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君と彼女と彼女の恋。 レビュー ~恋愛ゲームを評論する"メタ恋愛ゲーム"が提起した選択の価値~ 

2013年07月22日 ()
 

君と彼女と彼女の恋。初回限定版 タイトル        君と彼女と彼女の恋。
 メーカー        NitroPlus
 発売日        2013年6月28日
 シナリオ        下倉バイオ
 原画         津路参汰 
 プレイ時期       2013年7月
 プレイ時間       約14時間
 評点           87





■ 前置き

 この記事には作品に関する多大なネタバレが含まれています。形式上告知しておいた方がいい作品なので前置きを載せておきます。その代わりと言ってはなんですが、ニトロプラスの作品紹介ページで著名シナリオライター・編集者によるプレイレビューが公開されています。本作未読の方は先にこちらをどうぞ。

 ・君と彼女と彼女の恋。 プレイレビュー(NitroPlus)

未読の方には誇張しすぎと感じるコメントばかりですが、既読の私からするとあながち間違ったことは言ってないと思うのでぜひどうぞ。中澤工や田中ロミオのコメントが読めます。私の評論に満たない拙い文章よりはプレイビューの方が説得力があるでしょう。

 『君と彼女と彼女の恋。』ですが、一見さんはともかく、このサイトに何度も足を運んでくださっているような方にはオススメなので、可能ならばご一読下さい。素晴らしいとと絶賛するかクソと非難するかの二択の反応になると思うのでぜひ。
 あ、このレビュー記事のタイトルが既にネタバレだとかそういう話はご容赦を。




 



君と彼女と彼女の恋。 レビュー
~恋愛ゲームを評論する"メタ恋愛ゲーム"が提起した選択の価値~



■ 1.物語ではなく評論であること

 本作を読んで感じたのが、この作品は物語性よりも評論性の方が強いのではないかということ。物語なのに評論というと矛盾と感じざるをえない。では何が本作を私に評論と感じさせるのか? それは、問題意識から発生する完全なるテーマ先行、ジャンル内問題点の提起とそれに対する回答だろう。だが、私の感じ方を決定づけたのはそれだけではない。最大の要因は本作のギミックである登場人物がプレイヤーたる私達に向けて直接語りかけるところにある。登場人物のプレイヤーへの語りかけがあたかも評論家から読者への論の提示のように感じたのだ。
 このプレイヤーへの語りかけそれ自体は珍しいものの、今までにそういった作品が存在しなかったわけではない。私の体験だとKID中澤・打越の某作品が初であるけれども、それ以前にも以降にもそうした作品自体は存在している。しかし本作ほど恋愛ゲームに内在する問題点というテーマに対してこの手段を使って真っ向面からぶつかった作品に私は未だ出会っていない。この強いテーマ性とギミックが本作の評論性を高めるのだろう。誰もが一度はやろうと考えたが実践されなかったこのテーマ、それを正面きって書ききったその事実は賞賛に値する(このテーマを表面化させることの是非はおいておいて)。
 では本作では何をどうやって論じたのか?本稿ではそれを考えていく。




■ 2.恋愛ゲームを評論する"メタ恋愛ゲーム"


 2-1.恋愛ゲームにおけるメタ恋愛ゲーム

 本記事の冒頭で紹介したプレイレビューを読むと、本作を評するにあたって"エロゲー"、"美少女ゲーム"、"ギャルゲー"、"ノベルゲーム"、"アドベンチャーゲーム"、"ゲーム"とレビュアーによって様々な呼称で本作と本作の属するジャンル・媒体を呼んでいることがわかる。話者によって論ずる対象や見方が変わってくるこの分野の興味深い傾向であるが、それぞれの語句について意味を言及するのは長くなるのでここでは避けておく[*1]。上記のように多くの呼称が存在する中、私は本作を恋愛ゲーム[*2]とした。それは本作が"エロゲー"、"美少女ゲーム"、"ギャルゲー"における恋愛そのものがテーマであること、また小説や映像といった媒体とは違う"ゲーム"であることが重要な意味を持つことからそうした。
 さて、私は本作をメタ恋愛ゲームと評するが、その"メタ"とは何か? 私は以下のように考えている。

 登場人物がこの世界はゲームであると認識していること。
 ゲームの中でも、制作者とプレイヤーが高次に存在している恋愛ゲームの世界であると認識していること。


 本作ではこのメタ条件ひとつを前提にそれをふくらませて物語を構築している。このメタ世界は実際に登場人物の種々の言動に現れている。

  ・ゲーム内で定められている登場人物としての役割を全うしようとする。
  ・ゲームを管理している上位存在と連絡を取り、ゲーム内容のアップデートを依頼する。
  ・ゲームプログラムを自分の思い通りに書き換え、自己の世界を構築する。
  ・ゲームのプレイヤーに向けて話しかける。


 登場人物がゲーム世界であることを認識しているがために、このように通常の作品では奇異にしか見えない言動が本作ではそこかしこに見えるのだ。


 2-2.恋愛ゲームに内在する特異性

 では、このメタ構造によって本作は何を論じようというのか? 本作が問題提起している恋愛ゲームに内在する特異性とは? 作中で挙げられた特異性は以下の5つである[*3]。

(A)複数ヒロイン制で選ばれなかったヒロイン
 主人公が特定のヒロインにルート確定させたのなら、他のヒロインはフェードアウトしなければならない。攻略されなかったヒロインの末路を考えてはならない。[*4]

(B)ヒロインの処女性の確保
 攻略対象たるヒロインは、主人公以外に結ばれる未来はない。それは呪いにも似ている。

(C)ヒロインのエロさ(エロゲーに限る)
 エロゲーのヒロインは物語上必要なくともエロくなければならない。それはプレイヤーの欲望に応えられるように作られる。

(D)プレイヤー・制作者の愛の欺瞞
 どれだけ主人公と永遠の愛を誓ったとしても、主人公は他のルートでは別のヒロインと愛を誓う。プレイヤーは罪悪感無く、ヒロインを切り捨てる。

(E)一回性の欠如(選択の軽視)
 登場人物にとってどんな重大な選択も、セーブ・ロード機能によって簡単に選択肢による未来の差違を確認することができる。それは、プレイヤーに限り一回性は存在せず、選択することそのものが軽視されていることにつながる。


作中に出てきたもので私が覚えていたものを5つあげた。当然のことながら、上記5点は全ての恋愛ゲームに当てはまるわけではないし、この他にも恋愛ゲームであることの弊害は存在する。しかし、主要な恋愛ゲームは概ねこれらを満たしているし、これらが恋愛ゲーム故のもので、原則守らなければならない不文律であることも理解できるだろう。
 このような不文律はどれも普通に考えたらおかしいことだが、恋愛ゲームではお約束となっている事柄であり、特異だとわかっていても制作者・プレイヤーともにあえて無視している。たとえそれを指摘したとしても、お約束だからと笑って済まされることだろう。しかし、ゲーム内のヒロインにとってそれは笑って済まされる話ではない。そこに生きている者にとってはたかがゲームではないのだ。恋愛ゲームのヒロインとされた彼女達は、ユーザーと制作者の欲望によって産み落とされた呪われた自分達に対して悲鳴をあげ、恋愛ゲームという運命に抗おうとする。
 このように本作では恋愛ゲームに内在する特異性をヒロインが意識し抵抗しようとするが、結果的に(A)~(C)の不文律においてはプレイヤーに提示するだけで解決案は提示していない。その代わり(D)および(E)に対してはその回答を提示している。


 2-3.恋愛ゲームの特異性(1)プレイヤー・制作者の愛の欺瞞

 複数ヒロイン制を採用している恋愛ゲームにおいて、どれだけ主人公がヒロインと永遠の愛を誓ったとしても、主人公は別のルートでは別のヒロインと愛を誓う。選択肢による分岐ひとつで、その愛は別のものへとガラリと変わってしまう。そのことに対して選択したプレイヤーに罪悪感は無く、ただただシナリオとキャラクターを消費するためにヒロインを切り捨てる。プレイヤーや制作者は登場人物には誠実であれと要求するが、自分達は選択肢で簡単にヒロインのルートを行き来する。こうして恋愛でパッケージングされた無数の物語が制作され消費されていくのだ。
 この欺瞞に関して、本作の制作者はどのようにして問題提起したか? それはヒロインの狂気とも取れるメタ思考によって提起した。本作のヒロインはプレイヤーに語りかけ、自らのおかれている状況を必死で説明し、懇願する。プレイヤーが他のヒロインのルートに行こうとするのを全力で阻止し、ルートに辿り着いた暁にはゲームを改変し、プレイヤーを無限ループという名の監禁状態にする。ヒロインの徹底的な行動とプレイヤーへの愛の語りかけは強烈だ。
 プレイヤー=主人公とするタイプの恋愛ゲームにおいて、我々プレイヤーと制作者はヒロインとの恋愛に、そしてその恋愛の選択に真剣に取り組もうとしているだろうか? 真剣だったかどうかと言われるとそこには肯定できない人ばかりだろう。作り物の恋愛に対して深く考えるような人などそうはいない。このヒロインが好きだからと操を立てて、他のヒロインには一切関わりをもたないというある意味誠実な人[*5]がどれだけいるだろうか? 恋愛ゲームにおいては必ずしもプレイヤー=主人公とする必要は無いし、プレイヤーが恋愛しなければならないわけではない。だとしても、たとえプレイヤー≠主人公の作品であっても、物語を真摯に読み、提示された選択肢(ヒロイン)を真剣に選んでいるプレイヤーがどれだけいるだろうか? そして、プレイヤーに真剣に読ませ選択肢(ヒロイン)を選ばせるだけの作品が、読ませ選ばせようとする制作者がどれだけいるだろうか?
 制作者によって作られる形骸化したヒロインとの恋愛とその選択は、プレイヤーの選択への責任を放棄させていく。それは次の問題提起にも繋がる。
 

 2-4.恋愛ゲームの特異性(2)一回性の欠如(選択の軽視)

 登場人物にとってどんな重大な選択も、プレイヤーにとってはそれほど重大ではない。登場人物が選択を思い悩み、苦渋の決断を強いられる状況にあっても、プレイヤーにとってそれはただ単に選択肢を選ぶだけの作業でしかない。いかなる時にもセーブ・ロード機能を使用可能な現代のノベルゲームシステムにおいて、選択肢とはただの分岐でしかないのだ。間違った選択肢を選んでバッドエンドになったとしても、セーブした地点をロードすることでもう一度その選択をやり直すことができる。そこに選択することの重みは存在しない。登場人物にとっては一回性の重大な選択、だがしかしプレイヤーにとって一回性は存在しない。つまり選択することそのものが軽視されているのだ。私自身、100作以上の恋愛ゲームをやってきたが、選択肢で悩むこと、決断することというのは殆ど無かったように思う[*6]。
 この選択の軽視を本作の制作者はどのようにして問題提起したか? それは本作のヒロインにゲームシステムを改編させ、システムからセーブ/ロード機能を削除させることで実現させた。このことにプレイヤーたる私は困惑した。まず第一に、いつでもセーブしてゲームを中断できるという利便性を失ったことに。第二に、選択肢の直前でのセーブ/ロードを行うことができず、選ぶことに対して慎重にならざるをえなくなったことに。このセーブ/ロード機能削除に対する違和感は大きなものだったし、その不便さは快適なノベルゲームシステムに慣れきった私にはとてもつらかった[*7][*8]。単純に選択肢に対してセーブ/ロードによる再帰不可としただけだが、この再帰不可選択肢演出[*9]が与えるプレイヤーへの影響は計り知れない。
 

前に、このセカイに留まってくれたのは、私を思ってくれたからじゃなくて——分岐上の結末を、見るためだったの?

 そう問い詰められた時、私ははじめて適当に選択肢を選んだことを後悔した。



■ 3.問題提起によって掘り起こされた"選択"の価値

 以上、恋愛ゲームに内在する特異性のうち2点に関して、本作での問題提起ならびにヒロインによるゲーム内での対抗策の実現について私の考えを述べた。では、ここまでして本作が作品内で成し遂げようとしたこととは何だろうか? それは、選択することの価値をあげることだろう。問題提起によって掘り起こされたテーマは"選択"そのものだ。
 作中最後に提示された二択は本作のテーマの終着点に他ならない。そこでは誰もが選択することに対して考えたはずだ。何も思い悩まず、ただ適当に選んだプレイヤーばかりだとしたら、この作品は失敗している。プレイヤーが作品を通して「選択」することを少しでも考えたのならばこの作品は成功している。
 主人公ひとりに対して複数のヒロインを選択できる『君と彼女と彼女の恋』が、プレイヤーが選択したたったひとりのヒロインとの恋愛になる『君と彼女の恋。』、恋愛ゲームは制作者が選択を意識することによってやっとプレイヤーとキャラクターが恋愛を始めるスタート地点に立てるのではないだろうか?




■ X."メタ 君と彼女と彼女の恋。" あるいは"選択"の可能性

 本作であげられているテーマ(問題提起)を人に伝えること、それ自体は私が今こうして文章にして自分の考えを述べているように可能である。それが作品として、恋愛ゲームとして、世に出ているということは何か?その意味はそれを受けとめるプレイヤーによって判断される。実際に恋愛ゲームというジャンルに効果を与えるかどうかは数年後までわからない。
 本作は物語というよりも評論色が強い作品であった。だが本作の形式は評論ではなく物語だ。物語で出したことの意味は確かにあっただろう。それはプレイヤーが身を以て体験するということ、作中のヒロインたちの問いかけや必死の懇願は多少なりとも効果があったはずだ。評論ではない物語の形式だからこそプレイヤーにより伝わったということは確かにあるだろう。
 メタ恋愛ゲーム作品を制作するにあたって、媒体をゲームに選んだのは最良だった。最近メタ設定が一部で流行っているライトノベル界隈ではこうした作品が出かねないところだった。本作には世界改編時のインターフェイスやパッケージに込められたギミック、クリア後の回想やムービー等ゲームであるからこそ成立したシナリオ演出が多数あり、いくつものアイディアが作品を一層面白くしている。そして、選択肢による演出に関しても再帰不可選択肢の他に、分岐上の選択とは関係のないプレイヤーへのインタラクティブ性を狙った演出上の選択肢「単独選択肢演出」等[*10]も盛り込まれ、選択肢が作品を大いに演出している。本作を通じてゲーム媒体の唯一性である「選択肢」は非常に使えるギミックなのではないかと再確信した。ゲーム媒体はもうやれることをやりつくしたわけではない。まだまだ新しくやれる可能性はあるのだ。

 恋愛ゲームは何もプレイヤー自身とキャラクターとの恋愛を描かなければならないわけではない。キャラクター同士の恋愛物語だって必要だ。しかし、主人公(=プレイヤー)とキャラクターの恋愛を描く場合、もしくはプレイヤーを作品に引きずり込ませ物語に没入させる場合に関しては、選択肢を介してプレイヤーを作品に取り込むことは極めて効果的だろう。本作がただ恋愛ゲームに内在する問題点を提起しただけのメタ作品であることに留まらず、ゲームにおける「選択」の有効活用に制作者達が恋愛ゲームを発展させていくことを私は期待している。











*1:昔、ノベルゲーム周辺の呼称について検討したものを合同誌の中の一原稿として発行してはいるので、WEB上にもそのうち載せるかもしれない(未定)。
*2:参考→「恋愛ゲーム」とはなんぞや?(then-d's theoria blog ver.)
  勝手に引用してすみません。。。
*3:本稿では男性向け恋愛ゲームの側面から問題を捉えていく。女性向け恋愛ゲームについては割愛。
*4:みんな大好きK○○○○問題にも通ずるところがあるような……
*5:ひとりのヒロインしか選べないというシステムでは『HoneyComing(HOOK)』のオンリーワンモードが思い浮かぶ。発売当時、後輩がヒロイン一人に操を立ててオンリーワンモードに臨んでいたことを覚えている。
  参考→HoneyComing(HOOK) 紹介ページ
*6:少ないとは言っても、選択肢が作品とプレイヤーの関係にうまく作用している作品もいろいろある。心に残る選択肢がある作品はたいていが良い作品。
*7:実際にはセーブ/ロード機能が使えないパートはそれほど長くなく、途中で中断しようとスキップ機能ですぐに追いつくことができるし、全ての選択肢が選べられなくなるわけではないのだが。むしろ選択肢を勝手に美雪が選んでくれる分、無限ループ中はいくらか作業が楽になった分はある。
*8:しかし、私には所詮ゲームのままだった。作中でセーブ・ロードができないのならハードディスクに保存されているセーブデータそのものをコピーしておけばいいというもの。最後の二択は確かに思い悩んだが、神の視点でいることに私は何も懲りていない。
*9:再帰不可選択肢演出>特に呼び名がなかったので勝手に命名。何か良い呼称を募集中。
*10:単独選択肢演出>解説は以下を参照
  参考→たったひとつしかない選択肢をあえて選ばせる「単独選択肢演出」(udkの雑記帳)
  一択選択肢とも呼ばれています。
  参考→演出論的覚書:Ⅳ章4節4款-α:選択肢(cactus_backyard)
*XX:最後に。"メタ 君と彼女と彼女の恋。"は大きなお世話である。私がこんなことを考えなくてもきっと世の中は良い方向に動いていくだろう。



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