかの先進的なブランドでは立ち絵による舞台形成が試みられています。
 一枚絵さながらの場面を作れるこの演出、効果的に使えば、既存の素材を組み合わせて様々な状況を生み出せることでしょう。








◆立ち絵配置による舞台形成へ至るまで



 立ち絵配置による舞台形成ですが、この背景と立ち絵の位置関係というのはノベルゲームの発展と共に進化していった側面を持っています。



(1)その昔、背景と立ち絵はそれぞれ独立した機能を持っていました。立ち絵はそこにいるキャラクターを、背景はそのキャラクターがいる場所をそれぞれ表わしていました。背景の中で立ち絵が立っている位置にキャラクターがいるわけではありません。立ち絵と背景は別々の意味を持っていたわけです。


 高次元の認識に向かい!上りたまえ!



(2)それから立ち絵の位置をある程度調節できるようになり、立ち絵と立ち絵の位置関係からキャラクターの距離感、立ち絵の大きさから視点人物との距離感(遠近感)を表わすことができるようになりました。


 科学部部長のお言葉
  ↑3人のキャラクターの距離感
 弁証法的螺旋階段! 高次元の認識に向かい、上りたまえ
  ↑視点人物と他のキャラクターの距離感



(3)さらに立ち絵を自由な位置に配置させることができるようになると、背景を舞台に立ち絵を使って一種の場面を形成することができるようになりました。


 ギャーーー!!

 戦闘シーンです



 つまり、どういうことかというと……
 (1)での立ち絵は、背景の場所にキャラクターがいることを表わす。
 (2)での立ち絵は、背景の場所でのキャラクター同士の距離感を表わす
 (3)での立ち絵は、背景の中でキャラクターがどこで何をしているのかを表わす。


 このように独立した役割を持っていた立ち絵と背景が、背景の中に立ち絵を埋め込むことによって共存しているわけです。背景と立ち絵を組み合わせることで新しい意味を生み出すことに成功しています。

 こうして並べると、ノベルゲームの演出の進歩の一例(※1)を見ることができます。
 新しい技術で、新しい何かができるようになって、新しい表現が生まれる。その技術というのはもともとこんな表現をやりたいというアイディア(要求)によって生まれたものです。この進歩はアイディアと技術のふたつがうまく合わさった結果と言えるでしょう。
 そしてそれだけではなく……、立ち絵と背景を組み合わせて場面を形成するのは、従来の立ち絵演出と比べてかかる労力(スクリプト作業※2)がとても大きいと想定されます。技術を以てそれを成し得たことも評価できるポイントのひとつでしょう。



 ノベルゲームならではの表現技法“立ち絵”、その立ち絵も配置によってこれほどのことができるようになりました。この立ち絵配置による舞台形成で、テキストでは表現しきれなかった新しい表現が行われることに期待していきたいところです。







※1:もちろん、これとは別の方向に進歩していった作品もあります。
   例:背景の中にキャラクターを書き込む手法など。『腐り姫』Liar,『ef』『eden*』minori他
※2:スクリプトを打ち込んでいく作業も大変ですが、どのようにキャラクターを配置するかという点でシーン毎に配置を考える演出的な作業も時間がかかるようになると考えられます。





 参考:立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~ -udkの雑記帳-
    テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性 -udkの雑記帳-
    ノベルゲームの演出が行き着くところ ~ノベルゲームの技術進歩と未来~ -udkの雑記帳-
    恋色空模様 演出考 ~脱紙芝居。紙芝居から人形劇へ。演劇的立ち絵表現の追求~-udkの雑記帳-
    演出論的覚書:Ⅰ章2節:すたじお緑茶の立ち絵演出 -cactus backyard- 
    演出論的覚書:Ⅲ章1節2款:ぱれっとの空間的演出 -cactus backyard-





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[2012.04.04(Wed) 21:30] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(4) 見る▼
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by cactus
 拝読しました。連載の途中でコメントを差し上げることに躊躇もありますが、書かせていただきます。前半部分、立ち絵のスクリプト指定によって様々な視覚描写が可能になるというご指摘は適切だと思いますが、後半部分――そうした表現が試みられてきた経緯――についていくつか疑問があります。
 一つは、「AVGは当初は、背景画像は場所を、立ち絵は人物を、それぞれ別個独立かつ抽象的に示すものだった」という認識について。『ポートピア~』のようなドット絵の時代ならいざ知らず、少なくとも「サウンドノベル」(『かまいたちの夜』1994年)乃至は「Visual Novel」(『雫』1996年)に関しては、それが成立した最初の瞬間からすでに、人物画像と背景画像のすり合わせと組み立てによる画面構築は存在しました、あるいは、そうするのが当然でした。むしろ、我々が現在知るような「立ち絵/背景」のきれいな二分法は、人物と背景の柔軟で複合的な組み立ての中から次第にシステマティックに分離され整理されてきたものではないかと思います。つまり、この記事で仰っている「ノベルゲームの発展」のプロセスは、立ち絵の機能と可能性に関する「論理的」な説明の順序としては非常にクリアで説得的なものですが、実際の「歴史的」経緯としてはむしろ逆ではないかと思われます。ここで想定しておられるような抽象的な立ち絵/背景システムは、AVGのプロトタイプにすでに存在していたものなのではなく、またその歴史の比較的初期のある時点でそれなりに優勢であったとしてもそのタイミングを歴史上の原点と見做すべき理由も無く、そして実際には常に例外的な実験作――例えば『終ノ空』『白詰草話』『Forest』――の中にのみ現れ続けてきたように思います。
 具体例に即して述べますと、例えば1994年『かまいたちの夜』では、人物画像は単色影絵形態ながらすでにその都度の背景画像に正確に組み込まれた形で画像制作されていました(例:階段の途中から見下ろす姿、ソファに腰掛ける姿、玄関口に現れた遠景の姿、等々)。1996年の『痕』でも、仏壇に向かって正座する姿やベッドに寝そべる姿などの「立ち絵」が使用されています。AVGにおいて「立ち絵/背景」の明確な二分法が確立されたのは『To Heart』(1997年)あたりが契機かと想像されます(私も当時の状況はよく知りません)が、さらに2001年、『君が望む永遠』や『はるのあしおと』においても、立ち絵による空間表現や立ち絵の背景への嵌め込みははっきりと意識されているのが見て取れます。
 もう一つ。立ち絵による着座表現のために必要な技術的条件について。トリヴィアルな話になりますが、立ち絵のサイズ変化は「任意」の倍率である必要は無いと思います。その作品のデフォルトと見做されるサイズから、「大きい」形態と「小さい」形態とが識別できればよいので。実際、そうしたサイズ差分は、スクリプトエンジンによって拡縮制御されている場合もありますが、そうではなくて単純にサイズの異なる数種の画像がデータとして用意されているという場合もあり、そして距離感表現の表現効果を評価するうえで双方の違いは重要ではありません。
 あと、minoriもこの流れに属する一例と捉えてよいのではないかと思います。特に『eden*』では、ああ見えて汎用立ち絵もわりと使用していた憶えがあります。
 いずれにせよ、個別的な「演出技法」の話を超えた、AVGに関する正格の「表現システム論」の水準での貴重な論考に、たいへん考えさせられました。立ち絵がどこまで/どのように記号的でありあるいは写実志向的であるのか。立ち絵スクリプトが舞台を作り出していくのか(緑茶)、それとも背景が積極的に舞台を提供していくのか(minori?)、あるいは応用として中間形態(ぱれっと)や複合形態(clochette)にどのような可能性があるのか。などなど、視野が広がりそうです。
 (長文失礼しました。)

by udk
 丁寧なコメントありがとうございます。
 このシリーズは全4回の予定なので連載というほど長くはありませんが、よろしければもうしばらくお付き合い下さい。

 少々遅くなりましたが、コメントの方のレスを。



立ち絵と背景の経緯について -ToHeart以前-

 定かではありませんがToHeart以前以降という括りで話を進めていきます。
 ご指摘の通りサウンドノベル時代の経緯としては怪しいものになっています。『ToHerat』以降の流れとしての発展になっていますね。これについては補足が必要になりそうです。
 立ち絵と背景の区別が意識されていなかった時代から、立ち絵と背景を二分する方にシフトしていった流れは検討してみるとおもしろそうですね。マルチウィンドウのシステムが廃れてしまったようにその時代に何があったのか、というのは興味をそそられます。


立ち絵と背景の経緯について -ToHeart以降-

 これはおそらく私とcactusさんの認識がずれている部分だと思います。私はPC美少女ゲームのうち、ノベルゲーム分野では現在でもほとんどの作品が「立ち絵と背景は独立している」と考えています。本記事で示した(2)の場合だと、立ち絵と背景は独立していると捉えています。『終ノ空』は別に例外ではないでしょう。むしろ例外なのは、立ち絵を背景に溶け込ませるように配置させている作品です。
 偶然、立ち絵を背景とマッチできるように配置できている作品はたまにありますが、絶えず意識して立ち絵と背景を組み合わせて場面を作ろうとしているブランドはごく少数です。minoriやぱれっとはその少ない中の例です。minoriは『はるのあしおと』以降演出を大きく変えていて、演出の手段のひとつとして立ち絵(汎用絵)を背景と組み合わせるということもなされています。ぱれっとは立ち絵と背景が独立しているシーンがほとんどですが、比較的実現容易ないくつかの限られたシーンについては徐々に立ち絵と背景を組み合わせが行われていっています。clochetteは未プレイなので、コメントができないです。
 背景と立ち絵が独立している作品群の中に、緑茶、minori、ぱれっとのように立ち絵と背景を組み合わせる表現を進めていっているブランドがあるというのが私の認識です。


立ち絵サイズの拡大縮小について

 緑茶の演出基準で考えていたら拡大縮小の機能も必須の技術要件と考えてしまいました。あらかじめ拡大縮小した画像を用意しておくのは確かに有効でしょう。拡大縮小した画像を数パターン用意するだけで良いのならそれで十分だと思います。広義での差分を多く用意するということになります。
 ゲームエンジン上で拡大縮小ができないとしんどいのは拡大縮小が何種類も必要な場合でしょうか。その都度立ち絵の大きさを調整して場面を作成したり、立ち絵を移動させながら拡大縮小したりする緑茶レベルの演出の場合でしょうか。ぱれっとがやってるレベルだと無理に倍率調整しなくともなんとかなりそうですね。



 今回は『恋色空模様』を中心に話を進めていきますが、他のブランドでどのような演出が行われているかということもいつか検討していきたいです。さしあたってclochetteに少々興味が……。

by cactus
 お返事ありがとうございます。
 立ち絵画像と背景画像の独立性に関するお互いの立場の違いは、「認識がずれている」(認識の違い)というよりは、用語法の違いに還元できる面もあるように思われます。現在の大多数のAVGタイトルは、「正面構図の背景画像と、その背景画像の形状に対して《それなりに》マッチしている立ち絵正対画像の中央/並列表示」という組み立てで成り立っています。こうした立ち絵のサイズ及び位置指定は、その瞬間毎の特別の具体的描写を行うものではないにしても、少なくとも、《それらしく見えるように》――つまり、立ち絵が水上や車道や机上に立っているようには見えないように――最低限の配慮がなされているのが通例です。もしも本当に理念上独立に扱われ得るならば、(例えば『Forest』のように)遠景俯瞰の背景画像や宙空に浮いた立ち絵表示を採用しても構わないわけですが、ほとんどの作品は「(曲がりなりにも)地に足の着いた」形で背景+立ち絵の組み立てを行っています。そのように、”積極的”な表現を行っているのではなくとも、「違和感を与えない」という程度の”消極的”なすり合わせはたいていの作品で確保されています(――引用しておられる『素晴らしき日々』画像では明らかな齟齬が見られますが、私はこれをレアケースとして認識しています)。このような「弱い整合性配慮」について、udkさんは「偶然、立ち絵を背景とマッチできるように配置できている作品はたまにあります」と仰っていますが、私見では(1)それらは偶然ではなく意図された構図選定に基づくものであり、かつ(2)それらはけっして少数ではなく広く行われている一般的な制作上の考慮だと考えており、そして(3)私はこれを「具体的(写実志向的)な組み立てが存在しない=『絶えず意識して立ち絵と背景を組み合わせて場面を作ろうとしている』わけではない=独立性がある」という捉え方の側に寄せるのではなく「具体的(特定的)な"強度の一致"は無いが、弱い(消極的な)整合性配慮は確かに存在する」という側に寄せて分類しているということです。結局のところ、明示的な相互独立スタイル(『終ノ空』『白詰草話』『Forest』『シャルノス』『空帝』『忍流』等)と、具体的な嵌め込みスタイル(『はるおと』『オルタ』『片恋いの月』『eden*』『ましろ色』等)という両極の間には、「弱い(消極的な)整合性」の豊かで多様な中間項が広がっており、その中間項をどちら側に引き寄せるかの問題であるように思われます。

by udk
 コメントありがとうございます。独立である/独立でないの二元されていたものに中間を取り入れることでより整理しやすくなりました。
 これでだいぶ私とcactusさんの間のすり合わせが行われたと思います。

 ・明示的な相互独立スタイル
 ・弱い(消極的な)整合性
 ・具体的な嵌め込みスタイル

 この3つに分類するとして「弱い(消極的な)整合性」を独立であるか独立でないかとするということですね。これ以上は個々人の感覚によるところなので、「弱い(消極的な)整合性」をどちらとするかはおいておきましょう。

 その「弱い(消極的な)整合性」に含まれる作品群の中でも、そのすり合わせがどの程度行われているかというのは作品によって異なるでしょう。すり合わせがうまくいって立ち絵との齟齬が少ない作品もあれば逆に齟齬が多い作品もあります。そして、それは作品内でも、すり合わせがうまくできている背景と全くできていない背景があると考えられます。本記事であげた『素晴らしき日々』の画像は決してレアケースではありません。背景絵をいくつも用意できる作品ではその都度場面にあった背景を用意することができますが、用意できる背景絵が限られている場合簡単に齟齬が生じてしまいます。本記事の『素晴らしき日々』の2枚目の画像の場合、授業中の背景絵はこれ一枚であり、授業中は全てこの背景を使用しなければなりません。そのために授業中に登場人物が起立しているこの状況では全て齟齬が生じているわけです。このような状況はこのシーンだけに限りませんし、他の作品でも見られるものです。逆に『素晴らしき日々』でも比較的齟齬が少ない場面もあります。背景の構図指定がうまくいき、立ち絵の配置条件も整った結果、作品内で「具体的な嵌め込みスタイル」と大差ないレベルの場面が作られることはあると思います。


 3つに分類するとしても境界上の作品があったり、その中でもどの程度分類の趣旨にあった作品になっているかは、作品がいくつも存在している限りケースバイケースになってしまうので難しいですね。

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「何のためにあるのか?」 フェイスウィンドウ考察 

2012年03月20日 ()

◆フェイスウィンドウって?

 ノベルゲームにはフェイスウィンドウというものがある作品が存在します。


 ゆうべはお楽しみでしたね
  ↑祝福のカンパネラ(ういんどみる,2008)


この絵でいう画面左下のキャラクターの上半身(顔)が表示されている部分です。キャラクターの顔を切り取り、枠の中に表示させていることからフェイスウィンドウと呼ばれています。今回はこのフェイスウィンドウについてどうしてこんなものがあるのか考察していきます。




◆他ジャンルの画面構成 -RPGを例に-

 もともとこのフェイスウィンドウ、ノベルゲームよりも他のタイプのゲームで見る機会が多い表現です。

 空の軌跡シリーズはシナリオ的には碧の軌跡が一番ですかね
  ↑空の軌跡 the 3rd(Falcom,2007)

 空の軌跡というRPGの一場面です。画面上のキャラクターの台詞が表示されているウィンドウにしゃべっているキャラクターの絵がいっしょに表示されています。どうしてこのフェイスウィンドウがいるかというと、それは作品の画面構成によります。
 この作品の場合、画面は3つの要素で構成されています。

 ① 背景……キャラクターがいる場所の様子を示す
 ② ドット絵……背景の中でキャラクターのいる場所とキャラクターの大まかな様子を示す
 ③ テキストウィンドウ……キャラクターの会話を示す

これらの要素を使ってストーリーを展開していきます(ゲーム部分はまた別の構成になりますが)。
 ですがこれだけだと不便なところもあって……ドット絵の場合、キャラクターの外見の詳細や表情はわかりません。そこで、フェイスウィンドウの出番となるわけです。キャラクターの表情を絵で出すことでテキストを読まなくても簡単な喜怒哀楽がわかるようになっています。これがRPGで使われるフェイスウィンドウの一例です。



◆ノベルゲームの画面構成

 では、ノベルゲームの話に戻ります。RPGでもストーリーを語るという要素はありますが、ノベルゲームの場合、選択肢という要素以外のゲーム要素がほとんどなくなり、ストーリーを語ることを特化させた形式のゲームとなります。ノベルゲームの場合、画面構成は以下のようになります。テキストが画面全体に表示されるタイプの作品もありますが、今回それは省きます。

 バニッシュだ!
   ↑はつゆきさくら(Saga Planets,2012)

 ① 背景……視点人物から見た現在地の情景
 ② 立ち絵(一枚絵)……視点人物から見たキャラクターの大まかな様子を示す
 ③ テキストウィンドウ……キャラクターの会話、視点人物の心情等を示す

先に例に出したRPGと比べて違うのは、ドット絵が立ち絵になっているところですね(RPGでも立ち絵っぽいのが使われることもありますけど、ノベルゲームの方が強い要素なので)。また、RPGは第三視点から俯瞰した情景を表示しているのに対し、ノベルゲームでは主視点から見た情景になっていて語り方も変わってくるのですが、これについては割愛。
 背景/立ち絵(一枚絵)/テキストウィンドウ、この3要素がノベルゲームを構成する大きな要素です。

 で、これにフェイスウィンドウが加わっている作品が存在します。ノベルゲームの場合、立ち絵でキャラクターの表情を表現できるのに、わざわざテキストウィンドウの横にフェイスウィンドウを付け加えています。どうしてこんなことをするのでしょうか?
 というわけでフェイスウィンドウの役割を考えてみました。




◆フェイスウィンドウの役割
(1)制作コスト


 ひとつには制作コストの制限によるものがあります。立ち絵の差分を多く用意するというのはそれなりのコストが生じます。しかし、立ち絵ではなく表情だけの差分でいいとしたら、描かなければならない量が減るのでコストを大きく減らすことが出来ます。

 ごらんの有様ではありません
  ↑魔法少女アイ2(colors,2002)

 このような作品の場合だと、立ち絵はただキャラクターがいるということを表示しているに過ぎません。キャラクターの表情差分は全てフェイスウィンドウで表示されるので、立ち絵は文字通りただ立っているだけです。魔法少女アイの場合一枚絵時の差分にもフェイスウィンドウが関わってくるのですがそれは(5)で。


(1’)制作方法

 また、制作コストとも関わってくるところですが、作品の立ち絵の使われ方もまたフェイスウィンドウの採用の可否を握るところです。
 戦闘シーンやHシーンが多いゲーム等では立ち絵よりも一枚絵が主体となり、立ち絵のバリエーションを用意するよりもとにかく一枚絵をたくさん用意しなければなりません。そこでそれほど多くない立ち絵のシーンはフェイスウィンドウで済ませるという方法をとることもあります。

 村正の画面構成はとてもおもしろいので、いつか考察したいところ
  ↑装甲悪鬼村正 邪念編(2010,NitroPlus)




 このようにフェイスウィンドウは制作上の都合で使われてきましたが、近年、再びフェイスウィンドウを使用する作品が増えてきています。




(2)ウィンドウのワイド化

 ここ数年のPCディスプレイのワイド化に伴い、PCノベルゲームもまたワイド画面にシフトしていっています。ワイド画面になってもテキストウィンドウはどこまで大きくできないので、画面下部のスペースが余ってしまいます。そのスペースにフェイスウィンドウを入れている作品が増えてきています。デザイン的にフェイスウィンドウを挿入してるのもあるかもしれませんね。
 ①であげた装甲悪鬼村正もワイドディスプレイならではの画面の使用方法です。



 しかし、ワイド化でフェイスウィンドウを追加したような作品では立ち絵の差分は十分に存在しています。立ち絵を全て用意してなお、フェイスウィンドウも実装しているのです。


(3)テキストの横にあった方が読やすい

 ノベルゲームの画面においてユーザーの視線は主にふたつの場所を行き来します。それはテキストの表示部分とグラフィックの表示部分です。ユーザーは基本的にテキストを読んでいきますが、立ち絵等のグラフィックが変化すると視線がそちらに移動します。意識せずに何万回と上下の往復運動を行っているわけです。
 この視線の移動が少なければ、それだけ読む分には楽になります。フェイスウィンドウの場合、立ち絵を気にせずに読むことも出来るので、テキストとその左のバストアップを並べて読むことができ、負担を減らすことが出来ます。

 ユースティアやった方がいいんでしょうかねぇ
  ↑穢翼のユースティア (August,2011)



余談:フェイスウィンドウと立ち絵と

 しかし、近年では演出上、立ち絵を動かす作品の割合も増えてきています。その場合、立ち絵の方を見なければならないので、フェイスウィンドウのお役ご免です。フェイスウィンドウの得意なところは立ち絵演出によって消えてしまうわけです。この場合、立ち絵とフェイスウィンドウ、どっちを見ればいいんでしょう?通常立ち絵とフェイスウィンドウとテキストウィンドウの3つとなるとちょっとしんどいです。実際は無意識的に切り替えているのかも知れませんけど。



(4)誰が何をしゃべっているか

 立ち絵がない画面外のキャラクターの発言時、誰の発言か、フェイスウィンドウがあればわかりやすいです。発言者の名前がついてあったり、ボイスでも判別が効きますが、フェイスウィンドウも一役買うことが出来ます。

 ハイパーハイスピード! スッキュゥゥンッ!
  ↑Hyper→Highspeed→Genius(ういんどみる,2011)

 ドクター・ウエストである
  ↑斬魔大聖デモンベイン(NitroPlus,2003)

 参考:「今、誰がしゃべっているのか?」のエロゲ的表現の分類と考察 -散録イリノイア-



(4’)誰がいるか

 位置可変型テキストウィンドウ(吹き出し式、ボックス式)を採用している作品では以下のように誰がいるかをフェイスウィンドウで表わすことも出来ます。


 演出的にいろいろ見所がある恋色空模様
  ↑恋色空模様(すたじお緑茶,2009)



(5)一枚絵の時の表情差分

 立ち絵だけでなく、一枚絵が表示されている状況であっても、フェイスウィンドウを表示することが出来ます。一枚絵は立ち絵とは違い、特殊な状況であっても表現できる便利さを備えていますが、立ち絵に劣る部分もあります。それが差分です。
 一枚絵の場合、差分を作り、いくつもの表情をキャラクターに持たせることはそのために作られた立ち絵のそれよりも難しいです。ですが、一枚絵にフェイスウィンドウを表示させることによってそれを簡単に補うことが出来ます。

 フェイスウィンドウ_ゆあ日記1
 フェイスウィンドウ_ゆあ日記2
 フェイスウィンドウ_ゆあ日記3
  ↑your diary(CUBE,2011)


 しかし、そうすることによって起きるのが一枚絵の価値の低下です。一枚絵が表示されても表示されたその時以降は、一枚絵の切り替わりを除いてフェイスウィンドウ(立ち絵)の方を見てしまうわけです。立ち絵が一枚絵を駆逐するとまではいいませんが、一枚絵の役割が特殊な情景を出すこと、画面構成の変化(立ち絵→一枚絵の切り替わり)に限定されることになるでしょう。
 ただし、フェイスウィンドウを実装しているゲームの全てが一枚絵にフェイスウィンドウをさせているわけではありません。表示されない場合もあります。あるシーンでは一枚絵のみを表示させ、ある部分では表情差分が足りないからフェイスウィンドウを表示させる、例に挙げた『your diary』はそんな感じでうまく使っていました。
 あと、(1)であげた魔法少女アイはHシーン等の一枚絵表示時にフェイスウィンドウで表情差分を加えて絵エロさを演出したりも……

 この一枚絵の関連では、フェイスウィンドウのおかげでその場その場で最適の演出を行うための選択肢が増えたと考えるといいかもしれません。



◆総括

 以上、フェイスウィンドウについて、その役割を5つ考えてみました。
 「フェイスウィンドウなんてただの飾り?」「 ウィンドウデザイン上の都合以外に理由はない?」
まあ、そう言うわれるとつらいですけど、上記のような役割もあるということで。ゲームをやってる最中はあまり気付かない機能ですが、気にしてみるとおもしろいかもしれません。他にも役割はあるのかも。





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[2012.03.20(Tue) 20:45] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(5) 見る▼
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COMMENT

by 名無しさん
興味深い記事で面白かったです。
私は個人的にテキストウィンドウとイベントウィンドウが完全に独立している
LIBIDOの放課後恋愛クラブ(PC版)が面白い発想だなと思いました。

PCの高解像度を生かした独立したテキストウィンドウがイベント絵を邪魔せずキャラクターの表情も分かるあのアイデアは
他のゲームでもあってもいいんじゃないかなと思いましたね。

コメント再修正 by udk
>名無しさん

放課後恋愛クラブはさわったことがなかったので、ちょっと調べてみました(実際には人に調べてもらったものですが)。

http://den21.blog76.fc2.com/blog-entry-1238.html

このゲームのウィンドウすごいですね。
今のノベルゲームからは想像もつかない形式で私には斬新に見えます。

by -
ここを見に来るような人なら大丈夫かもしれませんが
村正のシーンはちょっとネタバレ注意なのではないでしょうか?

by udk
>(428)さん

村正のあの画像だけだと何もわからないのでそんな気にするレベルのものでもないと思うのですが、ネタバレって言っちゃうとその瞬間それがネタバレになってしまうのがつらいところですね。

by -
まどかマギカポータブルはフェイスウィンドウのところにキュゥべえがいて、雑誌記事見たとき、一瞬まどかの台詞をキュゥべえが喋ってるように見えたことがありました。^^;

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音楽で作品を選ぶこと ~BGM買いの是非~ 

2012年03月15日 ()


◆ノベルゲームと音楽

 ノベルゲームを構成する要素にはテキスト・グラフィック・プログラム等様々なものがあり、その中に音楽(BGM)がある。ノベルゲームではシナリオに目を向けがちだが、BGMもまたゲームを構成する重要な要素である。BGMはゲーム起動中、ほぼずっと流れ続けるものであり、BGMの選択によって作品の印象は大きく変わる。演出的に上手く使えば読み手の感動を誘うことも、心情を増幅することも可能である。BGMは目には見えないがその役割は大きい。


◆BGM語りの難しさ

 しかし、BGMそのものの善し悪しを計ることはシナリオのそれよりも難しい。さらに自分が感じた善し悪しを人に伝えることはもっと難しい。
 私にはそうすることの知識も経験も足りない。ノベルゲーム(主に美少女ゲーム)の制作に参加している作曲家のうち、誰がどういう風に良いのか、それを語ることすら十分にできない。かつてこのブログのレビューでシナリオ/グラフィック/音楽/システムのように要素別にコメントをつけていたこともあるが、あれはなかなか難しかった。どうしても書くことが少ない作品が出てきて、言葉を濁すことになってしまう。音楽に関する知識・言葉をほとんど持たない私には個別に言及できるほどの能力が足りなかったのだ。




◆BGMが好きな作品 ~さくらむすび~

 そんな私であるが、なんとなくBGMが良かった/好きだと感じた作品はある。そのひとつがCUFFSの『さくらむすび』。
 さくらむすびのBGMはピアノ主体で構成されていて、落ち着いた心地よい音楽となっている。それは冬の日の冷たさの中に確かにある温かさをうまく表現しており、作品の雰囲気にマッチしている。そして物語の山場で流れる明るく日の光に満ちたBGMは春の日への旅立ちを思わせる。さくらむすびには音声がないため、作品内の音は全てBGMとなり、BGMと表示されるテキストと絵が作品の空気を支配している。BGMが作品の空気を作るとはこのことだろう――
 BGMが好きな作品であってもこの程度のことしか言えない/曲自身よりも作品との調和・使い方についてしか述べられないのだが、『さくらむすび』のBGMが良いと感じたことは事実だ。ならば、この『さくらむすび』のBGMを担当している安瀬聖の他の作品でも同様のBGMの良さが期待できるのでは? 以前に読んだ同じく安瀬聖がBGMを担当している『ワンコとリリー(CUFFS)』のBGMもなかなか良かった。ということは他の作品も……?


◆BGM買いの例 ~Purely~

 ……という流れで見つけたのが安瀬聖がBGMを担当している『Purely~その狭い青空を見上げて~(RUNE)』である。BGM買いという私の中で今までにないことをやってしまったわけだが、たまにはこんな無茶をやることもいいだろう。いつもとは違った観点でやれるはずだ。
 実際やってみてBGMがどうだったかと言うと……BGM単体で見るととても良い。どういう風に良いのかはうまく語れないが、こんな感じのBGMは私の好みだ。タイトル画面で流れるメインテーマの「broadleaves」が特にすばらしい。ゲームが終わった後もサントラをよく流している。
 そのBGMを作品に組み込んだ結果は概ね良好だった。温泉街の穏やかな雰囲気と秋の情感が良く出ていたように思う。けれど、一部使い方は少々問題だった。山場にて壮大なBGMが空気をつり上げているのと、そのBGMが頻繁に流れるためにメリハリがつかなくなっている。PurelyのBGMは全体的に個が強く、統一感が低いのでその傾向が強かった。
 原因としては制作側のBGM発注および使用方法だろう。素材としてのBGMをどう活かすかは制作次第だ。ゲーム制作の中でBGMの担当というと演出・スクリプトもしくはディレクターあたりの人になるのだろうか。表には名前が出てきにくいのでわかりにくい部分である。しかし、その目に見えない人達がゲームのクオリティを大きく左右することは確かだ。Purelyではそれを思い知った。BGMをどう活かすか、今のところ、それがうまいのは片岡ともやKeyなんかじゃないかと思っている。



◆BGM買いの是非

 音楽(BGMの担当)で作品を選ぶこと、それ自体は悪くない。ただし、その音楽を活かすか殺すかは制作の人達にかかっている。BGMの作曲者と制作ブランドの音楽担当がうまく噛み合っているのがわかる時、音楽で作品を選ぶことは成立するのだろう。










さくらむすび音楽集さくらむすび音楽集
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[2012.03.15(Thu) 23:01] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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創り手に感想を送るということ 

2012年03月11日 ()

 『はつゆきさくら』が終わってから最後のエンディングを繰り返しループしているudkです。予約特典のサントラに最後のエンディングの「Ghost×Graduation」だけ収録されていないので、ゲーム途中からロードして何度もエンディングを再生しています。サントラが出るのはいつになるんでしょう?

 そんなところ、SAGA PLANETSで「Ghost×Graduation short ver」の無料ダウンロードをしているという情報が。ただし、ダウンロードするには『はつゆきさくら』の感想を書いてね♪という条件付で。
 しかし、この条件は少し迷います。

 ・はつゆきさくら 感想応募ページ

 メーカーに感想を送るというのは極力避けてきた私です。アンケート葉書等で感想を送りつけることもありません。
 なんというか自分の感想をわざわざ送りつけていいものかと。そんな立派なことを書いてるわけでもないですし、時には作品に対して非難することもありますし……。そういうこともあって、応援バナーのキャンペーンを貼り付けて応募することもほとんどありません。応援する……とか言っておきながら、レビューの方で作品の欠点ばかり指摘するのはなんか違う気がしまして……。良い作品だと褒めることもあればダメな作品だと貶すこともあるので、なかなか「応援します」と言い切れない。


 こうやってブログでノベルゲームの感想を書いているのに、何を今さら創り手に感想送るのに躊躇するんだって話でもありますが……。
 この感想も割と検索で引っかかりやすくて、「はつゆきさくら 感想」「はつゆきさくら レビュー」で検索したりすると私の記事が上の方に引っかかります(2012.03.11現在)。メーカーの人も比較的辿り着きやすいでしょう。
 でも、感想を送るのは躊躇ってしまいます。



 そういうわけで、感想を送ったりせずにいた私ですが、先日ある本を読みまして、ちょっと考えが変わりました。



RewriteパーフェクトビジュアルブックRewriteパーフェクトビジュアルブック
(2011/11/30)
電撃G’sマガジン編集部

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 この本の「田中ロミオによるストーリー&設定完全解説」の一節にこんなことが書かれています。

 禁断の項目、エンディング解説です。物書きは、自分の書いた小説なりシナリオなりを、自分で解説してしまうということを無粋な、恥ずべきものとして考えていることが多いです。なんだかそういうことをすると、自分がアーティストにでもなってしまったかのようなキツい思いに駆られるからです。また、同業者に「あいつ自分のことアーティストだと思ってそうだよな(笑)」みたいに思われるのもつらいです。職人がいいです。硬派でいいです。でも、エンディングについてはKeyのカスタマーレビューでも出てこなかった見解が1点ありまして、これは田中の力量不足もいいところなので、責任を取る意味で、もうアーティストでもいいから解説してしまいます(泣キ笑イ)

『Rewrite Perfect Visual Book』P.154



内容的には充実していて良い本だったんですけど、この一節を読んでいろいろ残念な気持ちになりました。このあとの「シナリオライター対談」でも、ユーザーの反応を聞いてへこんでいる田中ロミオの発言があって、読んでる私の方もしょんぼりしてしまいました。私はこの作品を結構気に入ってるんですけど、これを読むとそんな悪かったかなぁという気になります。あまり、こういう内情はいくらそう思っていても載せないものだと私は考えるんですけど、余程堪えたんでしょうかね。
 で、これをわざわざ引っ張ってきたのは、Keyのカスタマーレビューっていう項目についてです。

 ・Rewrite カスタマーレビュー

 Rewriteではメーカーが場所を設けてユーザーのレビューを募集し、掲載しています。そのサイトのレビューで誰も田中ロミオの想定したエンディングの見解に辿り着けなかったというのがポイントでして。「田中ロミオによるストーリー&設定完全解説」を読んだ感じでは作品内で言ってることをそのまま解説しているだけに過ぎないのに、どうして誰もこの見地に辿り着けなかったんだろうって思います。Rewriteは他のノベルゲームと比べると比較的難しめの話ではあるんですけど、カスタマーレビューの誰もがとなると……うーん。まあ、レビューってやるとあのサイトのように紹介と自己評価が主目的のものが書かれて、内容に深くつっこんだものが書かれにくいというのもあるんでしょうけど。

 それを考えると自分もカスタマーレビューで感想を書いても良かったかなぁという気になるんですよ。別に私は特別話を理解するのが得意というわけではありません。このブログでレビューや考察を堂々と書いていますが、それが本当か怪しいこともいろいろ書いています。私のRewriteの感想もそこまで作品を理解できているものが書けているかというと怪しいですし……。

 ・Rewrite 2万字感想

 実際、田中ロミオのエンディングの見解(絆の話)とちょっとずれたことをここでは書いています。それでも、作品全体の理解としてはそこまで悪くはないと思うので、考察を加えて、それから読みやすいように書き換えてレビューに投稿するのもアリだったのかなぁと。田中ロミオの発言を読んでいてそんなことを思いました。


 では、はつゆきさくらの感想どうするかに戻ります。Rewriteの件を考えると、自分のブログのURLを貼り付けてもいいんじゃないかと思います。自分の文章が作品を理解できているものとは限らないし、制作者が望むようなものであるかはわかりません。しかし、あの文章が『はつゆきさくら』を読んで一番人に伝えたいと思ったことなので、創り手に読んでもらうのもまたいいでしょう。そのまま送ることとします。







 あ、このちょっぴり恥ずかしい記事もメーカーの中の人に読まれる可能性が……
 ……今さら気にしない。気にしない。




 参考:はつゆきさくら レビュー ~White Graduation~


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[2012.03.11(Sun) 22:25] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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企画・シナリオ・原画に演出が並ぶ時代 

2011年12月15日 ()


 企画・シナリオ・原画といっしょに演出のクレジットが並ぶ時代は来るのでしょうか?






 魔法使いの夜_0016

 魔法使いの夜_0015

 魔法使いの夜_0014

 魔法使いの夜_0013

 『魔法使いの夜』C78プロモーションムービーより(http://www.typemoon.com/products/mahoyo/index.html


 【シナリオ・総監督】奈須きのこ
 【キャラクターデザイン・原画・総作画監督】こやまひろかず
 【演出・スクリプト】つくりものじ
 【エンディングテーマソング】『星が瞬くこんな夜に』supercell

 このようにシナリオ・原画の次に演出が来ています。


 魔法使いの夜_0012


 そして、スタッフ一覧にも
 【企画】【シナリオ】【演出・スクリプト】【キャラクターデザイン・原画・総作画監督】
と演出が並んでいます。

 こんなに演出が大きく取り扱われているのは珍しいケースです。
 私が見る限り、ノベルゲームでこれほどまでに大きく取り上げられているのははじめてです。
 ここで出した『魔法使いの夜』の場合、同じように並んでいると言ってもシナリオの奈須きのことの扱われ方の差はかなりあるんですけどね。



 でも、こんな風に並んでいるのを見ると、これからは、企画・シナリオ・原画に演出が並ぶ時代が来るのかもしれません。





 と、C78の会場でプロモムービーを見たとき思ったのでした。

 そんな時代が来るのは何年後になるんでしょうね。プロモーションムービーに演出家のクレジットが載りだしたのは確か『Fate/hollow ataraxia』の頃から。それ以降、minoriの『ef』『eden*』、ニトロプラス作品等でたまに見かけるようになりましたが、一部メーカーが押しているだけなんですよね。まあ、あまり表舞台に出てくるようなものでもないんですけどね、演出は。


 でも、こんなにクレジットで押してくることはひょっとして……ということで魔法使いの夜は演出・スクリプトに結構期待しています。
 TYPE-MOONは商業化して『Fate/stay night』を出した時、ノベルゲームの演出に一種の革命を起こしていて……。あのFateの戦闘演出はFate以降、多くのノベルゲームの演出で取り入れられたりしたんですよね。そんな感じで『魔法使いの夜』が何か新しいことをしてくれないかと期待するわけです。


 というわけで、明日はTYPE-MOONの6年ぶりの新作体験版をやってみようかと思います。



  
TYPE-MOON (タイプムーン) エース Vol.7 2012年 01月号 [雑誌]TYPE-MOON (タイプムーン) エース Vol.7 2012年 01月号 [雑誌]
(2011/12/15)
不明

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[2011.12.15(Thu) 00:10] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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たったひとつしかない選択肢をあえて選ばせる「単独選択肢演出」 

2011年09月26日 ()


 ノベルゲームの多くには選択肢というシステムが存在します。




 究極の選択。でも当然あの選択肢を選びますよね
  通常の選択肢 例 ういんどみるOasis『はぴねす!りらっくす』より


 通常、選択肢というものは、2つ以上提示されます。そして提示された選択肢をプレイヤーが選ぶことによって、その効力を発揮します。その効力は、どの選択肢を選ぶかでその後のテキストが少しだけ変化するというものから、その後のストーリーが全く違うものになるルート分岐のための選択肢まで、様々なものがあります。どんな選択肢を使って作品を構成するか、選択肢をどのように提示するか等々、選択肢演出のおもしろいところです。
 この選択肢、そのどれもが通常は選択肢が複数個存在します。ごくまれに、特定のフラグを立てないと選択肢が追加されずにひとつだけ提示される場合等、特殊な状況もありますが、そのほとんどは複数です。

 ところが、「あえて選択肢をひとつしか提示しない」場合があります。「複数の選択肢の中からひとつを選ばせる」のではなく、「たったひとつだけの選択肢をあえて選ばせる」選択肢演出です。この選択肢演出法、特に呼び名がないので、便宜的に「単独選択肢演出」としておきます。単独選択肢演出の例を以下に示します。


 単独選択肢例
 単独選択肢演出例 ういんどみる『Hyper→Highspeed→Genius』より


 ただ選択肢がひとつしか提示されていない以外に特に何も変わりはありません。この選択肢を選んだ場合(というか選ぶ以外に何もできないのですが)、主人公がその選択をしたということで以後の話が進んでいきます。ただ選択肢がひとつしかない、それだけです。


 さて、ここで気になってくるのが、どうして制作者はこんな選択肢を作中に入れたのか?
 このような選択肢を挿入しなくてもシナリオの進行は問題無くできます。ルート分岐にも使えませんし、後々、フラグが立って選択肢が追加されることもありません。

 なぜ? ということで「単独選択肢」を挿入することによる作品への影響を考えてみました。
 


(1)プレイヤーに選択肢を選ぶという作業をさせること

 選択肢を選ぶというのはプレイヤーにとっては一種の作業になります。ずっと読み進めている中でちょっとした作業を挿入するというのはプレイヤーにちょっとした一息をいれさせることができます。他にも、選択肢を挿入することでただ読み続ける中でプレイヤーに考えるタイミングと時間を与えることもできます。
 また、選択肢を選んでいく快感というものも存在します。単独選択肢の場合そこまで考える必要がないので、連続した選択肢をサクサク選んでいける、というのはなかなか気分が良いです。


 連続単独選択肢(1)
 連続単独選択肢(2)
 連続単独選択肢(3)
 連続単独選択肢(4)
  連続した単独選択肢の例 ういんどみる『Hyper→Highspeed→Genius』より
  (1分間1回の間隔で選択肢が登場します)


 ただし、あくまで物語進行にとって何の意味もない作業です。単独選択肢を無闇やたらに入れたり、挿入するタイミングを間違ったりするとプレイヤーの反感を買うことになります。


(2)プレイヤーの没入度を高め、キャラクターの同調させること

 選択肢を決定するのはあくまでプレイヤーです。キャラクターはプレイヤーが選んだ選択肢に沿って行動します。ここで注目したいのがプレイヤーとキャラクターの関係性。プレイヤーが選択肢を選ぶということはノベルゲームにおいての唯一の物語に介入可能な行為です。プレイヤーを物語に介入させることによって、プレイヤーの物語への没入度を高めることができます。
 また、物語の主視点であるキャラクター(主に主人公)とプレイヤーの意識の同調を促進させるということも可能です。単独選択肢の場合、「プレイヤーがこの状況ならこの選択を取るしかない」と思う選択肢を提示することによって更なる同調を図ることができます。


単独選択肢による同調促進
  同調促進の単独選択肢の例 ういんどみる『Hyper→Highspeed→Genius』より(最後の決断)

 ただし、プレイヤーの意に沿わない選択肢ばかり提示すると、逆にプレイヤーがしらけてしまいます。


(3)作品の特性を活かすための演出(※一部作品に限る)

 今回例に出している『Hyper→Highspeed→Genius』では、主人公が「高速思考」という能力を有しています。無数の思考を平行して行うことができ、一瞬の時間の中で思考を重ねることができる能力です。一瞬で多くのことを考えているという能力を演出するためにも選択肢が使われています。プレイヤーが選択肢を選んでいる時間は、作中に換算すると主人公が高速思考で考えている一瞬になります。主人公の能力を上手く選択肢に活用したというべきか、選択肢に活用するために主人公の能力を高速思考に設定したのかわかりませんが、ノベルゲームの選択肢に適した能力です。高速思考の結果「これしかない!」となれば、選択肢は自ずとひとつになるでしょう。

 光速思考
  高速思考の能力発動時


 他にもループ系の作品だと、主人公が最適な選択肢をわかっているということで「単独選択肢」を出すことが出来ます。



◆総括

 以上「単独選択肢演出」による作品への効力として3項目を検討してみました。
 単独選択肢はうまく使えさえすれば効果的になりそうな、そんな演出ですね。
 あまり頻繁に見かけることはありませんが、ノベルゲームならではのおもしろい演出手法でしょう。







◆おまけ

 今回紹介した以外にもノベルゲームには特殊な選択肢があります。その一例を紹介。


●たったひとつの選択肢しか選ばせない選択肢演出

 ルートかがりんを選びたい
  key『Rewrite』より

 篝火が示している選択肢しか選べないようになっています。


●複数あるように見えて実質ひとつしか選べない選択肢演出

 一番右の上から9番目とか、どうですか?
  ケロQ『素晴らしき日々~不連続存在~』より

 画面一面に選択肢が散りばめられています。
 あなたはどの選択肢を選びますか?

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[2011.09.26(Mon) 23:52] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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udkさんの「魔法少女まどか×ほむら」感想(8話まで) 

2011年03月04日 ()

 最近、「魔法少女まどか☆ほむら」というアニメにはまっています。どのくらいはまっているかというと、各話、まどかとほむほむのシーンを20回以上見て、毎週数時間まどか×ほむらを妄想するくらいに。そのせいでブログの更新がご無沙汰になっていますが、許してください。まどかとほむらがかわいいから仕方ないんです。毎週木曜が楽しみで仕方がない。最近はまどかとほむらの2人を見るために生きています。というわけで、今日は「まどか☆ほむら」の話。

 まどかとほむら、2人ともメチャクチャ可愛いですよね。こんなにキャラクターにはまったのは久しぶり。妄想が止まりません。一部、世間ではあのアニメを「まどか☆マギカ」という人達がいますが、どうやったらあのタイトルをそんな風に読めるのか不思議です。「魔法少女まどか×ほむら」でしょう。

 最近「さやか×きょうこ」を主張する輩が増えていますが、やっぱり「まどか×ほむら」だと思うんですよ。それ以外は考えられません。「マミ×ほむら」とか「さやか×まどか」「杏子×ほむら」「QB×ほむら」とか言う愚か者が相手なら、私は手段を選ばない。あ、別に「ほむら×まどか」でもいいですよ。その辺は寛容です。

 でも、「まどかは俺の嫁」という人がいたら、私が許さない。絶対に許さない。
 「まどかはほむらの嫁」でしょう。
 いや、まだ嫁と言うほど2人の仲は進展していませんね。それに個人的には仲の良い友達くらいの関係の方がそそります。2人で仲良く日々を暮らしているのが見れたら僕はもう……
 私にはまどかとほむらが仲良く遊んでいる光景が見えます。もう目の前に。


 まどか×ほむら


 まどかにカラオケで歌を誘われてちょっと照れているほむほむが、ほむほむが、ほむほむが可愛い。きっとこのあと2人は「コネクト」をデュエットする、過去なのか未来なのかどこの世界線の話なのか定かではありませんが、間違いありません。確定事項です。
「杏子は俺の嫁」という人は……それはそれで別にいいんじゃないですかね。
まどほむのふたりは最高です。

 さて、『ほむほむの願い事は何か?』というのは「まどか×ほむら」のアニメの重要なところですが、私は「まどかに関係する願い事だったらいいなぁ」と思っています。というかまどほむ的にはそうであって欲しい。願い事は「まどかとずっと友達でいたい」とか「まどかを助けたい」とかそういうので。「友達が欲しい」という願いでその結果、まどかと仲良くなるのも可。でもそうすると、友達を望んだがためにその友達を同じ魔法少女に巻き込んでしまうという残酷な願いごとになってしまいそう……
 でもまあ、こんな感じでまどほむにはまっているからこそ余計にこの物語は幸せな結末を迎えて欲しいなぁと思います。普通の作品はハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうとそこまで気にしませんが「まどか×ほむら」だけは、きれいな終わりを見せて欲しい。そのためだったら、QBと契約してするまでありますね。



 最後に「魔法少女まどか×ほむら」私的名シーン5選(8話まで)を。


(1)1話 2人の出会い。まどかのとまどいが見ていて可愛いですね。

(2)4話 まどかとほむらの帰り道。「ほむらちゃんのことだって私は忘れないもん」というまどか、優しい子ですよね。こんな良い子に私は弱いのです。あと、そこでグッと拳をにぎるほむほむも良い。

(3)5話:悪徳勧誘業者QBの交渉術に契約してしまいそうなったまどかのもとに「それには及ばないわ」と最高のタイミングで現れるほむほむ。3話に続いてほむほむはまどかへの愛で溢れていますね

(4)6話:トラックで運ばれている青い娘を助けに行くほむほむ。まどかを悲しませたくないからと正直どうでもいい青い娘を無理して助けに行くほむほむが可愛い。

(5)8話:正直8話の一番の見所はまどかに告白したほむほむだと思うんですよ。淫Qβとか騒いでいる人は正直「魔法少女まどか×ほむら」の真の見所をわかっていませんね。

 以上、8話までの名シーンでした。9話以降の「まどか×ほむら」が楽しみですね。



 参考:udkさんの「魔法少女まどか☆マギカ」感想(8話まで)


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[2011.03.04(Fri) 00:52] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(4) 見る▼
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COMMENT

by TCrb
最初は健気に恋する青が好きでしたが、既にまどほむに乗り換えました(キリッ)。
ちなみに、ほむまどはどうかと思います。

8話のあれは確かに来てましたね。
個人的には、EDでまどかに手を伸ばしてシカトされてるとこのほむほむの表情が見たくてなりません。

どうして…冷静なキャラが情で熱くなるところはこうも良いんでしょうな…。

by udk
ほむまどよりまどほむの方がいいのは間違いない。
EDのほむほむも良いよね。
TCrb君とは話が合いそうだ。

by wizan
なぜか白派だと思われていたようですが。私はほむほむ派です。
最終話見た後はまどほむ最高!って言ってることを切に願っています。まぁただ現状ではほむまどを支持します。というかその5つのシーンはほむまどでしょ。

祝 まどほむ派増員 by udk
いや、アイコンが白かったからてっきり白いのは俺の嫁って主張してるのかと。

ん?上であげてるシーンはほむまどなの?
まどほむという前提(妄想)が頭から離れないから、全てがまどほむに見えてしまってるみたい。

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udkさんの「魔法少女まどか☆マギカ」の感想(8話まで) 

2011年03月04日 ()

 最近、「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメにはまっています。どのくらいはまっているかというと、各話10回以上見て、毎週知人とまどか話を数時間するくらいに。そのせいでブログの更新がご無沙汰になっていますが、許してください。まどかがおもしろいから仕方ないんです。毎週木曜が楽しみで仕方がない。最近はまどかを見るために生きています。というわけで、今日は「まどか☆マギカ」の話。ノベルゲーム畑の人間らしく虚淵玄の話を中心に進めていきます。

 魔法少女まどか☆マギカの何がおもしろいのかっていうと、それは「まどか×ほむら」のカップリングが最萌すぎる(まどか×ほむらリンク)個人的な事情もあるのですが、一番の魅力はこれまでの魔法少女ものがやってこなかったことをやっていることではないでしょうか?誰も踏み込まなかったからこそ新鮮で面白みがある。

 『何故魔法少女が存在するのか?』

 この作品で一番に思い浮かぶのはこの疑問ではないでしょうか?
 少女の夢と希望がつまった魔法少女ものというのは、これまで魔法少女という存在そのものを疑問視してこなかったように思えます。他のジャンルでは世界そのものを疑問視するというのはよくあることです。SFなど特に顕著です。
 今まで誰も踏み込んでこなかった魔法少女の疑問につきあたり、真っ向から挑戦したのが今回脚本を担当している虚淵玄ではないかと思うのです。私が思う虚淵玄というシナリオライター(ここでは脚本家というべき?)はどこまでもリアリストであると思っています。虚淵氏の作品を読むと、常にキャラクターの存在に理由が付くように生い立ちから性格まで設定を作り、そのキャラクターの物語を作っているように思います。そのためにストーリーも当然キャラクターが選ぶべき流れにあり、物語の全体を見渡した時に整合性がとれているんですよね。また作品世界もそのように理由があり、説明が可能なように作られている。そのため、作品世界に没入しやすく、テキストを読みやすいという特長があります。
 そうした虚淵玄が魔法少女ものに挑むというのは、魔法少女が存在する世界とはどういう世界かを規定するということ。

 ・魔法少女が必要な世界というのがどういう世界なのか?そのためのシステムは?
 ・魔法少女のという強大な力の代償は何であるべきなのか?
 ・魔法少女は何のために戦うのか?契約?願い?
 ・魔法少女を誘導するキャラクターの目的は?

 上のような疑問を全て解消した物語を作ろうとすると「まどか☆マギカ」のような話になるのではないでしょうか。疑問から生み出された設定を毎話毎話少しずつ明かしていくのは虚淵らしい。
 これまで虚淵氏がニトロプラスで作ってきたゲームと比べるとまどか☆マギカは魔法少女ものというジャンルとうめてんてーのキャラデザが虚淵らしからぬ空気を出していましたが、こうして考えると非常に虚淵らしい作品の作り方をしています。

 このように出発点が異なる「まどか☆マギカ」ですが、話の大筋としては真っ直ぐで従来の魔法少女ものと変わらないんじゃないかと思います。私が思う魔法少女ものっていうのは、「少女の成長物語」なんですよ。物語の始まりは「少女」だった女の娘が、物語の中で困難な壁にぶち当たり、挫折を乗り越えていくことによって成長していき、最終的に「少女」から「女性」へと成長する、それが「魔法少女もの」のテーマだと捉えています。「まどか☆マギカ」もこの魔法少女の本筋は外れてないと思うんですよね。私はそんな物語になることを期待しています。
 でも、虚淵玄という人は、整合性を優先するあまり、ハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうともっとも筋の通る話を採用する特長があります。本人も「バッドエンド依存症」を自称して、物語を書けないと行っていた時期がありました。事実、氏の作品はバッドエンド調のルートばかりです。私がファントムで一番印象に残っているのは「キャルエンド」、ヴェドゴニアは「白柳弥沙子」です。「Fate/zero」も「白貌の魔術師」もバッドエンドに入りそうな話でした。

 現状、まどか☆マギカの世界観はどうしようもないくらい救いが見えません。それをいかにしてキャラクター達を世界から救うのか?完全無欠の大団円をまどか達に迎えさせることが出来るのか?
 良い意味で予想を裏切って、期待に応えて欲しいですね。


 バッドエンド依存症を抜け出た虚淵玄を見てみたい。


 参考:udkさんの「魔法少女まどか×ほむら」感想(8話まで)

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[2011.03.04(Fri) 00:42] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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恋愛ゲームシナリオライタ論集30人30説 あとがき#2 by すかぢ論論者 udk 

2011年01月10日 ()

 『恋愛ゲームシナリオライタ論集30人30説』すかぢ論論者のudkです。
 今回は『恋愛ゲームシナリオライタ論集+10人×10説』の冬コミでの頒布を記念して、30人30説のあとがきを書いてみようかと思います。
 なんというか、Judgeさんのライタ論集のあとがきを見てたら、自分も書きたくなったんです。30人30説の方の自分のあとがきはちょうど高二病が発症していたので。この記事をあとがきに換えさせてもらうということで…


 恋愛ゲームシナリオライタ論集  30人×30説+ 特設サイト 
 恋愛ゲームシナリオライタ論集2 10人×10説+ 特設サイト



 長いので目次をおいておきます。

 1. シナリオライタとわたし
 2. 30人30説への参加
 3. すかぢ論のテーマが決まるまで
 4. 論考について
 5. 今後
 6. 謝辞

 それでは長い長いあとがきのはじまりです。






◆ 恋愛ゲームシナリオライタ論集30人30説 あとがき#2 by すかぢ論論者 udk


1. シナリオライタとわたし

 さて、論集の話に入る前に、私にとってノベルゲームのシナリオライタとはどういう存在なのか、まずそこから話をしましょうか。

 そもそもシナリオライタという存在を意識するようになったのは、大学に入ってから。それまではシナリオライタを特に気にせずノベルゲームをやっていたのですが、大学で入ったサークルの先輩がとあるゲームに対して、
 『ライタAが書いている○○のルートはおもしろいけど、ライタBが書いている××のルートはおもしろくない』
とかそんなことを熱心に話していて……自分もそうした話に加わるようになって……。それからですかね、シナリオライタを強く意識するようになったのは。ちなみに、そのとき対象となっていた作品は『D.C.~ダ・カーポ~』と『はるのあしおと』です。どのライタのルートがおもしろくて、どのライタのルートがおもしろくないかは、ここでは明言を避けておきます。それ以降、シナリオライタと言わず、ディレクターとか原画家とか果ては演出(スクリプター)やらグラフィッカーまで意識するようになるのですがそれはまた別の話。

 で、シナリオライタが作品のおもしろさに関与しているのではないかと、いくつかやったゲームの中でおもしろかったゲームのシナリオライタの過去作をやっていくのですが、おもしろかったゲームのシナリオライタの過去作というのは、たいていおもしろいんですよね。なんというかハズレがすくなく、アタリが多い、と。そうやってある程度信頼のおけるライターができたら、次はそのライターの新作を予約して買うようになって……。エロゲー批評空間片手に気に入ったライタの過去作・新作を片っ端からやっていったのが学部生、研究室に入る前まででしょうか。この時、ライタを中心にひたすらノベルゲームをやっていた自分が、今の自分を形作っているんでしょうね。ライタを意識してやっていなければこんなにノベルゲームにはまってなかったんだろうなぁと思います。
 また、私がそんな風にしてノベルゲームに熱中していた時というのは、ちょうど2000年前後に出てきたシナリオライタの2作目、3作目以降が出ていた時代でして、ライタで作品を追っかけるのがおもしろかったというのもあったかもしれません。(シナリオライタ論集で取り上げられているライタの処女作の多くは2000年前後に発売されています。ネットでもこのシナリオライターの作品がおもしろいとかそういう感想を書く人もちらほら見かけましたし。)

 こうやって過去を振り返ると、自分はずいぶんとシナリオライタという存在に囚われていたんだと思います。まあ、今も昔ほどではないにしろ囚われているんですけど。きっとこれからも囚われ続けるんでしょうね。



2. 30人30説への参加

 シナリオライタという存在に対して思い入れの強い私。それなりに本数もこなしているので、好きなライタや語ることができるライタも当然います。ライタ中心にプレイしていた成果か、シナリオライタ論集で言及されているライタのうち8割はプレイしたことがあります(ただし、全作品プレイ済みとなるとあまり数はいませんが)。
 そんな中、2009年の夏出てきた、シナリオライタ論集という企画。これはおもしろそうだとthen-dさんの方で記事が公開されてからこの企画を追っていました。それからTwitterの方で、ライタのリストアップと論者の募集が始まります。リストアップされたライタの名前を見て、このライタについてだったら何か書けそうかもと思うも、参加したいと思うも、果たして自分が責任もって論集にふさわしい文章をかけるのかという不安もあり、言い出せずにいました。こういう企画やイベントごとに自分から手をあげていかないのは、私の良くないところです。
 そんなわけで私はもともとこの論集に参加する予定はなかったのですが、2010年の1月頃、突然、主宰のthen-dさんからすかぢ論を書いてみませんかと誘われます。私がすかぢ作品を好きだというのをどこから知ったのかは疑問ですが、ちょうど全作品プレイ済みのライタでもあったので、もともとライタ論を書いてみたかった私はあっさり了承します。このとき誘われたのはかなり嬉しかったですね。
 こういう経緯で論集に参加する運びとなりました。



3. すかぢ論のテーマが決まるまで

 で、すかぢ論を書くことになった私ですが、はじめにつきあたった壁が、「ライタ論って何書けばいいんだろう?」という疑問です。そのライタの遍歴でも書けばいいのか、それとも作品紹介でもすればいいのか、ライタの特徴でもあげていけばいいのか、なんでもいいと言われているからこそ逆に難しい。読者対象はどのような人にすればいいのか。ライタの作品を全部やってる人なんてそんなにいないだろうし、かといって全くふれたことがない人に一から紹介していくのもしんどいし…。ネタバレはどこまでやっていいものか……読者の読みたいものは何だろう。難しいものです。
 恋愛ゲームシナリオライタ論集だから、何か「恋愛」をテーマに書けばいいのか。でも、すかぢ作品で恋愛というと……うーん、となります。終ノ空での「僕は君のことが好きだったよ by間宮卓司」から間宮卓司×水上行人の妄想でも書けば……いや、それは別ジャンルであって。
 そんな感じで、すかぢ作品の魅力とか、すかぢの特徴とか考えていたのですが、『素晴らしき日々』をやってこれだというのが決まりました。「生の意義の探求」です。全作品に共通していて、なおかつ素晴らしき日々で区切りが付いているテーマです。この期にやらずしていつやるのか、ということで、今回の論集でやらせていただきました。

 今思うと、担当がすかぢ氏で良かったと思います。書くことがすんなり決まったのは楽だったなぁと。もし他のライタだったらたぶん頭を悩ませていたんでしょうね。
 もし『素晴らしき日々』が3月からさらに1ヶ月か2ヶ月延期していたら、私の原稿は危なかったでしょうね。1人でエロゲーシナリオライタ論集をやっていたかもしれません。

 参考:エロゲーシナリオライタ論集1人×1オナヌー 「すかぢ論」 すかぢ作品に見る男性器の象徴



4. 論考について

 言ってみれば私の論考は、すかぢ作品を追い続けた人の『素晴らしき日々』の感想みたいなものです。素晴らしき日々をやって一番言いたかったことは、あの「生の意義」の話です。ずっとすかぢ作品をやり続けてきた身としては、素晴らしき日々のプレイ時、すかぢ作品に毎回出てきていた「生」に関するテーマのすかぢが辿り着いた答えが見れて感動したんですね。
 というわけで、私の論考は自分が書きたいことを書いた論考になりました。このネタを論考で使ったので、ブログの方のレビューは物足りない感じになってしまったのですが、まあ、論考の方を優先するということで。

 論考の構成は、学会投稿用の論文とか先輩の博士論文を参考に作りました。緒言で始まり結言で終わるのとか、章の分け方は私の研究チームのテンプレ。それに無理矢理序文を突っ込みました。論文だとabstract(要約)をはじめにいれたかったなぁ。まあ緒言が代わりになってるからいいですかね。
 すかぢ作品をひとつずつ紹介していって、それから各作品の「生の意義」を紐解いていく形にしました。「すかぢ作品史」のようなものにでもなるんですかね。
 すかぢ作品全部プレイ済みという希有な人には、「そうだよね」と納得してもらえるでしょうし。そして『素晴らしき日々』がすかぢ作品の中で初プレイという人には、「どういう過程で『素晴らしき日々』に至ったのか」ということをわかってもらえたらと。そして、『終ノ空』『二重影』『モエかん』のうちどれかはやったけど、『素晴らしき日々』は未プレイという人には、「とにかく素晴らしき日々をやれ。すかぢの集大成だから」という風に書いたつもりです。間違い言ってたらすみません。



5. 今後

 以上、あまり論考の内容に触れていったらきりがないのでこの辺で。自分の論考を読み直してたら、直したいところが山ほど出てきまして、言い訳の連続になりそうなのでやめておきます。自分の論考に対する意見、感想はお待ちしております。だけど、感想を聞くのは怖いのでこっそり聞かせて下さい。

 恋愛ゲームシナリオライタ論集は次回『恋愛ゲーム総合論集(仮)』としてまた出るようですね。新たにライタが追加されているようです。また論を書きたくなるようなライタの作品が出たら、書いてみたいですね。まあ、書きたくなったらということで。今のところ特に書きたいライタもいないので当分先、一年か二年くらいは先ですかね。
 あと、シナリオライタ論集には参加しなかったけど、誰かシナリオライタに関して言いたいことがある人は、どんどん論を発表していって欲しいです。WEB巡回してる中で、そういう人が何人かいたので、書いてくれたらと。私が読みたいのでお願いします。



6. 謝辞

 下読みにつきあってくれたリアル知人数名。
 論考の矛盾点や誤字訂正等助かりました。また私が外部に寄稿する機会があったら下読みにつきあってください。お願いします。

 第一回素晴日々オフに参加された方々
 あの場でいろいろ話して論考の終着点がまとまりました。いつかサクラノ詩が出たら、また話をしましょう。

 入手困難な資料を提供していただいた神無みずきさん
 正直私よりすかぢ作品に詳しいのではないかと思うほどです。いつかすかぢの話をしたいですね。

 主宰のthen-dさん
 今回はお誘いいただきありがとうございました。then-dさんの期待に応えられたものになっていたかどうかはわかりませんが、また機会があればよろしくお願いします。恋愛ゲーム総合論集(仮)の方、楽しみにしています。


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[2011.01.10(Mon) 02:00] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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生き別れの姉妹数調査 原画家・シナリオライター編(参考値) 

2010年10月21日 ()

 18禁ゲームをやっていると生き別れの姉妹(別名義で活動している人)をよく見ます。

 蒼樹うめ/藤宮アプリ
 いとうのいぢ/伊東雑音
 狗神煌/いぬがみきら
 山田一/田中ロミオ 

 などなど、いろんな人がいます(姉妹というにはきつい人についてはスルーでお願いします)。
 この生き別れの姉妹に関して特に多いのが声優で、1年で10人の生き別れの姉妹が見られることも。
 
 参考:エロゲ声優出演本数統計 2009年総合+おまけ

 このように大量の生き別れの姉妹が見れらるのも18禁ゲームの一種の文化ですかね。




 さてこの生き別れの姉妹ですが、これが原画家やシナリオライターの場合だったらどうでしょうか?
 最大で何人姉妹がいるのでしょうか?

 ということで調べてみました。
 調査に使ったのはエロゲー批評空間のクリエイターリスト。 そこから一番多くの名義を持っている人を抽出しました。


 調査の結果、原画家の中で一番多かったのが、


 カワタヒサシ(河田優・河田正人・ら~・YOU)【作品履歴


 5つの名義を持っている「カワタヒサシ」でした。次に4つの名義を持っている人が数人いました。

 次にシナリオライターについてです。結果一番多かったのが……


 菅野ひろゆき(菅野洋之、妃路雪≠卿、剣乃ゆきひろ)【作品履歴
 竹林明秀(青紫・青村早紀・BLUE-PURPLE)【作品履歴
 蓮海才太(蓮海もぐら・蓮海Cider・蓮海土竜)【作品履歴
 HAIN(井川立/ともさかみえ/猫乃烏)【作品履歴



 4つの名義を持っている人達でした。
 このシナリオライターの4つや原画家の5つが多いのか少ないのか何とも言い難いですが、私が予想していたよりは少なかったです。どこぞの声優の水橋姉妹は確認されているだけで40人もいますからね。それを考えると少なく感じてしまいます…。





 ただし、今回調査に用いた批評空間のクリエイターリストは完全に生き別れの姉妹を見分けられていないクリエイターもいるので、今回の結果は参考レベルの話になります。下の2つのリンクを見てもらったらわかると思うのですが、本来40人はいいるはずの水橋姉妹が批評空間では名義で分けたりせずに1人にまとめられているんですね。

 ・エロゲー批評空間 -水橋かおり-
 ・bpのごった煮 クリックゲー声優データベース -水橋かおり-

 なので、原画家やシナリオライターについても全ての名義がまとめられているとは限らないので今回の結果は“参考”という形になります。


 というわけで、もし、この調査結果よりも多くの名義を持つ原画家・シナリオライターをご存知の方がいれば、コメントにて報告してくださるとうれしいです。

 あと『生き別れの姉妹数調査 声優編』については、声優の専門家の方にお任せします。この分野はかなりのダメ絶対音感を有する人でないと難しいので。


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[2010.10.21(Thu) 23:47] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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SFメディアとしてのノベルゲームの可能性 

2010年10月11日 ()

◆SFメディアとしてのノベルゲームの可能性 -はじめに-

 これまで何十年も前から、小説、漫画、映像(アニメーション、実写ドラマ・映画)などのメディアでSF作品が作られてきました。そうした中で近年(と言っても20年以上、いやもっと前ですが)、ゲームという新しいメディアが誕生しました。それから紆余曲折を経てノベルゲームという物語を主軸においたゲームシステムが考案されました。今回はそのノベルゲームついてSFメディアとしての可能性を検討していきます。
 ゲームというメディアの中にはノベルゲーム以外にもRPGやシミュレーションなど様々なシステムがあるのですが、ここではゲーム全体の中からノベルゲームのみに限定します。また、主に美少女ゲームと呼ばれるジャンルのノベルゲームの話をします。


 まず、ノベルゲームのメディアとしての大きな特徴としては次の2点があげられます。

 (1)表現方式……テキスト、絵、音楽、そしてそれらを動かすためのシステム(スクリプト)で構成される。
             従来のSFメディアではできなかった表現が可能。

  ノベルゲームの画面構成
          図1 ノベルゲームの画面構成図

(2)選択肢の存在……選択肢を設けることによって、物語を分岐させ、全く別の可能性を示すことが可能。

  ノベルゲームの選択肢
          図2 ノベルゲームの選択肢

 ノベルゲームにはこのような特徴があります。
 このふたつの特徴に関してSFメディアとしてどのような可能性があるのか、これから検討していきます。



◆ノベルゲームの特有の表現形式

 ノベルゲームは基本的にテキスト、絵、音楽、そしてそれらを動かすためのシステム(スクリプト)で構成されます。それが他の媒体と比べてどう違うか、表1にテキスト・絵・音楽・動きに関してそれぞれのメディアで可能かどうか大まかにまとめました。

                  表1 SFメディアの比較
 
小説
ノベルゲーム
  漫画  .
  映像  .
テキスト
×
×(△:ライトノベル)
×
×
動き
×
×
 ○:可能,△:不得手,×:不可能

 ①テキスト:好きなだけ文章を書くことが可能。細かい設定を文章で示すことができる。
        膨大なSF設定を文章で提示することができる
 ②絵   :文章だけではなくそこに絵を加えることによって、読者に具体的な情景を見せることができる。
        SFだと未知の設定・情景を絵で示すことができる。
 ③音楽  :BGM、SE、ボイスで場の状況や聞こえる音を表わすことができる。
 ④動き  :アニメーションを挿入したり、文章のスピードをコントロールする動的演出が一部可能。

 このようにいくつもの要素を用いることができるのがノベルゲームの特徴です。これらの要素をつなぎ合わせて、図1のように、文章と立ち絵+背景(もしくは一枚絵)と音楽(BGM、SE、ボイス)で構成されます。
 このゲームシステム(表現方式)を利用して多種多様な物語が作られてきました。それはSFにおいても例外ではありません。

                表2 SFノベルゲーム作品例
【サイバー系】Heaven's Cage (Art)
こころナビ (Q-X)
バーチャコール・シリーズ (F&C)
バイナリィポット (オーガスト)
BALDR FORCE EXE (戯画)
.fuck[ドットファック] (BLACKRAINBOW)
化石の歌 (age)
luv wave (C's ware)
Be-reave Primary/Be-reave Secondary (ユニゾンシフト)
【近未来】鬼哭街 (Nitro+)
"Hello, world." (Nitro+)
あえかなる世界の終わりに (キャラメルBOX)
終末少女幻想アリスマチック (キャラメルBOX)
ロケットの夏 (月面基地前)
Horizont (Artel)
LOSTCHILD
D.U.O ~song for all~ (ぱんだはうす)
あやかしびと (propeller)
天使ノ二挺拳銃 (Nitro+)
【終末・時間/
タイムスリップ/
リピート・世界/
パラレルワールド/
異世界/未来世界】
CROSS†CHANNEL (FlyingShine)
終末の過ごし方(アボガドパワーズ)
最果てのイマ (Xuse【純米】)
腐り姫 (Liarsoft)
何処へ行くの、あの日 (MOONSTONE)
3days~満ちてゆく刻の彼方で~ (Lass)
Paradise Paradox (specious)
七彩かなた-夏休み!ドキラブバカンス夢冒険!- (千世)
痕-きずあと- (Leaf)
蒼色輪廻 (美遊)
エクソダスギルティー (アーベル)
この世の果てで恋を唄う少女YU-NO (elf)
神樹の館 (Meteor)
DESIRE (C's ware)
AQUAS (MERCURIUS)
うたわれるもの (Leaf)
蒼天のセレナリア (Liarsoft)
夜明け前より瑠璃色な (オーガスト)
5th Luna (PlatinumSoft/ALTACIA)
ピンク・パンツァー (Liarsoft)
Parallel Harmony (C's ware)
ボーイミーツガール (フロントウイング)
いつか、届く、あの空に。 (Lump of Sugar)
【ロボ・人工生命体】BALDR BULLET “REVELLION” (戯画)
マブラヴ・シリーズ (age)
ルナそら (light)
To Heart・シリーズ (Leaf)
イ号型局地迎撃天使NANAKO ~かく戦えり、乙女達~ (Ape&Frog)
先攻遊撃桜花隊・YURI ~電子の聖霊たち~ (Ape&Frog)
TACTICSBRID (BLIP)
妖獣戦記-A.D.2048- (D.O.)
Rimlet (Tail)
この晴れた空の下で R18 (クロムウェル)
ぼくのたいせつなもの (TerraLunar)
マッチ売りの美少女 (GAIA)
白詰草話 (Littlewitch)
見上げた空におちていく (あっぷりけ)
MERI+DIA[マリアディアナ] (ぱれっと)
TALK to TALK (Clear)
【宇宙人・異生物】 しろクロ~白いこころと黒いツルギ~ (ALTERNA)
ジオグラマトン-DYOGRAMMATON- (CLOCK UP)
沙耶の唄 (Nitro+)
ぼーん・ふりーくす (Liarsoft)
妹でいこう! (Overflow)
【スペオペ】 CANNON BALL ~ねこねこマシン猛レース!~ (Liarsoft)
アルゴノーツ (F&C)
Soul Link (Navel)
Maverick Max (ブルーゲイル)
LOVE SEED (VOICE)
黎明のラヴェンデュラ (NOA)
Figurehead (STRONGER)
R.U.R.U.R~ル・ル・ル・ル~ このこのために、せめてきれいな星空を (light)
【超能力】そらをみあげて想うこと (BLACK LIGHT)
Sense Off (otherwise)
ちょ~イタ ~素晴らしき超能力人生~ (Liarsoft)
雫-しずく- (Leaf)
【パロディ・コメディ】 絶対地球防衛機メガラフター (Liarsoft)
えろぼーん (武礼堂)
マエバリ帝国の逆襲 (Ark Shell)
SHOGUN8-ショーグンエイト- (Liarsoft)
【SFヒーロー】 超昂天使 エスカレイヤー (AliceSoft)
機動少女プリティ・ギア (MAIKA-P)
ペルソナドライバー 霊姫 (MAIKA)

※1 erog @ ウィキ SFチックな作品リストより
※2  2007年以降の作品については一部を除き、入っていません
※3 18禁作品のみであり、非18禁作品は入っていません。
※4 一部、ノベルゲームとは言い難いゲームシステムの作品も含まれています。


 表2はノベルゲームで作られたSF作品の一部です(ところどころSFかどうか怪しい作品やSFの分類が間違っている作品もありますが、大目に見てください。要望があればその辺を訂正していきます)。表2を見ると、サイバー系、近未来など様々なジャンルのSF作品が作られていることがわかります。既にかなりの量のSF作品が作られており、SF作品を制作するメディアとして十分であることが言えます。


◆ノベルゲーム特有の存在 -選択肢-

 ノベルゲームに代表されるゲームメディアの最大の特徴は「選択肢による分岐」です。選択肢はゲームでのみ使える要素です。これにより、物語を分岐させ、いくつもの可能性を示すことが可能になります。

 
            図3 選択肢による分岐

 さて、ひとつ戻りまして、表2を見ると、SFの中でも特に多いものがあります。それが、ループものに代表される時間SFと平行世界SFです。これはノベルゲームの特徴である選択肢の存在により、ノベルゲームに非常に適したジャンルとなっています。
 ここで、ノベルゲームにおける選択肢とプレイヤーの関係について考えます。選択肢により分岐したルートを読んだプレイヤーはその後、もう一度最初からもしくは分岐する選択肢からストーリーをやり直し、他のルートを読みます。これはプレイヤーが作品内をループしているということにあてはまります。

 
            図4 プレイヤーのループ構造

 このループ構造に対し、プレイヤーだけでなく、作中の登場人物がループを自覚することが出来たら、簡単にループ作品ができるわけです。同様に選択肢による分岐ストーリーを平行世界と捉えれば平行世界モノのできあがりです。
 ノベルゲームはこのように選択肢を用いた特殊構造を容易に作れるという特徴があります。この選択肢という要素を活かして新たなSFが生まれる可能性は十二分にあるでしょう。


◆おわりに

 SFメディアとしてのノベルゲームの可能性を(1)表現形式(2)選択肢の存在、の2つの特徴から検討しました。その結果、SFメディアとして十分な素質を持っているという結論に至りました。
 ノベルゲームができてから十数年、ノベルゲームの中にはゲームというメディアを巧く活かしたSF作品が既にいくつもあります。SFメディアとしてはできてからまだ浅いですが、浅いからこそ、メディアを活かした作品がや独創的な作品が出る余地はまだまだ広く残っていると思います。
 まだ見ぬ、名作SFノベルゲームが出ることを願って――






参考:SFノベルゲーム40作

 エロゲー批評空間に登録されているPOV「SF仕立てのゲーム」をカスタムモードでソートして40作品を抽出したものになります。
 良いSF作品が多いので、なんとなくノベルゲームでSF作品がやりたくなった時は参考にどうぞ。

               表3 SFノベルゲーム40作(2010年10月時点)
マブラヴ オルタネイティヴ
BALDR SKY
CROSS†CHANNEL
ひまわり
Ever17 -the out of infinity-(非18禁)
Steins;Gate
BALDR FORCE EXE
最果てのイマ
R.U.R.U.R~ル・ル・ル・ル~ このこのために、せめてきれいな星空を ~
マブラヴ
沙耶の唄
エヴォリミット
planetarian ~ちいさなほしのゆめ~(非18禁)
この世の果てで恋を唄う少女YUNO
”Hello,world.”
フェイクアズール・アーコロジー
輝光翼戦記 天空のユミナ
スマガ -STAR MINE GIRL-
斬魔大聖デモンベイン
鬼哭街
ロケットの夏
あえかなる世界の終わりに
CANNONBALL~ねこねこマシン猛レース
機械仕掛けのイヴ Dea Ex Machina
Zwei Worter
夜明け前より瑠璃色な
BE-YOND (Win)
置き場がない!
XUSEの永遠のアセリア-The Spirit of Eternity Sword-
CHAOS;HEAD(非18禁)
Soul Link
PARADISE LOST
終末少女幻想アリスマチック
化石の歌
絶対地球防衛機メガラフター
うたわれるもの -散りゆく者への子守唄-(PS2)
MERI+DIA ~マリアディアナ~
BALDR FORCE
Figurehead
Remember11 -the age of infinity-(PS2)
age
戯画
FlyingShine
ぶらんくのーと(同人)
KID
5pb.
戯画
XUSE
light
age
NitroPlus
propeller
Key
elf
NitroPlus
あっぷりけ -妹-
ETERNAL
NitroPlus
NitroPlus
NitroPlus
TerraLunar
キャラメルBOX
Liar Soft
NineTail
CLOCKUP
AUGUST
elf
あかべぇそふとつぅ
XUSE
NitroPlus
Navel
light
キャラメルBOX
age
Liar Soft
AQUAPLUS
ぱれっと
戯画
STRONGER
KID

※5 抽出方法はこちらのページを参照。POV「SF仕立てのゲーム」のカスタム表示 ErogameScape-エロゲー批評空間-
※6 コンシューマ版の移植等で重複しているタイトルは省いています。
※7 SFノベルゲームというよりはSF美少女ゲームと言った方が適切かもしれません。



関連記事:京都SFフェスティバル「SFメディアとしてのビジュアルノベル」感想 -udkの雑記帳-
      erog @ ウィキ SFチックな作品リスト
      SF仕立てのゲーム -エロゲー批評空間-

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[2010.10.11(Mon) 08:27] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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エロゲーシナリオライタ論集1人×1オナヌー 「すかぢ論」 すかぢ作品に見る男性器の象徴 

2010年08月12日 ()


 今度の夏コミで発行予定の「恋愛ゲームシナリオライタ論集30人30説+」にすかぢ氏担当として参加しているudkです。


 30×30


 今回は私の「すかぢ論」の紹介の意味も含めて、論考で惜しくも使えなかったネタを使って別の角度からすかぢ論を書いてみようかと思います。

 その名も、エロゲーシナリオライタ論集

 “恋愛ゲーム”ではなく、“エロゲー”のシナリオライターとして見たすかぢ論です。ちょっとネタ色が強めですが、その辺はご容赦を。30人30説の方はもっと真面目に作品のテーマについて考察しています。
 あと、私の論考はそんな感じですけど、他の方のはもっともっとおもしろいので、30人30説+の方、是非期待して読んでみてください。


 注:エロゲーシナリオライタ論集ですので、当然18歳未満の方はこれより先は閲覧禁止です。
   また、すかぢ作品の多少のネタバレを含みます。ネタバレを気にする方はご遠慮ください。
   論“集”なのに1人分の原稿しかないのは突っ込まないでください。私が泣いてしまいます。


続きを読む↓



エロゲーシナリオライタ論集1人×1オナヌー



 はじめに

 人が創るものには多かれ少なかれその人の個性が出ることが多い。ことさら創作物にはおいてはその傾向が強いが、それがエロゲーとなるとどうだろう。そこに出てくるのは制作者のエロに対する考えに他ならないのではないだろうか。本論集ではエロゲーのシナリオライターがどのようなエロを描いてきたかを考察する。
 と、それっぽい理由があがったところでエロゲーシナリオライタ論始めます。



エロゲーシナリオライタ論集「すかぢ論」

すかぢ作品に見る性の描かれ方

論者:udk




1. 緒言


フタナリさんは生きていた!!
更なる研鑽を積みフタナリ凶器が蘇った!!!
原画!! シナリオ!! プロデューサー!! チ○コ神!!! SCA-自だァー!!!

『H2O』初回特典『H2Oオフィシャルアートワークス』スタッフコメントページのすかぢ氏の紹介


 すかぢ氏は18禁PC美少女ゲームのシナリオライタ、いわゆるエロゲーのシナリオライタである。処女作『終ノ空』から最新作『素晴らしき日々』まで自身の作品をずっとエロゲー媒体でリリースしている(*1)。エロゲーであるからには当然作品内には18禁描写があり、その18禁描写の中には性的描写も数多く存在する。一般的な純愛系の美少女ゲームと比べると、氏の作品はその数・シチュエーションともに豊富である。
 すかぢ氏の一番の特徴は“『終ノ空』『素晴らしき日々』に代表される特有の世界観”であるが、“性的描写”においても氏は特有のものを持っている。それが“スカトロ”で“あり、“ふたなり”であり、“男の娘”である。制作スタッフ内でもそれがネタにされ、冒頭のようにネタになっている。
 本稿では「すかぢ作品に見る性の描かれ方」と題して、すかぢ氏の作品に見る「性」の特殊性について述べていく。
 本稿は以下のようにその論を進めていく。

 1. 緒言
 2. 名前の由来 ~すかぢ=スカトロ自殺~
 3. すかぢの代名詞“ふたなり”
 4. “ふたなり”とは似て非なる属性“男の娘”
 5. “ふたなり”と“男の娘”、2つの属性の検証
 6. 結言

 本章にて本稿の概要を述べた後、2章から4章ではすかぢ氏の作品に登場する属性について述べる。2章ではすかぢ氏の名前の由来となった“スカトロ”について、3章では、すかぢ氏の代名詞と言っても差し支えがない“ふたなり”について、4章では“男の娘”について述べる。5章では“ふたなり”と“男の娘”の2つの属性について検証し、最後に結言をもって本稿を終了とする。

 *1 エロゲー(18禁PC美少女ゲーム)以外にもコンシューマ機への移植作品や作品のコミカライズ・ノベライズ・アニメ化等全年齢作品も数多くあるが、それはいずれも作品の他媒体への移植もしくは単に原案を務めているだけのものであり、完全なすかぢ作品とは言い難い。


2. 名前の由来 ~すかぢ=スカトロ自殺~

 すかぢ氏といえばそもそもの名前の由来が「SCA-自」=「スカトロ自殺」の略である(*2)。スカトロ自殺と言うと、またひどく変わったシチュエーションのように思える。いったいどんな発想からスカトロ自殺などというペンネームを思いついたのであろうか。謎の多い名前である。
 このようなペンネームを名乗ることからも氏が特殊な性的嗜好を持つことが窺い知れるだろう。実際『終ノ空』『二重影』ではメインヒロインのスカトロシーンが描かれている。が、それ以降の作品には『テレビの消えた日』以外にスカトロシーンは見られず、『終ノ空』『二重影』『テレビの消えた日』の3作品に留まっている。
 私としてはすかぢ氏はいつかその名の示すとおりスカトロ自殺するヒロインを描いてくれるのではないかと思っているのだが、これは期待しても良いのだろうか? しかし、ヒロインがスカトロ自殺するような展開にどうやったらなるのかは想像がつかないが。多彩な18禁シーンが見られた『終ノ空』『素晴らしき日々』(*3)のような作品ならできるのではないだろうか? 正直言うと私はスカトロ自殺するヒロインはあまり見たくはないが、氏ならいつかやってくれると信じている。

 *2 PCエンジェル インタビュー記事(カズキ御書 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Toys/7859/md005.htm より)
SCA-自 中学生くらいのときにガロ系のマンガを描いてまして、蝿と書いて「スカトロ」と読むマンガを描いたんですね、そのときのPN(ペンネーム)がスカトロ太郎だったんですよ(笑)。ハガキ職人時代もそのままのPNだったのですが、なんか思いのほかウケたので、ずっとスカトロ太郎で続けていたんです。でも高校ぐらいからパンクに憧れまして、そうするとスカトロ太郎ってパンクっぽくないじゃないですか、それでパンクっぽいPNにしたくてスカトロ自殺にしたんですよ(笑)。それからはスカトロ自殺でずっとやってきたんですが、基4%君に会ったときに、「ペンネーム怖いですよ、そんなペンネームじゃあなたのめざすような萌えな作家にはなれませんよ」っていわれまして。かなり悩んだあげくにスカトロ自殺の上のスペルのSCAをとって、あとは自殺の自を取って、SCAと合わせてSCA-自にしたんですよ。これならハイエンド系と間違えられるかもしれないと…誰も間違ってくれませんでしたけどね(笑)。
 *3 自転車放尿、実父姦淫、うさぎ人形陵辱、机を対象の自慰など、言葉で聞いても想像がつきにくい特殊なHシーンが存在する。参考:素晴らしき日々は究極のオナニーを示した作品である……??? http://udk.blog91.fc2.com/blog-entry-646.html



3. すかぢ氏の代名詞“ふたなり”

 スカトロの代わりにほぼ全てのすかぢ作品に登場する性的属性がある。それが“ふたなり”である。(*4)。“すかぢ氏”と言えば“ふたなり”。“ふたなり”と言えば“すかぢ氏”である。『終ノ空』『素晴らしき日々』のリルルと音無彩名、『二重影』での彩、『モエかん』の朝霧かずさ(*5)、『√after and another』の田端ゆい(*5)と毎作品ふたなり娘が登場する。ふたなり娘が唯一出てこないのは氏がシナリオにほとんど参加していない『しゅぷれ~むキャンディ』と『テレビの消えた日』くらいだろう。この中でも特に『二重影』では彩というふたなり娘の自慰シーンにあえてアニメーションを投入するという力の入れ用が見られる。2000年当時では珍しいアニメーションHシーンをふたなりにだけ用いるのはかなり大胆である。自身が発行する同人誌やホームページでもふたなり娘(*6)のイラストが多く描かれ、さらに同人誌内のゲストイラストではあえてゲストにふたなりイラストをリクエストしている(*7)。製品の特典同人誌にわざわざふたなりSS(モエカす特装版にて)を載せていたりもして、すかぢ氏のふたなりに対する思い入れの強さがよくわかる。ふたなりSSでは自分で文章を書き、自分で挿絵イラストを書くという多才っぷりも見せている。
 このようにすかぢ氏のほとんどの作品にふたなりヒロインが出てくることに対して、偶然と言い切るのはさすがに無理だろう。ふたなりを登場させなければならないストーリー上の必然性もない。これはどう捉えてもすかぢ氏が“ふたなり”という属性を偏愛しているとしか考えられない。それを決定づけるのが以下のQ&Aである。


Q4. ふたなりが好きなのでしょうか?

  ・そうですが……問題があるのでしょうか?

『H2O』初回特典『H2Oオフィシャルアートワークス』スタッフコメントページのすかぢ氏Q&A


 もう完全に開き直って認めている。だからと言って自分の性的嗜好を作品内にいれるのはどうかとも思うが……。
 このすかぢ氏の偏愛っぷりを見るに、いつかプチケロQから全ヒロイン“ふたなり”のエロゲーが出たりしないかとヒヤヒヤしているのだが、まだそのような企画は発表されていない。“普通の女の娘かと思っていたら全員ふたなりだった。”そんな恐ろしいエロゲーが資金に余裕があったら作られそうで怖い。

 *4 ふたなりとは男性器を女性器両方を有する人間のこと。
 *5 おまけや夢オチではあるが。
 *6 サークル 子犬艦隊『ASTUMETA』やホームページ39computer(http://koinu39computer.blog42.fc2.com/)など
 *7 サークル 子犬艦隊『ASTUMETA』に収録されているゲストイラストの多くがふたなりである。



4. “ふたなり”とは似て非なる属性“男の娘”

 “ふたなり”ともう一つ、すかぢ作品の性的嗜好を語る上で重要な属性がある。それが“男の娘”(*8)である。昨今、“男の娘”(“女装少年”含む)のブームが来ているが、すかぢ氏は先駆けて『二重影(2000)』からそのようなキャラクターを登場させている。
 『二重影』では北条主税という美少年キャラクターが女装して主人公の寝込みを襲撃するシーンがあるのだが、そのシーンで特定の選択肢を選ぶと逆に主人公が北条に襲いかかり、主人公と北条とのHシーンが見られるようになっている。これはいわゆる“やおい”と言っても差し支えなく、本当に男同士でやっている。男同士というのはそもそも美少女ゲームではあまりなく、当時では初であったかもしれない。『モエかん』では隷という中性的な男キャラ(心は女性)が主人公に奉仕する場面が存在する。『H2O』では八雲はまじという男の娘キャラクターが登場し人気を博した。『√after and another』では主人公とはまじのHシーンも存在する。素晴らしき日々の間宮卓司は女装して不良の男子高生に口で奉仕をする。女の娘に男性器を生やすのではなく、主人公と男キャラを絡ませることによって男性器をより多く登場させるのがすかぢの狙いだろうか。いつか全ヒロイン“男の娘”のエロゲーが(ry。

 *8 一口に“男の娘”と言っても諸説あり、“女装少年”をそれに含むかむくまないかもあるが、ここでは含むものとする。


5. “ふたなり”と“男の娘”、2つの属性の検証

 ふたなりと男の娘、その2つの属性とすかぢ氏の関連性をより強固にする根拠として次の事例もある。すかぢ氏はシナリオ以外に一部の原画(キャラクターデザイン)も兼任している。『終ノ空』や『二重影』では原画担当キャラクターも多かったが、『モエかん』や『H2O』では多忙のためすかぢが原画を務めているのはメインキャラクターでは1キャラクターだけである。そのキャラクターというのが朝霧かずさ(ふたなりシーン有り)と八雲はまじ(男の娘)であるのだ。あえてそのようなキャラクターをわざわざ自分で担当するあたり、そのような属性が好きなのは確かだろう。男性器を有している(=生えてる)可愛い娘が好きだというのが。
 それを裏付けるデータとして、表1にすかぢ氏の著作とふたなり・男の娘ヒロイン及びそのHシーン数をまとめた(*9)。
  エロゲーシナリオライタ論

『しゅぷれ~むキャンディ』『テレビの消えた日』を除くほぼ全ての作品にふたなりもしくは男の娘が登場している。またそれらの属性を持つキャラクターのHシーンもまた多く存在し、全Hシーンに占めるふたなり・男の娘のHシーンは『モエかん』『H2O』を除いて20%前後の高い割合を有している。
 表1より1作品につき、1人~2人は生えている可愛い娘がいることがわかる。以上より、氏が冒頭で述べた“チ○コ神”だというのは間違いないだろう。
 このような性的嗜好を持つすかぢ氏。すかぢ氏の作品を延々とやり続けた私、作品に影響されてこのような嗜好に目覚めてしまったというのは……ここで明言するのは控えておく(*10)。

 *9 回想モードに登録されているHシーンをカウント。『終ノ空』については直接確認。
 *10 はまじ…こんな可愛い子が… -udkの雑記帳ー (http://udk.blog91.fc2.com/blog-entry-327.html)を参照



6.結言

 本稿では「すかぢ作品に見る性の描かれ方」と題して、すかぢ氏の作品に見られる「性」の特殊性について述べた。
 2章から4章でそれぞれ下記3つについて述べ、

 ・すかぢと言えば、スカトロ自殺の略
 ・すかぢと言えば、ふたなり好き
 ・すかぢと言えば、男の娘好き

5章にて、

 ・すかぢ氏は、男性器を有している可愛い娘が好き

という結論を得た。すかぢ作品にはそのようなキャラクターが毎回出てきている。

 今後のすかぢ氏の作品ではこの性的嗜好がどう描かれるだろうか? すかぢ氏の次回作『サクラノ詩』には、既に男の娘「八雲はまじ」が登場することが決定している。学園物の『サクラノ詩』にさらにスカトロもしくはふたなりが登場すれば、すかぢ氏が本気であることは間違いないだろう(性的な意味で)。



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[2010.08.12(Thu) 23:40] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(2) 見る▼
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COMMENT

訂正:舞→彩 by 通りすがりです
楽しく読ませていただきました。

「3. すかぢ氏の代名詞“ふたなり”」にひとつ訂正が必要と思われる箇所があります。

「この中でも特に『二重影』では舞というふたなり娘の自慰シーンにあえてアニメーションを投入するという力の入れ用が見られる。」

自分の記憶ですと、自慰アニメーションがあったのは舞ではなく「彩」というキャラクターだったと思われます。

二年前の記事に対して今更アレかも知れないですが・・・
「すかぢ論 ~11年にわたる「生の意義」の探求~」と合わせて読ませていただいた時に気になったのでコメントしました。

エロゲというとんがったサブカルに対しての真面目な論文形式のアプローチ面白かったです。ヽ(´▽`)ノ

Re: 訂正:舞→彩 by udk
読んでくださりありがとうございます。
そしてご指摘の方もありがとうございます。
本文を修正しました。

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私的妹論 「妹は妹のままがいい」 

2010年07月17日 ()


 「姉と妹、どっちが好き?」


って聞かれたら、迷わず


 「妹」


と即答するudkです。リアルで妹がいるにもかかわらず(いや、むしろいるから?)、妹キャラの方が好きです。これには姉キャラが苦手というのもあるのですが、とにかく妹の方が好みです。
 だけど、私には変なこだわりがあります。


 「妹は妹のままがいい」


というこだわりが。

 先ほども言ったとおり、妹キャラは好きです。妹は可愛いです。兄と妹の関係性が好きです。仲のいい兄妹は見ていて微笑ましいものです。
 ですが、兄と妹が恋人同士になるというのはその関係性が少し変わって何か違うと思うんですよね。妹が登場するエロゲをいくつもプレイしている私ですが、妹シナリオを読んでいると毎回そう思います。
 エロゲの場合、妹キャラのルートに入ると、兄に対して恋心を抱いた妹と主人公が結ばれて恋人関係になることが多いです。でも、それは私はあまり好きではなくて…。妹はあくまで妹のままがいいんですよ。妹とやっちゃうのはなんか違う。別に兄に対して恋心なんか抱いてなくていいんです。ただ、家族として、兄として好きであればそれでいいんです。妹と恋人として結ばれる妹シナリオなんか読みたくなくて……。
 つまり私が求めているのは他ヒロインルートにおける主人公と妹の関係、もしくはノーマルエンドの妹との関係性っていうことに……
 いやいや、私が読みたいのは、妹と恋人関係にならずに妹のまま生活を送るシナリオ。仲のいい兄と妹が普通に生活しているだけのルートが読みたいのですが……
 まあ、そもそもエロゲにそんなものを求めるなと言われそうですけど……


 知り合いにこの話をすると、妹好きな人にも妹属性がない人にもどちらにも怪訝な顔をされるんですよね。
 理想の妹シナリオを語っている私に対して「何言ってんの?」みたいな感じで。


 そういう妹シナリオはあまり作られないものなんでしょうか?
 私みたいな意見は世間的には少数派で需要がないのでしょうか?
 



 全国のお兄さんの意見をお待ちしております。




 とりあえず私は下の妹ゲーでもやってみてもう一度自分の妹属性について考えてみます。




 『リアル妹がいる大泉くんのばあい』 、はじめるよ♪



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[2010.07.17(Sat) 23:50] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(6) 見る▼
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COMMENT

共感いたしました by あお
素晴らしき日々の記事からこちらを拝見するようになりました。はじめまして。
妹は妹だから良い、大変同感です。
腹違いでも父親違いでも血が繋がっていなくても(いや、むしろいっそう)「妹は妹である」ストーリーは素敵だと思います。
恋愛を持ち込むと兄妹ならではの絆が壊れてしまうので非常に残念です。(その為、自分は羽咲が全く好きではありません。むしろ妹が「女」の顔を見せるので気持ち悪いと感じます)
恋愛対象では全くないけれどどこまでも何よりも守るべき存在だからこそ妹はいいものなのだと思います

by udk
はじめまして、あおさん。


同じことを思っている人がいるとは……感激しました。
やはり妹は妹であるべきですよね。

リアル妹がいるからこそ by knd3a
個人的にはリアル妹がいるので共感しましたね。やっぱり妹との思い出を思い出すとほほえましい。楽しくなる事が思い出されます。#実際には兄妹なのでケンカもするんですけどね。
そのあたりエッチ方面に行くと拒否反応がでてシナリオが楽しめなくなる。というのは分かりますね。そのあたりライトにスルーするシナリオだとリアル妹じゃなくていいじゃん。とか重くされると楽しくない。とか好みもありますが。
妹にだだ甘な兄貴としては守るべき物というよりは出来ることなら常識の範囲で助けれるところを助けてやりたい。と思う?感じます。がぴったりかな。

Faxiaさんの所から流れてきましたが。これからも頑張ってください。

なんとなく思っていたことが形になりました by たま
妹ルートに限らず、他のキャラにも言えることだと思うんです。
仲のいいグループで、恋人とか関係なく普通に青春してるみたいなのが欲しくなりません?
そうじゃないゲームもあるとは思いますが、たいていキャラルートに入ると他のキャラとの掛け合いが見れなくなってしまいますよね。

by 通りすがり
姉も妹もいる私は姉の方が好きです。(どちらも好きですが)
甘えられるよりは甘えたいという自分の好みからですが
姉も妹も両方いると、周りから姉を好きな理由を論理的に
話さないと納得してもらえないことが多いので
いつも(あくまで)自分の好みだと説明するのが大変です(笑

閑話休題。
遅くなりましたが初めまして。
udk様の主張は、気持ちは痛いほどわかるのですが
私も含めやはり「何言ってんの?」となる気がします。
エロゲのメインヒロインの(攻略できる)立場にある妹キャラですと
やはりHシーンは不可避になりますし、Hシーンに伴って
近親相姦なり何なりの問題がまず間違いなくシナリオの
山場に絡んでくることが多いために、多かれ少なかれ
重くなる部分があるのは致し方ないように思います。
それを理解されているエロゲユーザの方からすると
「エロゲ」において「メインヒロイン」である
妹の「個別ルート」に妹が妹であることを期待されている
udk様の発言は「何言ってんの?」となるのかと。

私はudk様の主張そのものには非常に共感を覚えております。
私も妹キャラが個別ルートで恋人になりいわゆる兄妹関係で
なくなることには昔から強い違和感を覚えており
「妹って設定にする意味ねーじゃん」と思っておりました。
udk様と同様妹と仲良くするシーンを見るのも大好きなのですが
そういう場面は共通ルートあるいは非攻略キャラの妹でしか
見られないものであるという「性質」を考慮すると
「そういう妹『シナリオ』は作られず」、
そのような意見は「世間的には少数派で需要がない」のでしょう。
(そもそも上記の性質上そのようなシナリオを作るのが困難)

ただ、メインヒロインであるという前提をなしにすれば
「妹は妹のままがいい」や仲のいい兄妹が見たいという人は
私も含め決して少なくないと思いますよ。
そうでなければ、With Youの伊藤乃絵美があそこまで
人気が出ることはなかったと思います。
(乃絵美人気は非攻略キャラであることも多少あるとは思いますが)

大変な長文かつ駄文を失礼しました。
これからもひっそりROMりつつ応援しておりますので
気ままにレビュー等がんばってください。

「血縁なんて関係ない! それでも俺達は兄妹だったんだ!」 by H.StypeGB-1
題名はStudio-TR.の14より。や、ゲーム自体はクソゲーだそうですが。

ケースバイケースではありますが、言わんとしている事は理解できます。
とりあえず関係に悩んでたのに義妹とわかった瞬間にパコパコやり始めるような主人公は死んでいいと思う。

ただ最近のキャラ萌え最優先の風潮では受け入れられない……というよりは、
身も蓋も無い言い方ですが「居るんだったらヤらせろ」って事になってしまうのでは無いかと。
エロス貧乏性、とでも言いますか。
……そういう意味でも未だ乃絵美は唯一絶対の妹キャラで在り続けているんでしょうね。

恋愛の絡まない心地よい関係、というもの自体は需要がある気はしますけどね……
そういう方向は現在娘ゲーなんかが担っているのかもしれません、
人外設定ならエロを入れつつという変化球も使えますし。

ちなみにその手の「関係性」に特化した作品でお勧めなのは「わんことくらそう」です。
人型動物を徹底して「ペットという家族」として描き、恋愛対象となるのは人間だけっつー
世界観の徹底ぶりは読んでて心地良く流石の都築節であります。
あと、マンガな上姉ですが「アットホーム・ロマンス」はそういった
ブラコンとシスコンの在り方というものに真摯に、真剣に向き合った傑作でお勧め。

まぁ、私は世界の全てから後ろ指さされる覚悟で取り返しのつかない関係になる……という話も嫌いではありませんが。

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