TOP > 恋色空模様 演出考 ~脱紙芝居。紙芝居から人形劇へ。演劇的立ち絵表現の追求~
 ← 魔法使いの夜 読了に際して | TOP | テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性

スポンサーサイト 

--年--月--日 (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[RSS] [Admin] [NewEntry]

[--.--.--(--) --:--] スポンサー広告 | Trackback(-) | Comment(-)
↑TOPへ


恋色空模様 演出考 ~脱紙芝居。紙芝居から人形劇へ。演劇的立ち絵表現の追求~ 

2012年04月11日 ()


恋色空模様 Amazonのページへ
タイトル     恋色空模様
メーカー     すたじお緑茶
発売日     2010年3月26日
演出       亞部まとま , 秋山構平 , らんど
プログラム   秋山構平
ディレクター  亞部まとま






◆脱紙芝居、紙芝居から人形劇へ

 ノベルゲームのことを“紙芝居”とはよく言ったもので、画面上の絵の移り変わりが少なく、坦々と文字を読み進めていく様は的を得ているでしょう。背景絵にキャラクターの立ち絵(もしくは一枚絵)だけを表示させて場の情景を提示し、他は文章で語るスタイルは、絵を一枚見せてあとは語りで補っていく紙芝居とよく似ています。
 そんな紙芝居という俗称を持つノベルゲームですが、本作『恋色空模様』は従来の紙芝居ゲームからは一歩と言わず二歩も三歩も進んだ“脱紙芝居”ゲームとなっています。
 キャラクターが何かしゃべる度に画面上の立ち絵が切り替わり、そして場面の情景やキャラクターの動作に関してはテキストや一枚絵を使わず極力立ち絵の配置と動きで表現するスタイル。その演出スタイル自体は他のノベルゲームでも試みられてきましたが、本作が他のノベルゲームと一線を画する所は“立ち絵の配置”と“立ち絵の動き”の自由度の高さです。立ち絵の配置を工夫することによって一枚絵さながらの特殊な構図を生み出し、画面上を所狭しと立ち絵が動き回る様は言うなれば“人形劇”。立ち絵という人形を使って演劇を行っている『恋色空模様』にはぴったりです。



◆演劇的立ち絵表現の追求(1)立ち絵配置による舞台形成

 画面内のどんな場所にも自由自在に立ち絵を表示できる技術、それは従来の多くのノベルゲームで独立して存在していた立ち絵と背景を組み合わせることが可能になり、新しい意味を創造できるようになります。そうしてできるのが背景と立ち絵を組み合わせた新しい構図。従来の立ち絵演出では難しかった一枚絵さながらの特殊な構図を生み出すことが可能になります。
 それは人形劇(演劇)における、舞台と人形(役者)の役割に似ています。人形劇で言う舞台はノベルゲームにおける背景であり、人形はノベルゲームにおける立ち絵に置き換えることが出来ます。演劇が舞台の中で役者を自由に配置させることが出来るように、本作の立ち絵もまた背景中の好きな位置に配置させることが出来ます。ただ背景中の好きな位置に配置するだけでなく、立ち絵を拡大縮小したり、背景の小道具をレイヤーとして捉えることによって、空間の中でどこにいるのか奥行きまで演出できていました。

 立ち絵配置による舞台形成について詳しくは以下の記事にて
 ●立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~



◆演劇的立ち絵表現の追求(2)立ち絵による運動表現

 配置が自由に出来るだけではまだまだ劇というには届きません。劇には”動き”があります。その”動き”までをも本作は表現しようとします。しかも”動き”を表現するのはアニメーションではなく、あくまで立ち絵で。
 立ち絵配置による舞台形成によって自由に立ち絵を配置させることが出来るのなら、あとはそれをつないでいけば動きの過程も表現が可能。立ち絵を右に左に、前へ後ろへ、拡大縮小し、動かすことでキャラクターの動きを表現することに成功しています。舞台形成や動きを補うのがいくつもある立ち絵の差分で立ち絵のポーズ差分・表情差分は一般的なゲームのそれを大きく上回ります。
 こうして歩くことも走ることも、騎馬戦だって剣の試合だって、様々な表現が可能になります。動きとしてはまだまだぎこちないところも多いですが、それが何をしているのかは十分伝わりました。
 このようにして、立ち絵による舞台形成に動きの要素が加わることで表現の幅は格段に上がっていました。もう舞台内を自由に動き回れる人形劇と大差ないでしょう。

 立ち絵による運動表現について詳しくは以下の記事にて
 ●参考;立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~



◆演劇的立ち絵表現への追従 可変型テキストウィンドウ

 演劇的立ち絵表現へ追従するのが、可変型テキストウィンドウです。立ち絵によって形成された舞台や運動表現をテキストで邪魔せず見せるようにとテキストウィンドウもそれに準じて位置と大きさを自由に設定できる可変型を採用しています。多人数の会話や同時発言もこのテキストウィンドウによって簡単に表現できています。

 可変型テキストウィンドウについて詳しくは以下の記事にて
 ●参考:テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性



◆演劇的表現の複合による相乗効果

 本作の演劇的表現を追求する姿勢として、(1)立ち絵の配置(2)立ち絵の動き(3)テキストウィンドウ、の3つの特徴的な表現をあげました。これらは、誰が、どこで、何をして、何をしゃべっているか、ということに対応します。これらの表現により視覚的な表現が可能になる場面が増えました。
 そしてこれらの表現が複合的に組み合わさることによって、それぞれの表現がより一層活かされていきます。可変型ウィンドウによってウインドウ位置を自由に動かせるので、立ち絵をより自由に配置し、動かすことができます。そして、立ち絵での表現が増えることで地の文を減らし、会話文を主体にでき、可変型テキストウィンドウの利点を引き出す形になります。テキストでわかりにくい表現を立ち絵で表現していく、立ち絵で補える表現は立ち絵に置き換えていく、それが本作の姿勢でした。そうすることで特定のシーンだけでなく、ほぼ全編通して、立ち絵による舞台形成と立ち絵の動きによる運動表現を実施できたのはひとつの達成です。
 本作はゲームの演出デザインの方向性をうまく組み合わせ、演劇的表現をより確固たるものにしていました。



◆演劇的表現の作品への作用

 このように表現方法として演劇的表現を使用するための技術的条件が整いました。
 さて、これらの演出表現が作品にどう作用していたでしょうか。

 本作のシナリオ構成は3部にわけられます。仲間達と賑やかな学園生活を過ごす第一部、仲間達と協力して廃校問題を解決する第二部、ヒロインといちゃいちゃする第三部の三部構成です。この“仲間達と”の部分が本作の演出がうまく作用していたところです。
 画面中に何人もの立ち絵を配置して形成される舞台は、何人もの仲間と過ごしている日常を、仲間達が確かにそこにいるということを実感させます。第二部の神那島クルセイダーズで10人以上の仲間と協力して問題を解決していった際に、主人公の側に供にいる仲間達がいる情景を描くことができたのは大きな意味を持っていたことでしょう。
 そして立ち絵の動きは仲間達との賑やかな日常を演出します。立ち絵の配置で場を作り、それを積極的に動かすことで楽しげな空間を生成します。可変型テキストウィンドウが見せる多人数でしゃべる光景も、何人もの仲間達との会話を盛り上げていました。
 本作は、多くの登場キャラクターを出し、それらのキャラクターと楽しい日常生活を送り、困難に立ち向かうシナリオを表現するための手段として演出がうまく作用していました。



◆演出姿勢と今後の展望

 本作で見られたどんなものでも立ち絵で表現しようとする姿勢、確かにそれはこれまで述べてきたように上手く作用していました。ですが、それがいつ時でも作品にとって本当に素晴らしかったものかというとそれは違います。なんでも立ち絵で表現するというのは、それが必ずしも最良の結果であるとは限りません。
 本作では行き過ぎた演出がいくつも見受けられました。立ち絵で表現していて確かに凄い、だけど、その表現の中にはそれを是としがたいものも多くありました。あまりの出来に苦笑が浮かんだり、シリアスなシーンで醒めてしまうものなど、演出が足を引っ張っているものもありました。無理矢理ちゃぶ台のまわりに10人も座らせたり、道を走らせたりするのはその良い例です。
 時には足を止め、考えることも必要ではないでしょうか。ある表現に関して立ち絵で表現可能かどうか制作現場内でやってみるのはとても良いことです。しかし、その結果生まれた表現が果たしてその場に即しているか、もっと検証を重ねていかなければならないのでしょうか。もしその演出表現が場にふさわしくないのであれば、よりふさわしく見える表現を開発するもしくは別の代替表現に変えるというのも考えていかなければならないのでしょうか。立ち絵で表現するかテキストで表現するか、それとも一枚絵や別の方法で表現するか、その時々に最適な表現というものがあるはずです。必ずしも立ち絵で表現する必要はないはずです。本作は技術先行と見られる表現が多々見られました。
 
 本作を見る限り、立ち絵を使った表現に関しては他のブランドには無い独自性を持っています。本演出考の前半でも示しましたが、表現の幅という観点で見ると本作がとても広いものを持っているのがわかります。ですが、その幅広い表現が可能であるからこそより表現の選択が必要になってくるのではないでしょうか。

 それができたら立ち絵の変化に溢れた最高の人形劇作品ができあがるでしょう……いや、そうなるともはや人形劇と言うには失礼かもしれません。本物の人形劇とは一味違うゲーム媒体独自の表現をふんだんに使った作品がそこにはできあがることでしょう。







 参考
 ●立ち絵が座る瞬間 ~立ち絵演出考察(1)立ち絵配置による舞台形成~
 ●参考;立ち絵が走る時 ~立ち絵演出考察(2)立ち絵による運動表現~
 ●参考:テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性





[RSS] [Admin] [NewEntry]

[2012.04.11(Wed) 23:17] ノベルゲーコラムTrackback(0) | Comments(1)
↑TOPへ


COMMENT

ノベルゲーの拡張 by 近代衣服の残響
一連の考察、興味深く拝読しました。

ノベルゲーは、もはや「ゲーム」ではないのかもしれない、と、当方は以前から思うようになりました。
じゃなにか、というと、映画や小説のような、「メディア=容れ物」じゃないか、と。
無理にゲーム性云々に拘って(例えばクリックという行為がゲーム性である、みたいな言説、というか言い訳)「ゲーム」であろうとするよりは、「紙芝居」である、と割り切って、ならばこれは「新たな物語の展開形式」とみなした方がすっきりするのではないか、と。散々言いつくされたことかもしれませんが。

そこで、今回の考察を読んで、じゃあノベルゲー/紙芝居/人形劇はどこに該当するのか、というと、小説・映画・舞台・漫画、といったもの(アニメはまだ遠いように思えます)の中間地点にあるメディア、だと思いました。
それを活かすか、自覚することなく殺すかは、この先のクリエイターによるところだと思いますが、しかし今回のudkさんの考察は、「ノベルゲーに何が出来るのか」の再確認と言う意味で、興味深かったです。(これは以前のedenの一枚絵オンリー構成/演出とリンクする部分がある、とも感じました)

コメントを閉じる▲

 ← 魔法使いの夜 読了に際して | TOP | テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性

COMMENT

一連の考察、興味深く拝読しました。

ノベルゲーは、もはや「ゲーム」ではないのかもしれない、と、当方は以前から思うようになりました。
じゃなにか、というと、映画や小説のような、「メディア=容れ物」じゃないか、と。
無理にゲーム性云々に拘って(例えばクリックという行為がゲーム性である、みたいな言説、というか言い訳)「ゲーム」であろうとするよりは、「紙芝居」である、と割り切って、ならばこれは「新たな物語の展開形式」とみなした方がすっきりするのではないか、と。散々言いつくされたことかもしれませんが。

そこで、今回の考察を読んで、じゃあノベルゲー/紙芝居/人形劇はどこに該当するのか、というと、小説・映画・舞台・漫画、といったもの(アニメはまだ遠いように思えます)の中間地点にあるメディア、だと思いました。
それを活かすか、自覚することなく殺すかは、この先のクリエイターによるところだと思いますが、しかし今回のudkさんの考察は、「ノベルゲーに何が出来るのか」の再確認と言う意味で、興味深かったです。(これは以前のedenの一枚絵オンリー構成/演出とリンクする部分がある、とも感じました)
[ 2012.04.16(Mon) 14:47] URL | 近代衣服の残響 #- | EDIT |

COMMENT POST















管理者にだけ表示

Trackback

この記事のURL:
http://udk.blog91.fc2.com/tb.php/694-b3e3a680
 ← 魔法使いの夜 読了に際して | TOP | テキストウィンドウ考察(1)可変型テキストウィンドウの可能性

カレンダー

プロフィール

カテゴリー

twitter

人気エントリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

リンク

記事一覧

ブログ内検索

メッセージフォーム

応援中

今後発売の期待作

オススメ作品

RSS

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。