TOP > さくらむすび レビュー
 ← レビュー形式 少し変更 | TOP | さくらむすび-桜ルート-

スポンサーサイト 

--年--月--日 (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[RSS] [Admin] [NewEntry]

[--.--.--(--) --:--] スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
↑TOPへ


さくらむすび レビュー 

2007年09月24日 ()


タイトル   さくらむすび  
メーカー   CUFFS
発売日    2005年8月5日
シナリオ   トノイケダイスケ
原画     ☆画野朗
音楽     安瀬聖
プレイ時期  2007年9月
プレイ時間  約15時間
評点      92
さくらむすび Amazonへのリンク



シナリオ  (ネタバレ注意)


 恋愛ADVゲームにはしばしば主人公の妹が攻略対象となるルートが存在する。
 一見、両者が好き合っていれば問題ないような気がするが果たしてそうなのだろうか?
 このさくらむすびは、社会倫理において近親相姦という名の「禁忌」とされるこの行為について、義理という設定に頼って軽視してきた従来の作品とは違い、それを一つのテーマとして問題提起している。

 さくらむすびにおける主人公の妹「桜」は病的なまでに主人公に依存し、家族というものを遥かに越えた感情を持っている。恋愛ADVゲームにはよくあるシチュエーションである。
 しかし、私はこのさくらむすびのプレイ中、あまりにも無邪気に主人公にじゃれついてくる桜に恐怖を感じた。狂気の妹ではない、ただ主人公に甘えてくる妹に。
 他の二人のヒロイン、紅葉・可憐は非常に可愛い子であったのだが、桜だけはそう感じられなかった。
 これは、主人公が将来を案じ、桜の兄離れの必要性を感じていることに起因している。
 好きだけど兄妹だから距離を置いて接しないといけないと考える主人公。
 だが、桜は幼くして病弱であったために精神年齢も低く、主人公に甘えてくる。
 これが、桜の友人"可憐"と対比されて一層深く見え、不気味にも感じる。
 ただ純粋に兄のことが好きなだけの桜。
 しかし、それが主人公の独白や周りの人々の応対と相俟って怖く感じる。
 これは作中でも述べられている一種の観念のせいなのだろうか。
 実際に妹のいる身としても、これが強いのだと思う。
 ただ書き方を変えるだけでこうまで妹に対する感じ方が変わるものだとは思わなかった。

 そして、この桜の兄離れ、主人公の妹離れがストーリーに深く関わっており、小説"桜の木の下"、作中の演劇"さくらむすび"と相俟って物語の核となっている。
 紅葉・可憐ルートではこの桜の兄離れは、主人公に恋人と呼べる存在ができることによって成功する。
 けれど、桜ルートにおいて主人公は妹への愛情が深くなっていき、ついには一般の兄妹のそれを越えてしまう。
 好きなのにどうして兄妹というだけで距離を置かなければならないのかと葛藤する主人公。
 だがそれは社会において認められていないことであり、禁忌とされている。
 作中では化け物と例えられているこの倫理と言う存在。
 この家族・兄妹の観念という名の化け物に打ち勝つためには、社会から逸脱するしかない。

 そして、桜ルートは、さくらむすびにおける冒頭の一文

 "桜の樹の下には、死体が埋まっている"

 この一文のとおりに話を終える。

 家族や友人-周りの人たち全てにその互いに愛し合う関係を否定され、自分たちの居場所を探そうとする主人公と桜。
 あてもなくさまよった彼らは、冬空のもと、桜の樹の下で最後を迎えようとする。
 そこで主人公は意識がなくなる寸前に「桜の国」へと誘う女性を見る。
 幼少時に紅葉と見た桜のお化けであるが、その時はそちらへは行かなかった。
 しかし、現在の世界は二人の愛を認めてはくれない。
 そのため、彼らはその後、自らの肉体を捨て二人を受け入れてくれる「桜の国」へと行く。

  「桜の国」そこは楽園
  嫌なことのない怠惰な楽園
  死体という代償を捧げた者だけが立ち入ることを許される美しい国
  演劇"さくらむすび"で桜の君:金村世津子が行きたかった世界
  かつて、主人公の実の母親:金村世津子が行ってしまった世界
  それは"さくらむすび"を手にする(大人になる)ことによって行けなくなる世界
  水月でいう"マヨイガ"のような現実とは違う別の世界

 スタッフロールのあとで見られる主人公と桜の二人はこの"桜の国"という世界に行ったのでだろう。

  二人だけの世界へと――

 桜ルート-バッドエンドともとれるこの結末こそがさくらむすびの真のエンドではないだろうか。

 もう一つの結末。桜が卒業するまで待つというエンドはこの物語にはふさわしくない。
 あの二人には2年も待つなどそんなことはできないはず。
 最後と合わせてどうも不完全な(無理やり作ったような)結末であるから。


 一方、紅葉ルートでは、ただの幼馴染という関係から恋人へと至り、未来へと続いていく王道パターン。
 桜ルートや可憐ルートとは対照的に紅葉を選んだ場合、大きな問題は起きない。
 全てがうまくいっているように見えるルート。
 共通パートからバカップル状態が続き、個別パートに入ってからの告白後のアツアツぶりは見てるこちらが恥ずかしくなるほど。
 また、エロシーンの描写もかなり長い。あそこまでみっちりと描写する作品はそうは見られない。
 ここまでやってくれるとある意味清清しい。
 また、散髪中の告白は、自然な流れで日常の一部にしか見えないくらい実にきれいなシーンであった。
 これほどまで満足のいく幼馴染ルートはなかなかない。


 最後に、可憐ルート。
 可憐は、妹の友人であり友人の妹でもある人物。
 桜や紅葉とは違い家族のように近しい関係ではないが、可憐もまたその裏に何かありそうである。
 それが、この可憐と主人公の間には作中で化け物として例えられている障害の存在である。

  ・可憐とその兄邦彦の間に存在する小さな化け物
  ・そして、可憐と主人公の間に存在する大きな化け物。

 小さな化け物は可憐と邦彦が異母兄妹であることからできてしまった兄妹間の溝である。
 それは邦彦の優しさにより解決できた。

 だが、大きな化け物は本文中ではその存在は示唆されているが、それが何なのか明確に述べられていないし、解決もされていない。さくらむすび一番の謎である。
 過去に何があったのか作中では詳しくは語られていない。
 あえて語らなかったのには何かしら事情があるのかもしれないが、ここでは作中で与えられた情報から、可憐は金村世津子と瀬良光博の間にできた子供なのではないかと推測する。
 つまり、主人公と可憐の母親は同一となる。
 そのために、可憐の父親は主人公と可憐が結ばれることを頑なに拒絶しているのではないだろうか?
 邦彦と可憐はそれをある程度掴んでいると。
 こう考えれば大きな化け物の正体もある程度納得がいく。
 結局のところ、真相はどうなのかわからないが……





グラフィック


 原画は☆画野朗。
 キャラデザは水月からさらに磨きがかかったロリ絵。
 作品の長さからしてはイベントCGがやや少なめに感じた。また、立ち絵の表情のバリーエーションも足りないように思う。
 その代わりに、テキストで十分キャラクターの仕草や表情が表されていて、あまり問題はないのだが…、もう少し枚数は欲しかった。





サウンド


 2005年という最近の作品にしては、ボイスも歌もない珍しい作品。
 しかし、さくらむすびにおいてはそのBGMが遺憾なき力を発揮している。ピアノの美しい響きに乗せられたBGMは作品の穏やかな雰囲気を非常にうまく醸し出している。むしろ、BGMが作品の空気を作っているのではないかと思えるほど。もしフルボイス作品だったとしても、この曲の前にはボイスでさえも邪魔になるのではないだろうか?
 トノイケダイスケのテキストとこのBGMがあればもう満足。
 そんな中で、プレイ中にBGMに聴き入ってしまうこともしばしば。読み終わった後も、その余韻に浸りながら音楽鑑賞モードを使っていた。
 私がプレイした作品の中でもこのさくらむすびのBGM集は屈指のお気に入り。





その他、システムなど


 今ではあまりない画面全体にテキストを表示するノベルタイプ。
 ボイス無しで立ち絵や一枚絵の数も少なく、ほぼテキストとBGMだけで構成されるサウンドノベル(小説)に近い。近年はADVタイプのものが主流になってきているが、実際にプレイしてみるとトノイケ氏の書く文章だとこの形式の方が良いと実感できる。


 桜ルートの選択肢が気になったので、選択肢の矛盾について

 桜ルートにおいて、桜と距離を置く選択肢を選んだ場合「迎える世界でEND」になり、桜と距離をおかず、TPOをわきまえない選択肢を選んだ場合「桜卒業END」となる。後者は主人公が友人に自制を促されて、距離をおくという結果になるが、前者で我慢した主人公はなんだったのかと…
 選んだ選択肢と結末が矛盾しているように思える。正しくは結末を入れ替えるべきだったのではないだろうか?

 また、これと同様の選択肢が可憐ルートにも存在するが、可憐ルートには分岐は存在なかった。あまり意味のない選択肢となってしまったことが悔やまれる。こちらはもともとは分岐を用意するつもりで製作していたけど間に合わなかったということなのだろうか?




総評


 水月で有名なトノイケダイスケと☆画野朗のコンビがF&Cを抜け、新しくCUFFSというブランドを設立して生み出した作品。
 ライターのトノイケ氏の丁寧な心理描写及び情景描写は秀逸で作品に深く引き込まれる。そして、トノイケ氏のテキストに加え、淡い色調の☆画野朗の絵、ピアノ主体のBGMが織り成す作品の雰囲気がなんとも心地よい。
 そして最強のバカップルとなる紅葉ルートは、幼馴染の魅力がふんだんに出ていて「幼馴染ゲー」と言えるほど。しかし、作品の根幹にあるのは、妹と結ばれるというものがどういうことか、常識という名の倫理に焦点を定めた従来の作品とは違う意味での「妹ゲー」。常識や観念といった目に見えない力の強大さがよくわかる。
 トノイケ氏があえてそうしたのか、作品内で全ての真相を明かしていないので、深読みすればするほどどつぼにはまる。完全に主人公一人の視点の視点で構成されているのもあり、物事の真偽が見極めにくい。そのため、人によってその受け取り方(解釈)が大いに異なるであろう作品。これをただの「萌えゲー」ととるか「奥に秘められたメッセージ性の強い作品」ととるかは読み手次第。

 ここでは私独自の解釈を載せたが、いつの日かその真相をトノイケ氏に語ってもらいたい。






[RSS] [Admin] [NewEntry]

[2007.09.24(Mon) 07:44] さくらむすびTrackback(0) | Comments(2)
↑TOPへ


COMMENT

さくらむすび、レビュー by 師走
突然ですがこんにちは。
私も「さくらむすび」をプレイしていて、桜に恐怖を覚えたプレイヤーのひとりです。
主人公の独白のとおり、たまに背筋をぞくりとさせられる桜の盲目なまでの信頼が、怖くてたまらなかった。
ところで、可憐についての管理人さんの推測は、少し違うように私は思いました。
なぜなら、金村世津子は桐山亮一を絶対の信頼を置いて愛していたからです(結局は裏切られてしまうわけですが)。
そんな彼女が浮気し、しかも子供を身ごもり、さらにはその子を産むでしょうか?
これは私の推測ですが…、ただ単に瀬良家の両親は桐山亮一や金村世津子、そして秋野楓の周りにいた人だった。
主人公に置き換えると龍馬や邦彦のような存在ですね。関わってはいるけれど、当人ではない。
彼らは桐山亮一のあまりの仕打ちに憤慨した…だから実の娘と、かの桐山亮一の息子を添い遂げさせるのは嫌だった、と。
そういうことではないかと思います。
もしも可憐が金村世津子の娘であったなら、可憐が“たいした問題ではない”ということはないでしょう。
作中において邦彦さえも“たいした問題ではない”といっているようなところがあります。しかし父は嫌がる、と。
桐山亮一の仕打ちを直に感じていた父には許せないこと。自分らにとってはたいした問題には感じられないこと。
すなわち、十八年前に桜丘学園で桐山亮一と共に過ごしてきた友達だったということではないでしょうか…。

できれば、作中で作者によって明確にして欲しかったですね。
悶々と考えて、推測はたてられるけれど…確信が持てないですから。
そういう意味では、可憐ルートは少し苦手でした。

紅葉ルートの甘甘な感じが、私がいちばん好きでしたww

可憐ルートについて by udk
>師走さん
コメントありがとうございます。
自分の考察とはまた違った意見が聞けて嬉しいです。

”たいした問題ではない”、それを考えると、確かに可憐ルートはそうともとれますね。師走さんの方が説得力があるかも。

まあ、いつか作者に明らかにしてもらいたいですね。


コメントを閉じる▲

 ← レビュー形式 少し変更 | TOP | さくらむすび-桜ルート-

COMMENT

突然ですがこんにちは。
私も「さくらむすび」をプレイしていて、桜に恐怖を覚えたプレイヤーのひとりです。
主人公の独白のとおり、たまに背筋をぞくりとさせられる桜の盲目なまでの信頼が、怖くてたまらなかった。
ところで、可憐についての管理人さんの推測は、少し違うように私は思いました。
なぜなら、金村世津子は桐山亮一を絶対の信頼を置いて愛していたからです(結局は裏切られてしまうわけですが)。
そんな彼女が浮気し、しかも子供を身ごもり、さらにはその子を産むでしょうか?
これは私の推測ですが…、ただ単に瀬良家の両親は桐山亮一や金村世津子、そして秋野楓の周りにいた人だった。
主人公に置き換えると龍馬や邦彦のような存在ですね。関わってはいるけれど、当人ではない。
彼らは桐山亮一のあまりの仕打ちに憤慨した…だから実の娘と、かの桐山亮一の息子を添い遂げさせるのは嫌だった、と。
そういうことではないかと思います。
もしも可憐が金村世津子の娘であったなら、可憐が“たいした問題ではない”ということはないでしょう。
作中において邦彦さえも“たいした問題ではない”といっているようなところがあります。しかし父は嫌がる、と。
桐山亮一の仕打ちを直に感じていた父には許せないこと。自分らにとってはたいした問題には感じられないこと。
すなわち、十八年前に桜丘学園で桐山亮一と共に過ごしてきた友達だったということではないでしょうか…。

できれば、作中で作者によって明確にして欲しかったですね。
悶々と考えて、推測はたてられるけれど…確信が持てないですから。
そういう意味では、可憐ルートは少し苦手でした。

紅葉ルートの甘甘な感じが、私がいちばん好きでしたww
[ 2008.11.08(Sat) 16:44] URL | 師走 #yAqNzUms | EDIT |

>師走さん
コメントありがとうございます。
自分の考察とはまた違った意見が聞けて嬉しいです。

”たいした問題ではない”、それを考えると、確かに可憐ルートはそうともとれますね。師走さんの方が説得力があるかも。

まあ、いつか作者に明らかにしてもらいたいですね。

[ 2008.11.08(Sat) 17:22] URL | udk #QsgttT26 | EDIT |

COMMENT POST















管理者にだけ表示

Trackback

この記事のURL:
http://udk.blog91.fc2.com/tb.php/148-a2f9dd93
 ← レビュー形式 少し変更 | TOP | さくらむすび-桜ルート-

カレンダー

プロフィール

カテゴリー

twitter

人気エントリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

リンク

記事一覧

ブログ内検索

メッセージフォーム

応援中

今後発売の期待作

オススメ作品

RSS

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。