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サクラノ詩――櫻の森の上を舞う―― 体験版 感想 すかぢ論2.0(序)梯子の上にある風景 

2015年10月26日 ()


0.11年の歳月を経て発売されようとしているサクラノ詩

 11年の延期を経てついに『サクラノ詩』が世に出ようとしている。
 11年の延期という経歴は嫌が応にも読者の期待度をあげてしまう。多くの読者は生半可な作品では納得しないだろう。それだけの過度の期待に対して『サクラノ詩』はどうやって応えようとするのだろうか?
 11年の延期を経て公開された体験版、その体験版を読み終わり、私は本作がそれだけの期待に応えられるだけの傑作となるポテンシャルを有していると確信した。


1.傑作の息吹を感じさせる出来の体験版

 はじめに傑作の息吹を感じたのは、作品から漂う空気だ。どことなく物寂しげな感じのする序盤。第0章は主人公の父親の葬儀から始まる。世界的に有名な芸術家の息子である主人公、彼はある時を境に絵を描かなくなる。そんな主人公の葬儀中のモノローグが、本作をただの学園ものの萌えゲーとは思わせない独特の空気を出している。

ただ、舞い散る桜を見ている
その風景には、悲しさも、痛みも、なかった。
桜の美しさの中にいる親父の死骸は、
ただ、醜いだけだった。


各所にこのような登場人物の感傷的なシーンが入る。それら後々の物語への伏線を思わせる文章が本作への期待値を上げさせていく。
 さらに頻繁に挿入される哲学や文学の一節が、作品に影を作り、深みを増していく。

それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなおのおののなかのすべてですから
『春と修羅』序 宮沢賢治  -第0章冒頭-


愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだときには、
それより他に、方法がない。
『春日狂想』中原中也  -第1章冒頭-


 このように随所で文学作品や哲学書の一節を挿入するのはすかぢ氏の前作『素晴らしき日々』で見られた作風であり、『素晴らしき日々』ほどではないが、本作にも哲学や文学、美術、思想のタームが文章の中に散見される。これが作中の雰囲気を出すのに大いに役立っている。その中でも上記の宮沢賢治著の一節に代表される挿入分は、その一節がテーマになるとして、どのようなストーリーが展開されるのか、期待を高まらせてくれる。
 挿入されている文学作品の中で個人的に期待しているのは2点。ひとつは『春と修羅』の中から引用されている一節。『素晴らしき日々』で見られた偏在転生の思想とも取れるし、独我論的思想とも取れる。冒頭にこの一節を出してきたということは作中で何かしら意味を持つと予想されるが、どのような隠喩となるのか楽しみにしている。
 もうひとつが、第1章で物語が丸々説明されたオスカー・ワイルド著の『幸福な王子』。わざわざ作中で物語の全容を解説し、さらに第5章の章題にもなっているということから『サクラノ詩』の骨子となるテーマであることは間違いないだろう。自分を犠牲にして周囲の人々を救済していく幸福な王子、それはそのまま多くの恋愛ゲームの主人公にも当てはまる。彼ら主人公は何故、他者のために自らを犠牲にしてまでこのような行動を取るのか。後述のすかぢ論でも言及するが、「人は何のために作品を創るのか?」「人は何のために恋するのか?」「他者は何のために存在するのか?」といった命題に対して『サクラノ詩』ではすかぢ氏の思想が見られるのではないかと予想している。

 そしてサクラノ詩が傑作になることを確信したのが第2章「Abend」だ。第1章に散りばめられた伏線を一気に回収していく流れは美しかった。そして何よりも第二章のこの展開に私自身感動した。これだけの感動を作れるなら、第3章以降も同等の感動が待っているなら、サクラノ詩は傑作になるとそう期待している。

 体験版をやっていてひとつだけ気になった点をあげるとすれば、文章の長さだろう。
 シナリオライターのすかぢ氏の特徴として、何事も少々説明しすぎる傾向があるが、本作ではそれが悪い方向に働いている。もう少し登場人物間の会話を絞り込んでいってもよいのではないだろうか? 例えば、料理についてこと細かに解説させたりする必要はあまりないのではないだろうか? また、体験版では誤字も散見された。些細なことだが、物語を最高の形で演出するために、最後までクオリティアップに励んで欲しいところだ。今更あと数カ月延期されようと、それほど気にはならない。11年かけたクオリティをこの目で見てみたい。

 このように作品単体で見て、『サクラノ詩』は傑作になるとふんでいる。11年に一度の名作とまでは言わないが、年に一度の傑作にはなるのではないだろうか。



2.すかぢ論2.0(序)梯子の上にある風景

 『サクラノ詩』のメインシナリオライターであるすかぢ氏。本作がすかぢ氏にとってどのような作品になるのか、最後にすかぢ作品における『サクラノ詩』の位置づけについて考えていく。

 枕の作品紹介ページでは『サクラノ詩』の物語概要について以下のように記載されている。

10年越しのプロジェクトついに始動
凍結され続けていた、サクラノ詩プロジェクトがついに再始動。
「言葉と旋律」「幸福に生きよ」をテーマに書き上げられた「素晴らしき日々~不連続存在~」のすかぢが、そのテーマを踏襲しつつその先の物語である『サクラノ詩』を描ききる。
原画家には狗神煌、籠目を起用。10年越しの物語が実力派スタッフによって結実する。
素晴らしき日々の先の話、梯子の上にある風景は、それは反哲学的物語。ごく自然な日常の物語。


すかぢ作品(主に『素晴らしき日々』)を読んでいないと何を指しているのかさっぱりわからない不親切な物語概要であるが、ここから『サクラノ詩』の位置づけを考える。まず、“梯子の上にある風景”は『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン著)の以下の命題を指していると考えられ、即ち論理哲学論考の先、素晴らしき日々の先を指していると考えられる。

6.54 私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであることに気づく。そのようにして、私の諸命題は解明を行う。(いわば、梯子をのぼりきった者は梯子を投げ捨てなければならない)
私の諸命題を葬りさること。そのとき、世界を正しく見るだろう。


にあたるだろう。

 そして“反哲学的物語”は哲学者ウィトゲンシュタインの書物が多数引用された『素晴らしき日々』とは反するということを指していると考えられる。もしくはウィトゲンシュタイン著の『反哲学的断章』のことを指しているかもしれないが、それはサクラノ詩を全編読んでみてのお楽しみだろう。
 つまり、サクラノ詩はごく自然な日常の物語になるということだろう。それは、5年前のインタビュー(素晴らしき日々の初回特典本)でもある通りである。

『素晴らしき日々』の非日常に対して、日常と向かい合う作品になると思います。『サクラノ詩』でも「幸福に生きよ!」は作品の柱となると思いますが、でももっと先の事、もっと当たり前の事が語られると思います。
はい、当たり前の事を書くのが『サクラノ詩』という作品です。それはそのまま「人間を書く」という事に他ならないと思います。それは『素晴らしき日々』の先にある風景であると思います。


すかぢ氏はこれまでずっと非日常を描いてきた。『終ノ空』『二重影』『モエかん』『素晴らしき日々』……どれも我々の日常からはかけ離れた作品だ。それらの作品で、すかぢ氏は『終ノ空』から『素晴らしき日々』まで11年かけて「生の意義」を探求していった(詳しくは『恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+』の拙稿を参照)。

 「人は何故生きるのか?」「何のために生きるのか?」

 その命題に対し、『素晴らしき日々』では「幸福に生きよ!」の一節で生の意義への懐疑を乗り越えた。
 その先にある『サクラノ詩』。すかぢ氏が挑戦する日常の風景。フォーマットはノベルゲーム市場で最も主流の学園恋愛もの。果たして『サクラノ詩』はどうのような作品になるだろうか? 私は『サクラノ詩』におけるすかぢ氏の命題は“創作の意味”であり、そこから“他者の意味”に行き着くのではないかと予想している。体験版では主人公が絵を描かなくなって久しいということが何度も取り上げられている。そのような絵を描かなくなった主人公に対して降りかかる命題は次のようになるだろう。

 「何故、人は作品を創るのか?」「何のために作品を創るのか?」

 この命題に対して、主人公の先輩である明石亘は以下のように語る。

「筆をずっと折っていたお前に……何が分かる……」
「作品を作るという意味の、何が分かるって言う……」
「お前にとっては、多くの人間に認知されるのための作品か? マスコミに騒がれるための作品か?」
「あれが、何のために作られたか……。俺が、あの作品を誰のために完成させたか……」
「作品が何であるか? その言葉、そのままお前に返してやる。 お前はその意味を本当に分かって言ってるのか?」
「あれは他の誰かではない。遠くの誰かのために描いたものではない……。あれは、小牧、小沙智、そしてあいつらを救ってくれた正田神父のために作り上げたものだ……他のなんでも無い」
「だからこそ、もう俺が作者である必要は無い。 俺の名前が残る必要は無い。」
「腑に落ちないか? だとしたら、お前は芸術家としては三流以下だ」
「作品が何のために生まれたのか、何のために作られたのか……」
「我々が何のために作品を作るのか……それさえ見失わなければ問題無い……。 そこに刻まれる名が、自分の名前では無いとしてもだ……」



 「何故創作するのか?」この命題に対して明石亘は他者のためと答えた。それに対して、主人公はどのような答えを導くのだろうか。そして「何のために作品を創るのか?」の先には恋愛ゲームの究極の命題が待っている。

 「何故、人は他人に恋するのか?」 「他者は何のために存在するのか?」

 自己の生の意味に対して言及し続けたこれまでのすかぢ作品に対し、『サクラノ詩』は他者の意味に対して問うのではないだろうか?
 かつてのすかぢ氏は「恋愛がよく分からない」と恋愛に対して懐疑的だったという。そんなすかぢ氏が描く普通の恋愛もの、すかぢ氏が変わっていく姿を、私は『サクラノ詩』に見届けたい。




2015年8月 2次元メディア・コンテンツ研究会 会誌掲載分 転載

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[2015.10.26(Mon) 23:11] サクラノ詩Trackback(0) | Comments(0)
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